志位和夫 日本共産党

力をあわせて一緒に政治を変えましょう

インタビュー・対談

2024年1月1日(月)

東アジアの平和構築へ 東南アジア3カ国 発見と感動の9日間

志位委員長が新春緊急報告


 どうやって東アジアを戦争の心配のない平和な地域にするのか――昨年末、インドネシア、ラオス、ベトナムの東南アジア3カ国を訪問し、東アジアの平和構築にむけ精力的な外交活動を展開した日本共産党代表団(団長・志位和夫委員長)。どんな交流、探求がおこなわれ、どんな手ごたえ、収穫があったのか――志位委員長がその一部始終を緊急報告します。(聞き手・構成=赤旗編集局)

訪問の目的と全体の特徴は

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(写真)東南アジア訪問について語る志位和夫委員長

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(写真)インドネシアに向けて羽田空港を出発する志位和夫委員長(中央)、田村智子副委員長(左から2人目)、緒方靖夫副委員長(右から2人目)ら日本共産党代表団=2023年12月19日

 明けましておめでとうございます。

 志位 明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします。

 まず、今回の訪問の目的、訪問をふりかえっての感想をお聞かせください。

 志位 東南アジア3カ国を12月19日から27日までの日程で訪問しました。東南アジア諸国連合(ASEAN)は、粘り強い対話の努力を続け、この地域を平和の共同体に変え、その流れを域外に広げて東アジアサミット(EAS)という枠組みを発展させ、さらに2019年の首脳会議ではASEANインド太平洋構想(AOIP)を採択し、東アジア全体を戦争の心配のない平和な地域にするための動きを発展させています。こういう状況のもとで、ASEANの国ぐにの努力を生きた形でつかんで、東アジアに平和をつくる日本共産党の「外交ビジョン」をさらに豊かなものにしたい、日本のたたかいにも役立つような知見を得てきたい、さらに可能な協力を探求してきたい、これらを目的にして訪問してきました。

 移動も含めて9日間の長旅になりましたが、ふりかえってみますと、毎日がわくわくする、発見と感動の連続でした。一日一日、さまざまな方がたと会談するたびに新しい視野が広がってくるという訪問になりました。

 私たちは、これまで野党外交をさまざまな形でやってきましたけれども、一つのテーマを前進させることを目的にして、いくつかの国を訪問するというのは、あまりないのです。今回は東アジアの平和構築、とりわけAOIPの成功というテーマに焦点をあてて三つの国を訪問し、私たちの知見も認識も新たにし、豊かになったと言えると思います。また、わが党の「外交ビジョン」そのものも、AOIPを成功させること自体とともに、北東アジアが抱える諸懸案を積極的に解決していくという「二重の努力」に取り組むという形で発展させることができた。こうして、今回の訪問は、わが党の野党外交の歴史の上でも特別の意義をもつ訪問となりました。


インドネシア―“対話の習慣”を東アジアに

ASEANの発展を牽引してきた国

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 最初の訪問国として、インドネシアを選んだのは、どうしてですか。

 志位 インドネシアの人口は2億8000万人。ASEANの総人口が6億7000万人ですから、ASEANの中で最も大きな国です。ジャカルタにASEANの本部があります。

 インドネシアはASEANの創立(1967年)のメンバーであるとともに、近年でいえば、2011年にインドネシアのバリで東アジアサミット(EAS)が開かれ、「バリ原則」を採択し、武力行使を禁止し、紛争の平和解決をはかるなど平和のルールを政治宣言という形で打ち出しましたが、これを中心になって進めたのがインドネシアでした。

 その後、13年にインドネシアのマルティ外相が「インド太平洋友好協力条約」を提唱、18年には、インドネシアのルトノ外相がAOIPを提唱し、19年のASEAN首脳会議でAOIPが採択されました。

 このように、ASEANの発展という点でも、それを域外に広げていくEASやAOIPという枠組みを発展させるという点でも、インドネシアは一貫して、ASEANの平和の地域協力を牽引(けんいん)してきた国です。ですから、いまASEANで起こっていることの本当の姿を知ろうと思えば、どうしてもインドネシアに行って、その中枢で頑張っている方がたに話を聞くことが必要だと考えました。

 私自身は、インドネシアを10年前(2013年)に訪問しています。このときの訪問が一つのきっかけになって、日本共産党の「北東アジア平和協力構想」(14年)の提唱、東アジアに平和をつくる「外交ビジョン」(22年)の提唱につながりました。また2020年の第28回党大会で行った綱領一部改定のさいに、ASEANの取り組みを「世界の平和秩序への貢献」として注目して位置づけました。一方、ASEANの側も、AOIPの採択という新しい道に大きく踏み出し、それを発展させる途上にあります。こうして10年前と比べて、私たちの認識にもずいぶん発展があったし、ASEANの側も大きく発展しているわけですから、新しい目でASEANの発展をつぶさにつかんでみたいという思いがありました。

年1500回もの“対話の習慣”を東アジアに

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(写真)インドネシアのアダム・トゥギオ外相特別補佐官(右)と会談する志位和夫委員長=2023年12月20日、ジャカルタのインドネシア外務省

 まずアダム・トゥギオ外務大臣特別補佐官との会談をされました。

 志位 はい。1時間あまりでしたが、たいへん重要な会合になりました。

 私からは、まず今回の訪問の目的を話し、そして、AOIPについて日本共産党としてこう理解しているということを話し、インドネシア政府としてAOIPをどう位置づけているかを聞くというところからスタートしました。

 私の方からは、私たちの理解ではと前置きして、AOIPは、

 ――対抗でなく対話と協力の潮流を強める。

 ――どの国も排除せず、包摂的な枠組みを追求する。

 ――大国の関与を歓迎し、積極面を広げるが、どちらの側にもつかない。

 ――ASEANの中心性――自主独立と団結を貫く。

 ――新しい枠組みをつくるのではなく、既存の枠組み――東アジアサミット(EAS)を活用、強化していく。

 ――東南アジア友好協力条約=TACを平和の規範として重視し、ゆくゆくは東アジア規模に広げていく。

 おおよそこういう要素からなっていると理解していますが、どうですかと、先方にAOIPの意義について聞きました。とくに、ASEANが、EAS、AOIPのような平和の枠組みを東南アジア域外に広げていこうとしている思いはどこにあるのかと聞きました。

 アダムさんからは、ASEANにとって何よりも大切なのは平和と安定だ、そして平和と安定は域外の国ぐにとの連携が必要になる、この地域には多くの紛争の危険や火種があるけれども、「なぜASEANが多くの対話プロセスを持っているかというと、私たちは“対話の習慣”をつくりたいからです」との答えが返ってきました。

 ここで“対話の習慣”という言葉が出てきたんです。ハビット・オブ・ダイアログという言葉だったのですが、非常に印象深かった。アダムさんは、ASEANが東南アジアを超えてEASなどで域外の国ぐにとの連携を包摂的に進めているのは、「紛争の危険、火種があるもとで、“対話の習慣”を推進したいからです。対話により誤解や誤算を回避できます」とのべました。そしてそれはASEANだけではなく、周辺諸国にとっても意義があるということを言われました。

 “対話の習慣”という言葉がたいへん印象深かったので、私が10年前に訪問したとき、ASEAN域内で年1000回以上の対話をやっていると聞いて驚いたと話しましたら、「今では1500回以上です」とのこと。10年間で1・5倍になったということでさらに驚きました。

 アダムさんの話を要約すると、“対話の習慣”を東アジア全体に広げるのがAOIPだということが言えるかもしれません。ASEANでやっている年1500回もの“対話の習慣”を東アジア全体に広げる、これがAOIPだというふうに言いますと、とても分かりやすいのではないでしょうか。街頭演説でも、これだったら話せるんじゃないでしょうか。

 これはとても分かりやすいですね。

 志位 はい。いいキーワードを聞いたなと思いました。

政府と政党を含む市民社会が協力して

 志位 アダムさんとの対話で、私がもう一つ提起したのは、AOIPを成功させるためには、政府と政府の間の話し合いが大事なことは当然ですが、それだけではなく政党を含む市民社会が協力することが重要ではないかと問いかけてみたんです。

 アダムさんは、市民社会も“対話の習慣”のプロセスに貢献することは可能だとの考えを示しました。政府間の話し合いだけでなく、政党も含めた市民社会が加わることで、対話がより深いものになるという認識が共有されたこともとても印象的でした。

 私がこのことを話したのは、核兵器禁止条約の経験からです。核兵器禁止条約は、政府間の交渉によってつくられたものですが、市民社会の協力がなければできなかったと思います。日本の被爆者をはじめとする世界のNGO、政党も一体になって取り組んで条約をつくりました。AOIPのような平和の枠組みをつくるうえでも、政府間の話し合いだけでなく、政党も含む市民社会が一緒になって進めることが重要ではないかと考え、そういう提起をしました。先方からは肯定的な答えが返ってきました。

ガザ危機、核兵器禁止条約での意見交換

 志位 アダムさんとの対話のなかでは、世界の緊急課題である二つの問題についても提起しました。

 一つはパレスチナ・ガザ地区の問題です。死者が2万人を超え、イスラエルの大規模攻撃は明らかに国際法違反であり、インドネシア政府も主導した国連総会決議は153カ国が賛成しており、この決議が求めているように即時の停戦が必要だ、イスラエルの攻撃中止を求めることが必要だ、ハマスがやったことは許されないが、それを理由にイスラエルが大規模攻撃をすることは許されない、この問題での協力を願っていると話しました。

 これに対して非常に強い答えが返ってきました。アダムさんは、「パレスチナ問題では、私たちは国際社会が持続的な停戦を実現するために声を一つにすることを促しています」とのべるとともに、ダブルスタンダード(二重基準)に反対するインドネシア政府の立場を表明しました。私は、日本共産党も、ハマスの無法行為を非難するがイスラエルの無法行為の非難はしない「ダブルスタンダード」には道理がないと国会でも提起してきたが、恒久的停戦のためにさらに働きかけを強めたいと表明しました。

 もう一つは、核兵器禁止条約の問題です。インドネシアについて、私がたいへん印象深かったのは、2010年の核不拡散条約(NPT)再検討会議に参加した際、当時のインドネシアのマルティ外相が非同盟運動を代表して冒頭に演説をしたことです。それは核廃絶を求める堂々たる演説でした。そしてこのNPT再検討会議で採択された文書は、その後の核兵器禁止条約の成立につながっていきました。そういう体験も含めて、「核兵器のない世界」への協力を願っているという話をしました。アダムさんは、非同盟やNPTでのインドネシアの積極的な役割に言及していただいたとのべ、「核兵器のない世界」にむけ連携していくべきとの考えを表明しました。

 ハビット・オブ・ダイアログ=“対話の習慣”を広げていく、年間1500回以上に及ぶ会合という話のほか、ガザと核兵器という緊急課題でも有意義な会談になりました。

ASEANの中心性――一方の側に立たず自主独立を貫く

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(写真)ASEAN本部で志位委員長(右)と田村副委員長=2023年12月21日、インドネシアのジャカルタ市

 ASEAN本部を訪問されました。

 志位 はい。2日目は、ジャカルタ市内にあるASEAN本部を訪問し、エカパブ・ファンタボン事務局次長と会談しました。エカパブさんはラオス出身の外交官で、ラオスは今年(2024年)のASEAN議長国です。その話から、私たちがこれからラオスに行くという話になったところ、エカパブさんは、ちょうど数時間前にインドネシアからラオスへの議長国の引き渡しのセレモニーが行われたと。そんな会話から会談が始まりました。

 まず、年間1500回以上に及ぶ会合が話題になりました。私が「年間1500回以上と昨日、聞きました」と話したところ、エカパブさんは、たしかに1500回になっているが、「いまでは量とともに質も大切になっています」として、会合を整理して順序だてたものにする努力を語りました。

 私が、「ASEANの成功の秘訣(ひけつ)は何ですか」と聞いたところ、エカパブさんからは、ASEANの中心性と結束が重要だという答えが返ってきました。中心性というのは、いろいろな議論が起こったときにバランスを取って平和と安定を促進する、そして中立性を保つ、つまり、どちらか一方の側を取ることはない――。こういう説明でした。バランス、中立性、一方の側に立たない、そして自主独立を貫いていく。こうしたASEANの中心性の重要性が強調されました。

 エカパブさんは、それを家族にたとえて、ASEANは家族の一員として受け入れ合い、助け合い、支える関係だ。域内でも不一致は時にはあるけれども、全ての問題を家族の一員の協力で解決していく。家族でもときどき問題が起きるが、しかし家族の問題は外部の力ではなく、家族で対応すると語りました。

域外のパートナーが同じ席につき、一緒に平和をつくっていく

 志位 私は、もう一点、AOIPにかかわって、どういう思いでASEANは平和の地域協力の取り組みを域外に広げることをしているのですかと聞きました。エカパブさんは、ASEANは常に外側を向いている(アウトワード・ルッキングだ)。常に域外のパートナーに関与しようとする。その点で、世界で最も成功した地域機構だと思っていると答えました。世界の他の国にアウトワード・ルッキングする――外側を向いていくということです。AOIPも「ASEAN・アウトルック・インドパシフィック」の略です。アウトルック――ASEANがインド太平洋全体を広く遠くまで見晴らし、関与して、平和の枠組みをつくっていこうというのがAOIPです。

 アダムさんは、ASEANは域外の大国が同じテーブルの席につくことができるプラットフォームになっている、大国が席につき、私たちの考えを受け入れなくても私たちの見解を共有することができるということも言われました。そういうことをやりながら、相互理解と協力を広げていくことをやっているということだと思います。そういう地域機構は世界にASEANしかないとも言っていました。このような表現で、ASEANというのは、ASEAN域内で平和の地域協力をつくるだけではなく、外に向かって、視野を広げて、域外のパートナー国――中国、アメリカ、日本も含めて一緒になって平和をつくっていっているということを強調していました。

日本共産党の「外交ビジョン」に高い評価が

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(写真)訪問団が持参した、ASEANなどに関わる日本共産党の活動を紹介する文書

 志位 私たちは、今回の訪問の対話用にと、「日本共産党とASEANの平和の取り組み」と題するごく簡潔な資料をつくりました。東アジアに平和をつくる日本共産党の「外交ビジョン」、トルコ・イスタンブールで開催されたアジア政党国際会議(ICAPP)でAOIPの重要性を訴え、総会宣言に「ブロック政治を回避し、競争より協力を重視する」との一文が盛り込まれたこと、「日中両国関係の前向きの打開のための提言」で、日中双方とも賛意を表明しているAOIPをともに成功させようと呼びかけ、日中両国政府の双方から肯定的に受けとめがあったことなどが一目でわかるようにした資料です。私は、この資料を使って、わが党の取り組みを紹介しました。

 エカパブさんからはいろいろな反応がありました。日本共産党の「外交ビジョン」について、地域の平和と安定を促進するASEANと同じ線に沿っているもので高く評価すると言われました。「日中両国関係の前向きの打開のための提言」に対して、日中両国政府の双方から肯定的な受けとめがあったことにたいして、とても良いシグナルだとの評価がのべられました。地域の多くの国と多くのチャンネルを持つことの重要性が指摘されました。

 私が、ASEANと協力して、政党レベルでもAOIPを成功させる取り組みをすすめたいと話したところ、エカパブさんは、日本共産党は重要なビジョンを持っており、その努力、アプローチは重要であり、その仕事を続けていただきたいと応じました。

 日本共産党の努力方向を歓迎してくれたことは、私たちにとってたいへんに心強いことでした。

ボトムアップ、ステップ・バイ・ステップで

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(写真)インドネシアのハッサン・ウィラユダ元外相と会談する志位委員長、田村副委員長=2023年12月21日、ジャカルタ市内

 ハッサン・ウィラユダ元外相との会談がとても弾んだと聞きました。

 志位 そうです。ジャカルタでは、インドネシアのハッサン・ウィラユダ元外相と、ASEAN常駐代表部事務所にある彼の事務所で会談しました。ハッサンさんは、2001年から09年までインドネシア外相を務め、EASの設立(05年)などのASEAN外交をリードしてきた人物で、2時間近くの会談になりましたが、豊かな示唆に富む発言をたくさん聞くことができました。

 ハッサンさんの発言でまず注目したのは、「ASEANは、外部から見ると、期待通りの速さではない、遅いと見られている。しかし、われわれのアプローチはトップダウンではなくボトムアップ(積み上げ型)です。ステップ・バイ・ステップ(一歩ずつ)なのです」ということでした。一歩一歩、できるところから積み上げ、広げていくことがASEANのやり方だというのですね。東南アジア友好協力条約(TAC)をつくるにしても、ASEANの設立宣言が1967年で、TACを結んだのは76年ですから、ASEAN設立からTACを結ぶまで9年もかかった。そういうふうに一歩一歩と広げていまに至っている。まずこの発言がとても印象的でした。

東南アジアには良い“対話の習慣”がある、これをいかにして北東アジアに広げるか

 志位 ハッサンさんとの対話のなかには、たくさんの示唆があったのですが、とくに印象深かったのは、東南アジアには良い“対話の習慣”がある。これをいかにして北東アジアに広げるかが課題だということを言われたんです。これは、ズバリ的を射たものだと思います。

 ハッサンさんが、北東アジア固有の困難にあげたのは、一つは、歴史問題でした。過去の歴史問題を解決できていない。日本がそれを克服できるかが大事で、ドイツが大切な例になるのではないかと指摘しました。もう一つは、朝鮮半島では、停戦合意があるだけで依然として戦争状態が続いていることです。これは難しい問題だが、正面から取り組む必要があるとの指摘でした。さらにいま一つは、米中の対抗、戦略競争が強まっていることです。三つともまさにその通りです。私は、なるほどと思ってこの提起を聞き、こういう話をしました。

 「たしかに言われる通りで、私たちもこの問題では模索と探求をやってきました。わが党は、14年の党大会で北東アジア平和協力構想を提唱しました。これは簡単に言えば、ASEANのような平和の地域協力の枠組みを北東アジアにもつくりたい、北東アジア版のTAC(友好協力条約)を目指したいというもので、当時は関係国から評価を受けましたが、その後の情勢の進展は、これが簡単には進まないことを示しました。新たに枠組みをつくるのではなく、現にある枠組みを活用・強化して平和をつくる現実的アプローチが必要だと考えました。そのときにASEANによるAOIPの提唱――現にある東アジアサミットを活用・強化するという構想を受けて、党として『外交ビジョン』を提唱しました」

 それに対してハッサンさんは、次のように発言しました。

 「東アジアでTACをつくることは、今すぐは難しいと思います。“対話の習慣”を育んできたASEANでもTAC締結には9年かかりました。TACをつくるには、条約をつくる前提として“対話の習慣”が必要です。いかに良い“対話の習慣”を育むかが優先だと思います」

 私たちが「北東アジア平和協力構想」から、現にある枠組み――東アジアサミット(EAS)を活用・強化していくという「外交ビジョン」へと外交構想を発展させていった模索と探求をよく理解してくれた発言でした。

「対話は多様性の産物」、平等に同じテーブルにつく

 志位 私は、ASEANの考え方を日中関係にも応用したと「日中両国関係の前向きの打開のための提言」の話をしました。「バリ原則」を中心になってまとめたインドネシアのマルティ外相は、かつてその取り組みについて、“誰にも反対できないような原則――国連憲章にもとづく紛争の平和的解決などの原則をきちんと定式化した。それがバリ原則です”とのべていました。こうした努力を積み重ねていけば地域の平和のルールになっていくということだと思います。

 日中両国関係にもこれを応用して、日中両国のどちらにも受け入れ可能で、かつ実効性のあるものをつくろうと、「日中両国関係の前向きの打開のための提言」を発表したという話をしました。とても真剣に聞いていただきました。

 そのうえで、私は、ASEANではどうやって、“対話の習慣”を持つようになったのですかと聞きました。ハッサンさんはこう言いました。

 「対話は多様性の産物です。インドネシアは人種、言語、文化的に多様で300以上の民族がおり、私は西ジャワの出身ですが、スマトラ北部の人と話すときは相手に何を言っていいのか、悪いのかを意識します。私たちにはそのような内的プロセスがある。基本的に全ての東南アジア諸国が多様な国です。多様性の中で、対話は日常生活、生き方そのものなのです」

 「対話は多様性の産物」――。これもなるほどと思って聞きました。

 そのうえでハッサンさんは、もう一つ大事なことを言いました。

 「インドネシアは2億8000万の人口を持ちます。ブルネイは45万人、シンガポールは600万人、ラオスは750万人です。しかし、私たちは平等に同じテーブルにつきます。ASEANはコンセンサスで運営されます。インドネシアは大国だから、もっと意向が反映されてもいいはずだとも言われますが、そうではありません。私たちは自分の意思で小国と同じ権利を持つことにしました。ASEANはコンセンサスに基づいて運営されています。多数が少数に意見を押し付けない。少数も多数を振り回さない。だからASEANは発展したのです」

 これらの一連の発言には、ASEANの成功の秘訣が深いところから語られています。

 ――ASEANで“対話の習慣”がつくられたのは、「多様性の産物」だ。多様性があるからこそ、対話せずにはいられなかった。私たちは「ハビット」を「習慣」という言葉に翻訳しましたが、「癖」とも訳せます。「対話せずにはいられない」という感じだと思います。

 ――ASEAN域内でインドネシアは人口が4割強。最大の国です。それにもかかわらず、大国として意見を押し付けることを絶対にしない。こうした自制しているということが、ASEANの安定性と団結をつくっている。インドネシア外交の懐の深さを見る思いでした。

政府と政党と市民社会が協力して

 志位 ハッサンさんとの対話の最後に話したのは、政府と政党と市民社会の協力ということでした。ハッサンさんは、「政党にもできることがあります。それは政党間で話し合うことです。ぜひそれをやってほしい。対話を促進するために政党としてもやってほしい」と言いました。そして「ASEANは“対話の習慣”で成功しているけれども、北東アジアが成功しないままでは、東アジア全体の平和の共同体には進まない。平和のために、取り組みの成功を願います」と激励してくださいました。私から、政府と政党と市民社会の協力を大いに進めたいと提起したところ、たいへん良いことだと賛意を示してくれました。

 インドネシア政府は、22年のG20で議長国を務めて、だれも発出できないだろうと思っていた共同声明をまとめ上げました。ウクライナ侵略が難しい問題で、これを非難しながら、一部の人は違う意見をのべたという言い方で共同宣言をまとめました。これに関し、ハッサンさんは「ASEANは求心力があり、すべての国、立場の対立する国ぐにをそろって快適にする」と話しました。ここにASEANの哲学が表れています。対立しているのにそろってみんな快適になる。そこにインドネシア外交のすごさがあると感じました。

 インドネシアでの収穫は大きなものがありましたね。

 志位 そう思います。私は、記者団の取材で、インドネシア訪問の成果を問われて、「ASEANとインドネシア外交の精神を深く知ることができ、今後の協力の発展の方向、党の『外交ビジョン』の発展のうえで多くのヒントを得ることができました。とくに共通のキーワードとして“対話の習慣”ということが語られたことは、とても印象深いもので、ここインドネシア、ASEANから始まった“対話の習慣”を、時間はかかっても北東アジア、東アジア全体に広げ、この地域に平和をつくるために力をつくしたい」との決意をのべました。

ラオス――東アジアの平和、核廃絶で協力、不発弾問題で連携

初訪問で温かい歓迎――AOIP成功、核兵器禁止条約推進で協力を合意

 次の訪問国はラオスでした。日本共産党の委員長としては初めて訪問となりました。

 志位 今回ラオスを訪問した理由は二つあります。一つは、ラオスは今年、ASEAN議長国になります。これまでラオスはASEANの議長国を2回務めています。前回は2016年で、南シナ海の問題など難しい問題がありましたが、見事に会議を成功に導いたことに私たちも注目していました。今年の議長国として、どういう意気込みでそれに取り組むのかを、ぜひ聞いてみたかったというのが最大の理由です。同時に、この訪問はラオス人民革命党からの公式の招待にもとづくものでした。同党から繰り返し招待があったのですが、なかなか行く機会がつくれなかった。今回こそぜひ訪問してみたいと考えました。

 最初にラオス人民革命党のトンルン・シスリット書記長・国家主席と党首会談を行いました。先方からは、日本共産党の100年を超える歴史へのお祝いがのべられ、私の訪問に対して歴史的だとの評価をいただきました。非常に温かい歓迎を受けました。

 初対面ということもあり、両党関係の今後について話し合いをしました。日本共産党とラオス人民革命党との関係は、両党の指導者レベルとしては、宮本顕治書記長とカイソン書記長が1966年に会談を行っています。以来、アメリカに対するラオス独立戦争への連帯のたたかいなど交流の歴史があります。

 そうした経過を踏まえつつ、私は、両党の伝統的な友好と協力の関係を「21世紀にふさわしい新たな高みに引き上げたい」とし、いくつかの提案を行いました。双方は、▽両党関係の発展によって日本・ラオスの両国・両国民の友好関係をより豊かにしていく、▽世界と地域の平和のためにAOIPの成功や「核兵器のない世界」など一致点での協力を進めていく、▽国際問題での意見交換や党活動の交流のために両党間に効果的な対話のメカニズムをつくっていく――などの点で一致しました。

 私が、AOIPを成功に導くために「両党の協力をいっそう強化したい」と提案しますと、トンルン書記長は、AOIPについて、「ラオスは常に紛争の平和的解決を望み、包摂的に対話し協力することを望んでいます。来年(2024年)1月1日から議長国を務めるけれども、ASEANの中心性と団結を強化するイニシアチブを継続して諸問題に対処し、力強く、粘り強く平和を維持していきたい」とのべました。

 AOIPを協力して推進していくことが、党首レベルで合意になったことは、とても重要だと思います。私たちが事前に渡した資料などもよく読んでくれていて、日本共産党が日本政府に対して行った提言(外交ビジョン)を評価するともいわれました。

 核兵器については、ラオスは常に平和を望んでおり、核兵器禁止を進めることが重要だと、これも協力して進めることで一致しました。

 これが全体の流れです。会談は終始、和やかで、本当に心が通い合う温かい会談となりました。

 ラオスの政権党と、党首レベルで、AOIPの推進、核兵器禁止条約の推進――この二つの大きな課題での協力を合意したのは、非常に重要だと思います。

不発弾問題での対話で信頼がぐっと深まった

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(写真)ラオス人民革命党のトンルン・シスリット書記長(ラオス国家主席)と会談する志位委員長=2023年12月23日、ビエンチャンのラオス人民革命党中央委員会

 不発弾問題でも連携が確認されました。

 志位 はい。トンルン書記長との会談では、不発弾処理の問題が重要な話題になりました。あらためて調べてみますと、ラオスにとってこの問題は非常に深刻です。ラオスは1人当たり世界で最大の爆弾が投下された国と言われています。たいへんに心が痛むのは「戦後」――アメリカとの独立戦争に勝利した1975年以降も2万人もの被害者が出ていることです。

 私が不発弾処理の問題について、ラオスは1人当たり最大の爆弾が投下された国と言われていますというと、トンルン書記長は、身を乗り出してきて、「その通りです」という。当時ラオスは人口が300万人だったが、そこに300万トンもの爆弾が投下され、1人当たり1トンだと。その3分の1は不発弾となり、今でも埋まっている。戦争は終わっているのに子どもたちが犠牲になっているというのです。

 ラオスは、クラスター爆弾禁止条約(2010年発効)に、ノルウェーの次に署名しており、同条約第1回締約国会議はビエンチャン(ラオスの首都)で開かれています。この条約では、クラスター爆弾の禁止とともに、被害者を支援することが明記され、核兵器禁止条約のモデルになった条約ともいわれます。日本もクラスター爆弾禁止条約には参加しています。私は、こうした事実をのべて、クラスター爆弾の不発弾処理問題を解決して、被害者を支援することを、両国の共同事業として取り組んでいきたいと話すとともに、日本共産党としてこの問題を重視して、「しんぶん赤旗」でも継続的に記事を載せてきたと伝えました。

 そうしますとトンルン書記長は、自身が労働大臣を務めていた時期に、不発弾処理の機関をつくって、この問題に取り組んできたというのです。さらにラオスがクラスター爆弾禁止条約の第1回締約国会議を開催したさいに、自身が外務大臣として締約国会議の議長を務めたということでした。この問題に一貫して取り組んでこられた方が、書記長をやっているのです。トンルン書記長は、自身が副首相だった2000年代初頭に日本を訪問する機会があった、そのときに日本共産党の議員が「実のある支援を」と提起した、日本共産党の支援に感謝したいとのべました。

 この対話で、トンルン書記長との信頼関係がぐっと深まり、連携して解決をということを確認しました。この問題での協力の強化という約束を果たしたいと思います。

ASEANは「平等と相互尊重の精神」で運営されている

 ラオスでも外務省と意見交換をされました。

 志位 外務省を訪ねたのは、ASEANとAOIPについてのラオス政府の取り組みについて、さらに聞きたいと考えたからです。そのことを先方に伝えたら、外務省の会合をセットしてくれました。私たちは、トンファン外務副大臣と会談しました。

 今年の議長国としての意気込みが伝わってくる会談でしたが、この会談で、私が、「インドネシアの元外務大臣のハッサンさんとジャカルタで会談した際に、『ASEANでは上下関係はなくコンセンサスでやっています。それは強みです』と言われました。この点についてラオスから見てどうでしょうか」と率直に尋ねました。

 そうしましたらトンファンさんからは、ASEANは、政治、経済、宗教など多様であり、インドネシアは2億人以上の大国、ブルネイは100万人に満たない小さな国だ、経済力もシンガポール、ブルネイは発展しているが、ラオス、カンボジア、ミャンマーは後発途上国だ、しかしASEANには平等と相互尊重の精神がある、重要課題では常に対話しているという答えが返ってきました。

 「平等と相互尊重の精神」で運営されている。インドネシアのハッサン元外相が言ったことと同じことがラオスからも言われたということは、とても大事なことです。インドネシアは大国の側ですが、インドネシアの側だけが言っているのではなくて、小さな国であるラオスもそれをよく理解し、評価しているということがよく分かりました。

 ここにASEANの強みの一つがあるということですね。

 志位 その通りです。インドネシアとラオスでこの強みが共有されていることが、よく分かりました。

闘いをへて勝ち取った独立、美しい自然と文化遺産、優しい穏やかな歓迎

 初訪問でのラオスの印象はどうでしたか。

 志位 ラオスでは、二つの歴史博物館を訪問しました。その展示物を見ていくと、やはり大変な闘いを経て独立を勝ち取ったことがよく分かります。フランス植民地主義者のひどい残虐行為があった。その次に来たのが、「ジャパニーズ・ファシスト(日本の独裁主義者)」だったと展示してありました。日本軍国主義が去った後も、フランス植民地主義者が戻ってきて、残虐行為があって、それを打ち破ったあとにアメリカ帝国主義者がやってきた。それらをすべて打ち破って独立と自由を勝ち取った。こういう点では、ベトナムと同じ歴史を持つわけです。

 ラオスもまた多様な国です。そのことを私たちが案内されたタート・ルアン寺院でも感じました。タート・ルアンという金色の仏塔があって、回廊で囲んである。その寺院に訪問し、「宗教は何ですか」と聞いたら「基本は仏教です」と。2000年前からあるお寺で、仏教が基本で、キリスト教も加わって、そこにヒンドゥー教も加わっているというのです。一つの寺院でも、三つの宗教が共存した寺院というのが、とても印象深かった。

 バンビエンという、ビエンチャン郊外にある観光地にも案内されました。石灰岩でできたラオス特有のとても美しい山と川の風景です。たいへんに美しい自然がたくさんあって、2000年前からの寺院も含めて文化遺産もたくさんあって、ラオスの人々の優しい穏やかな歓迎を受けたというのが印象です。党代表団のみんなが「心があらわれるようだね」という感想を言い合いました。これが初訪問の印象です。

ベトナム――両党が協力して東アジアの平和構築を

外交学院での講演と質疑――東アジアの平和構築のための「二重の努力」

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(写真)ベトナム外交学院で志位委員長の講演をきく学生たち=2023年12月25日、ハノイ

 最後の訪問国は、長い友好関係をもつベトナムです。志位委員長にとっては、5年ぶり4度目の訪問となりましたが、今回はどうでしたか。

 志位 最初に行ったのがベトナム外交学院での講演と質疑でした。外交官などを養成している学院ですが、女性が非常に多かったのが印象的でした。「日本語を勉強している方は何人ですか」と聞いたら、第1外国語にしている人が80人、第2外国語が100人と言っていましたから、相当日本語熱は高いと感じました。私の講演も身近に受け止めてもらったと思います。

 講演は、(1)半世紀以上に及ぶ日本共産党とベトナム共産党の友好と連帯の歴史、(2)東南アジアでの平和の激動と「ASEANインド太平洋構想」(AOIP)、(3)AOIP成功のために――日本共産党としての取り組み、(4)世界の構造変化が生きた力を発揮――平和と社会進歩のために手を携え前にすすもう――という柱で行いました(詳報、本紙12月27日付)。

 ここでは、「AOIP実現のために日本がASEANと協力してできることは」という質問がありました。この質問への回答では、私たちの考え方を発展させた点がありました。

 私は、日本ができることは二つあるとして、その一つは、日本は東アジアサミット(EAS)の公式の参加国の一つだから、このEASを対話の場として活用・強化して発展させることが大事だとのべました。同時にもう一つあるとして、北東アジアの固有の諸懸案の解決に積極的に取り組むことだと答えました。ハッサンさんから指摘があったように、北東アジアには“対話の習慣”が不足している、“対話の習慣”が当たり前になるようにしたいとのべ、そのための試みとして、(1)「日中両国関係の前向きの打開のための提言」を紹介するとともに、(2)朝鮮半島問題の外交的解決、(3)歴史問題の理性的解決、これらの課題に取り組み、さらに前進のためのアイデアを探求する必要があるとのべました。

 つまり日本は東アジアの平和構築のために「二重の努力」を行うべきだということを強調しました。すなわちASEANとともにEASを発展させ、AOIPを成功させるための努力を続けることと同時に、北東アジアの固有の諸懸案を外交によって解決する――これらの両面で“対話の習慣”をつくっていく努力を払うことが必要だ、東南アジアで発展している“対話の習慣”を北東アジアにも広げたい、こういう新しい整理をしたのです。

 インドネシアでの一連の対話を生かして考えてみますと、わが党の「外交ビジョン」では、「二重の努力」のうちの最初の側面をのべたものです。ASEANと協力してAOIPを成功させる、そして、東アジアの全体を平和の地域にしていく、これが基本なのですが、北東アジアには独自の諸懸案があります。その諸懸案について「ASEANまかせ」というわけにはいきません。北東アジアの諸懸案は、北東アジアで解決する努力をやりながら、AOIPを成功させる。EASの場もそういう諸懸案の解決のために役立てていくというような姿勢がいると思うのです。「ASEAN頼み」で東アジアの平和がつくれるわけではなく、北東アジアでは北東アジアの独自の努力がいる――「二重の努力」が必要だと思います。

 講演について、「しんぶん赤旗」ハノイ支局が取材した感想が届いていますので、紹介します。

 日本語学科の1年生――「日本共産党とベトナム共産党の過去、現在、未来をよく知る機会となり、私にとって外交学院で今後4年間勉強する上で記憶に残る、また大きな意味を持つ契機となりました」

 日本語学科2年生――「参加できてとても良かった。志位委員長が話されたオリエンテーション、考え方、政策、さらに政治外交用語も含めて、とても実践的かつ有益でした。また日本共産党とベトナム共産党との関係の歴史と連帯、協力の関係を知ることができたこともたいへんに勉強になりました」

 若いみなさんからのこうした感想はとてもうれしいものでした。

東アジアの平和構築のための「模索と探求」を率直に伝えた

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(写真)ベトナム共産党のチュオン・ティ・マイ書記局常務(右から3人目)と会談する志位委員長(左から3人目)=2023年12月25日、ハノイ

 ベトナムではどのような意見交換が行われたのですか。

 志位 ベトナムでは、2日目(26日)のグエン・フー・チョン書記長との党首会談がもちろん最も重要な会談でした。その前の1日目(25日)にチュオン・ティ・マイ書記局常務との会談を行い、2日目にグエン・フー・チョン書記長との会談の前に、レ・ホアイ・チュン対外委員長との会談を行いました。この三つの会談は連動していて、二つの会談の報告は、グエン・フー・チョン書記長に伝えられていました。ですから一連の会談で私たちが行った発言と、ベトナム側の発言について、まとめて話します。

 ベトナムでは、インドネシアとラオス訪問を通じて、私たちが得た認識の発展も踏まえて、私たちの行っている模索と探求について率直に話しました。私は、日本共産党として東アジアの平和構築について、模索と探求の途上にあります――「模索と探求」という言葉を率直に言って、私たちの考えを伝え、意見交換を行いました。

 私は、要旨、次のような発言を行いました。

 ――5年前にベトナムを訪問した際には、日本共産党として「北東アジア平和協力構想」を提唱しているということを話しました。ASEANのような平和の地域協力の枠組みを北東アジアにもつくりたいという構想です。この構想は、当時、関係国から評価をいただきました。5年前の会談のさいに、ベトナムからも評価をいただきました。しかし、その後の情勢の展開は、北東アジアにそうした平和の新しい枠組みをすぐにつくることは難しいということを示しました。

 ――そういうもとで2019年にASEAN首脳会議でAOIPが採択されました。こういう新しい動きも受けて、わが党として、新しい枠組みをつくるのではなくて、東アジアサミット(EAS)という現にある枠組みを活用し発展させることが現実的だと考えました。そして「外交ビジョン」を2022年1月に提唱しました。いま日本政府がやるべきは、軍事的対応の強化でなく、ASEANと手を携えて、AOIPを共通の目標に据え、東アジアサミットを活用・強化して、東アジアを戦争の心配のない平和の地域にしていくための憲法9条を生かした平和外交にこそある――これがわが党が提唱している「外交ビジョン」です。

 ――今回の3カ国訪問をつうじて、北東アジアと東南アジアの違いは何だろうかと考えました。ASEANでは“対話の習慣”が当たり前のように根付いているが、北東アジアにはそれが欠如している。それはなぜかと考えてみると、北東アジアには東南アジアと比較して次のような困難があると思います。第一に、日米・米韓という軍事同盟、米軍基地が存在している。第二に、米中の覇権争いの最前線に立たされている。第三に、朝鮮半島で戦争状態が終結していない。第四に、日本の過去の侵略戦争と植民地支配に対する反省の欠如という問題があります。

 ――そういう状況にくわえてもう一つ問題があります。北東アジアにはそれだけの難しい問題があるもとで日本政府がどうなっているのかという問題です。グエン・フー・チョン書記長は、この3カ月の間に、バイデン米大統領と習近平中国主席の両方をハノイに迎えて首脳会談を行っています。そのさいにチョン書記長が、バイデン大統領、習近平主席の双方に対して、自主独立と全方位外交というベトナム外交の基本方針とともに「四つのノー」(軍事同盟を結ばず、第三国に対抗するために他国と結託せず、外国軍基地の設置を認めず、武力行使・威嚇をせず)を表明したことに注目しています。そういうベトナムがASEANで重要な地位を占めていることは、ASEANの中心性を保障する重要な柱となっていると思います。ところが日本政府がどうなっているかと考えた場合に、「四つのノー」ではなくて、「四つのイエス」になっている。軍事同盟イエス、ブロック政治イエス、軍事基地イエス、武力の行使・威嚇イエス――「専守防衛」を投げ捨てた大軍拡をやっています。

 ――そういう状況を変えるためにわが党は闘っていますが、日本政府がそういう状況にあるもとで、日本共産党としての独自の努力が必要だと考え、この間、努力をしてきました。「日中両国関係の前向きの打開のための提言」、朝鮮半島問題の外交的解決、歴史問題の理性的解決のために独自の努力をしてきました。

 日中関係については、日中両国政府には両国関係の前向きの打開にむけた三つの「共通の土台」――(1)2008年に交わされた「互いに協力のパートナーであり、互いに脅威とならない」という首脳合意、(2)2014年に交わされた尖閣諸島等東シナ海問題の緊張状態を「対話と協議」によって解決するという合意、(3)東アジアの平和の枠組みとしてAOIPを日中両国政府が支持している――があることに着目して、これらの「共通の土台」を生かして対話によって前に進もうという提案を行い、日中双方から肯定的な受け止めが寄せられました。

 北朝鮮問題については、弾道ミサイル発射には厳しく反対しますが、解決方法は対話しかありません。2002年の日朝平壌宣言に基づいて、核、ミサイル、拉致、過去の清算を包括的解決して国交正常化をはかることが唯一の理性的な解決の道です。その点で、最近、日朝間で接触があったということが報じられており、そういう機会も捉えて、対話のルートの確立することが大事だと主張しています。

 歴史問題については、日本政府が過去の植民地支配に対する真剣な反省と誠実な姿勢を欠いていることが、徴用工問題、日本軍「慰安婦」の問題などの解決の妨げとなっており、友好関係を築く障害となっており、解決していく必要があります。

 ――AOIPを成功させるために両党が協力していきたい。同時に、北東アジアに“対話の習慣”をつくっていくために、わが党として独自の努力をしていくつもりなので、この点でも協力していきたい。

 これが私がベトナム側に伝えた東アジアの平和構築についてのわが党の考えです。

東アジアの平和構築のために国民的・市民的運動を

 ベトナム側の発言はどうでしたか。

 志位 AOIPについてはその成功のために両党で協力していこうということが合意になりました。グエン・フー・チョン書記長との党首会談でも合意になりました。両党で協力してAOIPの成功のための取り組みを推進しようということをベトナム共産党とも党首レベルで合意したというのは、非常に重要だと思います。

 それからベトナム側から、北東アジアと東南アジアの比較はとても興味深く、深みがあるものだが、同時に共通点もあるということが強調されました。それは北東アジアでも東南アジアでも、それぞれの地域の諸民族は、みんな平和を望んでいるということだ、民衆の力は最も重要であり、民衆は平和を望んでいるんだから、民衆が協力して平和をつくることが重要だ――こういう反応がベトナム側から返ってきました。

 これは、私たちが今回の訪問で一貫して強調してきたこととも共通する提起です。すなわち、AOIP成功のためには、各国の政府、政党、市民社会が協力してやっていこうということと共鳴してくる、とても私たちと響き合う反応が返ってきました。

 もう一つベトナム側から返ってきたのは、日本共産党の「日中両国関係の前向きの打開のための提言」について、日中関係の改善に対する努力を高く評価する、ベトナムも日中の友好を支持しているということでした。わが党の「日中提言」は、ASEANの事務局次長にも歓迎されましたが、ベトナムからも歓迎の声が寄せられたことはうれしいことでした。

 とくに、東アジアの平和構築のために、政府と政党と市民社会が協力して取り組んでいくという方向で一致したことは、重要だと思います。核兵器禁止条約も各国政府と被爆者を先頭とする市民社会の共同の産物でした。東アジアに平和をつくろうと思ったら、国民的運動、市民的運動が必要になります。時間がかかったとしてもそれをやる必要はあるのではないかと話したら、賛意を得られました。

 日本共産党とベトナム共産党との両党関係については、ハイレベルの交流、理論交流、国際フォーラムでの協力、国際部門間での協力――これらの4分野で関係を発展させてきたし、今後ももっと発展させようということで合意しました。

枯葉剤被害者支援、ベトナム人労働者の権利の問題について

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(写真)ベトナム共産党のグエン・フー・チョン書記長(右)と握手する志位和夫委員長=2023年12月26日、ハノイ(VNA=ベトナム通信社提供)

 代表団は、枯葉剤被害者支援センターを訪問しました。ベトナム人労働者の問題も話し合われたと聞きます。

 志位 枯葉剤被害者支援と在日ベトナム人労働者の問題でも話し合いました。

 ベトナム人労働者の問題では、実は5年前のベトナム訪問のときに、グエン・フー・チョン書記長に、この問題に取り組んでいくという約束をしました。その後、日本共産党国会議員団がこの問題を重視して取り組んでおり、調べてみたら2019年以降で37回も国会質問で取り上げているんです。不当な大企業による雇い止めの是正を指導させたり、コロナ危機のもとで実習生への給付金支給など、生活支援が行き渡るよう要求するなど、わが党の国会議員団は頑張っています。そういう話を先方に伝えました。これには強い感謝がのべられました。

 そもそも技能実習制度の「国際貢献」という建前が成り立たなくなっており、実態は、低賃金と重労働などで人手不足が深刻な分野への外国人労働者の活用が意図されており、技能実習制度は廃止し、日本で働くことを希望する外国人に労働者としての権利を保障する制度へと、抜本的な見直しを求めていることをチョン書記長にも直接伝えました。

 またマイ書記局常務との会談では、田村副委員長が、外国人労働者の権利を守る自身の国会質問の話もくわしく紹介し、たいへんに気持ちが通じ合う会談となりました。田村さんとマイさんの間では、歓迎夕食会の席で、ジェンダー問題が真剣に議論されました。ベトナムでは男女間の賃金格差がほとんどないわけですが、それを解消していった過程をマイさんが詳しく話し、日本ではこういう遅れがあると田村さんが話し、ジェンダー平等に対するベトナムの努力が伝わってきました。

 枯葉剤の被害者の問題では、私たちは、ハノイの郊外にある枯葉剤被害者支援センターを訪問しました。この被害が今なお続いているという深刻な実態があります。枯葉剤の被害者は現在300万人いるとのことでした。直接浴びた人(1世)とともに、被害者2世、3世、4世まで問題になっているとのことでした。4世だけで3万人いるとのことでした。2世、3世はと聞くと、実態をつかめていないという話です。

 支援センターではリハビリをやったり、重度の人は特別のケアをしたりしています。私たちはセンターに贈り物を届けたいと思い、何が不足していますかと聞いたら、扇風機が不足しているという話だったので、ささやかなものですが24台を買ってお持ちしました。そうしましたら、「贈呈式」をしていただいて、みなさんが集まってくれました。一人ひとりと握手しました。そこで私は、あいさつを求められて、「いまだに世代を超えて、被害が続いていることに胸がつぶれる思いです。日本の原水爆禁止世界大会では枯葉剤被害者への支援を呼びかけて募金などに取り組み、加害国と加害企業に謝罪と補償を求める運動を行っています。ベトナムで『ヒバクシャ国際署名』を100万近く集めてくれたことも忘れません。両国民が力をあわせて、『核兵器のない世界』、大量破壊兵器、残虐兵器のない世界をつくりましょう」と話しました。

 ラオスでは不発弾という形で、ベトナムでは枯葉剤という形で、なお戦争の被害が続いていることを私たちは決して忘れてはなりません。

グエン・フー・チョン書記長との会談――「桜の花と共産主義者の心」が話題に

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(写真)グエン・フー・チョン書記長と志位和夫委員長の会談を1面で伝えるベトナム共産党機関紙「ニャンザン」(2023年12月17日付)

 代表団の最後の日程は、グエン・フー・チョン書記長との会談でした。

 志位 グエン・フー・チョン書記長との党首会談は、いまのべたことの全体が確認された会談となりました。チョン書記長は、「日本共産党代表団の活動が素晴らしい成果を上げたことを、私はもう報告を受けています」と語り、国の発展と国民の幸福のために平和と自主独立の旗をベトナムは掲げているとのべ、東アジアと世界の平和のための両党の協力を促進することに賛成の意を示しました。AOIPを両党が協力して成功に導く、「核兵器のない世界」をつくる――この二つの大きな問題での両党の協力が確認されました。両党関係については、さきほど紹介したいくつかの点での発展が確認されました。

 1994年にグエン・フー・チョンさんがベトナム共産党代表団の一員として来日し、私が団長をつとめた日本共産党代表団と数日間にわたる長時間の会談をしたことが話題になりました。ソ連崩壊直後の困難な時期で、主に国際問題で意見交換を行いました。そのときに、チョンさんは「しんぶん赤旗」の早朝配達にも参加しました。チョンさんは、帰国して、「桜の花と共産主義者の心」というたいへん文学的なエッセーを、党の機関紙である「ニャンザン」に寄稿しました。とても感動的な文章だったので、翻訳して全文「しんぶん赤旗」に載せたことがありました。そんな話題にもチョン書記長はふれて、ほんとうに心が通い合う、温かい会談となりました。

 こうしてベトナム訪問は、今回の訪問の集大成になりました。私たちの「外交ビジョン」のイメージが豊かに膨らみ、それを先方も受け止めてくれたという訪問になりました。

訪問の成果、これをどう生かしていくか

 本当に大きな成果があった訪問でしたが、これをどう生かしていくのですか。

 志位 ASEANの国ぐにの立場から考えてみますと、ASEANの域外の政党で、これだけASEANが提唱しているAOIPについて熱心に推進を訴えている党は他にないと思います。そういう点では、ASEANの側が行っている努力と探求にも響き、会談した方がた、党との関係で、強い絆がつくれた、また絆が豊かになったのではないかと思います。

 党の方針との関係でいえば、2020年の党大会で党の綱領にASEANの重要性を位置付けたこと、この間、「外交ビジョン」や「日中提言」を発表してきたこと、そういう一連の外交方針が、その中心になっているASEANの国ぐにに行って、深く響き合い、さらに、響くだけではなくて私たちの認識が豊かに発展する、方針も発展するという訪問になりました。それは非常に大きな成果と言えると思いますし、今後の日本の闘いにも生かしたいと思います。

 それから、私が、日本共産党代表団の団長として、ベトナムとラオスで政権党の党首と会談し、党首間で、東アジアの平和構築に協力して取り組もう、協力してAOIPを推進しようということを確認したことは、現実の国際政治を前に動かすことに貢献するものであり、非常に重要な出来事となったと思います。

 これを、日本国民の中でいかに世論にしていくかという課題に、ぜひ取り組みたいと思います。東アジアの平和構築というテーマは、ともすると難しくとられがちですが、今回の訪問をつうじて、うんとやさしい言葉で、「“対話の習慣”を東南アジアから北東アジアにも広げよう」というように一言で言えるようになったのではないでしょうか。このことも今後のいろいろな取り組みに生かしていきたいと思っています。

 お話ししてきたように、北東アジアは、東南アジアに比べて、“対話の習慣”という点で不足があり、それを阻む難しい問題もあります。しかし考えてみれば、東南アジアも、ベトナム侵略戦争のときには、「敵対と対立」の地域だったわけです。それが長い期間をかけての対話の積み重ねで平和の共同体に変わっていったのです。ですから、北東アジアでも、平和を願う各国国民の力に依拠するならば現状を変えることはできると確信します。ASEANと協力しつつ、北東アジアにも“対話の習慣”を根付かせ、平和な地域にしていくための努力を、ステップ・バイ・ステップで――一歩一歩進めたいと決意しています。

 最後に、3カ国の歴訪をつうじて、日本共産党の外交方針への評価と期待、日本共産党そのものの発展と成功への期待が、それぞれの立場から寄せられました。これらの期待にこたえて、今年、目前に迫った第29回党大会を成功させ、つよく大きな党をつくり、総選挙での躍進に道を開く年にしていくために力をつくす決意です。

 長時間、ありがとうございました。

代表団の構成

 志位和夫委員長・衆院議員(団長)/田村智子副委員長・参院議員(副団長)/緒方靖夫副委員長・国際委員会責任者/小林俊哉国際委員会事務局次長/井上歩国際委員会局員