志位和夫 日本共産党

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インタビュー・対談

2024年1月1日(月)

日曜版新年合併号 社会主義・共産主義の魅力 「人間の自由」花開く社会

志位委員長が大いに語る


 社会主義・共産主義の最大の特質は「人間の自由」にある―。こう打ち出した日本共産党第29回党大会(1月15~18日)の決議案が注目を集めています。なぜそう言えるのか。志位和夫委員長に、日本民主青年同盟(民青)の中山歩美さん(副委員長)と小山森也さん(埼玉県委員長)が、ズバリ聞きました。


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撮影・野間あきら記者

 中山 民青大会(2023年11月)であいさつしていただき、ありがとうございました。

 志位 みなさん元気いっぱいで、沸きに沸いていましたね。

 中山 2年連続で同盟員の拡大目標達成という歴史的な大会になりました。

 小山 志位さんがあいさつで、社会主義・共産主義社会と「人間の自由」について話され、こんなにも豊かな内容なんだと、すごく共感しました。

 志位 社会主義というと「自由がない」というイメージが強いと思うんですよね。でも、マルクス、エンゲルスが明らかにし、私たちの綱領に明記している未来社会――社会主義・共産主義社会の特徴は、それとは正反対のものなんです。

 大会決議案ではこう書いています。

 「わが党綱領が明らかにしている社会主義・共産主義の社会は、資本主義社会がかかえる諸矛盾を乗り越え、『人間の自由』があらゆる意味で豊かに保障され開花する社会である。『人間の自由』こそ社会主義・共産主義の目的であり、最大の特質である」

 そのうえで、三つの角度から「人間の自由」が花開く未来社会の魅力を提起しました。(1)「利潤第一主義」からの自由、(2)「人間の自由で全面的な発展」、(3)発達した資本主義国での社会変革は「人間の自由」でも計り知れない豊かな可能性を持つ――です。民青大会では“21世紀の日本共産党の「自由宣言」”とも呼ぶべき文書だと話しました。

 中山 「自由宣言」っていいですね。わくわくします。

 小山 志位さんはいまの“資本主義社会がかかえる諸矛盾”を具体的にどうみていますか。

 志位 とりわけ深刻だとみている問題が二つあります。一つは、新型コロナ・パンデミックを経て、空前の規模で格差拡大が進んでいることです。もう一つは、グテレス国連事務総長が「地球沸騰化の時代が到来した」と語った気候危機の深刻化です。この二つは、「資本主義というシステムをこのまま続けていいのか」を問う大問題になっています。

未来社会は魅力がいっぱい

資本主義の「システム・チェンジ」模索

深刻化する格差拡大・気候危機

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 志位 格差拡大では、フランスの経済学者トマ・ピケティ氏が設立した「世界不平等研究所」が2021年12月に発表した調査が、すごい数字を明らかにしています。19年から21年にかけて、世界で2750人前後の「超富裕層」が資産を400兆円以上も増やす一方で、新たに1億人が極度の貧困状態に陥った。上位1%に世界全体の資産の38%が集中し、下位50%の資産は2%にすぎない。これほどまでに格差が広がった社会を人類は許容できるのか。このことが問われています。

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(写真)気候危機打開と脱原発をテーマに行われたイベントで「ワタシのミライは再エネ100パー」などとコールしてパレードする人たち=2023年9月18日、東京都渋谷区

 気候危機でいうと、世界気象機関(WMO)が、2023年は観測史上最も暑い年になるという見通しを出しました。世界各地で豪雨、台風、山林火災、干ばつ、猛暑、海面上昇が大きな被害を出しています。国内でも、高温障害で米が白濁して品質が悪化し、漁業でも海水温が上がりサケやサンマが大不漁です。

 こうしたもとで、若い人の中で資本主義の「システム・チェンジ」を模索する動きが起きています。22年秋に米国・英国・カナダ・オーストラリアで世論調査をしたら、「社会主義は理想的な経済体制か」という設問に18~34歳では4カ国の全てで「同意」が「不同意」を上回りました。

 小山 すごい。

 志位 1990年前後の東欧・旧ソ連崩壊の時期には「もう社会主義は終わった」といわれたものですが、今では「もう資本主義は限界ではないか」といわれ、「社会主義の復権」ともいうべき状況が生まれています。

 中山 すごい変化が世界で起きているんですね。

「利潤第一主義」からの自由 「人間の自由」は飛躍的に豊かなものになる

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(写真)(左から)志位和夫委員長、中山歩美さん、小山森也さん

 中山 大会決議案は、第一の角度に「利潤第一主義」からの自由をあげています。これは、どういう意味でしょうか。

 志位 資本主義のもとで生産は何のために行われるでしょうか。資本主義のもとでの生産の目的・動機は、すべて個々の資本のもうけ――利潤をひたすら増やすことに置かれています。このことを私たちは「利潤第一主義」と呼んでいます。

 「利潤第一主義」に突き動かされて、資本は人間の労働から最大のもうけを搾り出そうとします。そこから長時間労働、「使い捨て」労働、貧困と格差の拡大が起こってきます。

 「利潤第一主義」に突き動かされて、資本は、もうけのためなら地球環境はお構いなし、「あとは野となれ山となれ」とばかりに、「大量生産・大量消費・大量廃棄」に突き進む。その最悪のあらわれが気候危機です。

 「利潤第一主義」に突き動かされて、資本は、「生産のための生産」に猪突(ちょとつ)猛進し、高度な生産力をつくりだしますが、同時に、働く人を搾り上げ、貧困化をすすめ、さまざまな害悪をつくりだします。マルクスは、ここに資本主義というシステムのもつ深い矛盾をとらえたのです。

資本に独占されている生産手段を社会に移す

 小山 「利潤第一主義」という病をどうやったら取り除けるのですか。

 志位 「利潤第一主義」がどうして生まれるか。資本主義社会では、生産手段――工場や機械、土地といった生産に必要なものを資本が握っています。そのことから資本はこれを最大限に使って、自分の利潤を最大にしようとします。「利潤第一主義」は、生産手段を資本が独り占めしているところから生まれるのです。

 それでは、生産手段を資本の手から社会全体の手に移せばどうなるか。生産の目的が、がらりと変わってきます。個々の資本の利潤の最大化から、社会と人間の発展へと、生産の目的が百八十度変わってくる。これを私たちは「生産手段の社会化」と呼び、社会主義・共産主義への変革の中心に位置づけているんです。

社会主義・共産主義は資本主義批判こそ原点

 中山 もう一つ、聞きたいのは、大会決議案が、なぜ「利潤第一主義」からの自由を、「第一の角度」に位置付けたのかということです。

 志位 ズバリ言えば、資本主義批判こそが、社会主義・共産主義の原点だからです。

 国民のみなさんと対話する場合、まず格差拡大、気候危機など、資本主義のもとで現に深刻化している矛盾から話は始まりますよね。つまり資本主義批判から始まる。資本主義批判=「利潤第一主義」から自由になることを「第一の角度」にズバッと据えることで、今の資本主義に矛盾を感じている若者、国民の気持ちにかみ合う形で、私たちが追求する未来社会像とつながるチャンネルができるのではないかと考えました。

 「利潤第一主義」から自由になることで、「人間の自由」は飛躍的に豊かなものになります。搾取や抑圧から自由になる。貧困や格差から自由になる。「使い捨て」労働や長時間労働から自由になる。恐慌や不況から自由になる。環境破壊から自由になる。「利潤第一主義」から自由になったとしても、人間が生きていくためには労働は必要です。ただ、生産者は、自分自身の生産手段で自覚的に働くようになるわけですから、労働のあり方は一変し、人間的で働きがいのあるものとなるでしょう。

 中山 「第一の角度」だけでも、ものすごく展望が開けますね。

マルクス、エンゲルスは「人間の自由」どう論じた

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カール・マルクス

(1818~83年)

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フリードリヒ・エンゲルス

(1820~95年)

 小山 マルクス、エンゲルスは、この問題をどのように論じていたのでしょうか。

 志位 ここで紹介したいのは、マルクスが口述して作成された「フランス労働党の綱領前文」という文書です。1879年に、フランスで全国労働者大会が開かれて、激しい論争の末、ジュール・ゲードという人を中心とするマルクス派の社会主義勢力が勝利をおさめ、フランス労働党の結党が決議されます。

 その時に、ゲードらは、マルクス、エンゲルスに党綱領をつくる上での援助を申し入れます。

 1880年5月に、ゲードがマルクス、エンゲルスの住むロンドンにやってきて、エンゲルスの家でマルクスと会い、綱領草案作りの作業をしました。作業といっても、マルクスがエンゲルスの目の前でゲードに口述筆記させたのです。ここでとても注目すべきは、「人間の自由」をキーワードにして、マルクスが社会主義を論じていることです。ちょっと読み上げてみますね。(別項1)

別項1 「フランス労働党の綱領前文」

(マルクス、1880年)から

 「…生産者は生産手段を所有する場合にはじめて、自由でありうること、
生産手段が生産者に所属することのできる形態は、次の二つしかないこと、
一、個人的形態―この形態は普遍的な現象であったことは一度もなく、また工業の進歩によってますます排除されつつある、
二、集団的形態―この形態の物質的および知的な諸要素は、資本主義社会そのものの発展によってつくりだされてゆく、
…フランスの社会主義的労働者は、経済の部面ではすべての生産手段を集団に返還させることを目標として努力する…」

 ここでマルクスは、「生産者は生産手段を所有する場合にはじめて、自由でありうる」と言っているでしょう。

 中山 「自由」という言葉で特徴づけていますね。

 志位 そう。生産者が、生産手段と切り離されて、他人の生産手段のもとで労働させられると、他人の指揮のもとで働かされることになり、その成果も他人の物になってしまう。そこでは必ず搾取と抑圧ということが起こります。つまり「自由」ではありえない。ここから出発して、マルクスは、驚くようなシンプルな論理で、「生産手段を集団に返還させる」=「生産手段の社会化」を導きだしています。

 中山 なるほど。

 志位 どうやったら自由になれるかといえば、生産者自身が生産手段を持つ場合に初めて自由になれる。その場合に方法は二つしかありません。

 一つは、個人で小さな生産手段を持つことです。たとえば自分の小さな土地で耕作する農民や、自分のわずかな用具で物をつくる職人などの小経営です。しかし、これは資本主義の発展のもとで「ますます排除され」ていくことになります。

 もう一つは、集団で生産手段を持つことです。この形態の「物質的および知的な諸要素」は、資本主義そのものの発展のもとでつくりだされていきます。

 こうして「自由」をキーワードにして、「生産手段の社会化」という社会主義的変革の内容を、わずか数行の論立てで一気に導きだしている。

 小山 目からうろこのような論ですね。(笑い)

 中山 やっぱりマルクスは達人ですね。(笑い)

 志位 そうですね。自由を得るためには生産手段を持つことが必要だが、一人では持てないから、みんなで持とうというのが「生産手段の社会化」だと。達人だからこそ一番のポイントを短くいうことができたと思います。

 1880年というとマルクスの最晩年です。彼が探求してきた未来社会の姿も成熟した段階です。そういう時期のマルクスが、未来社会への変革を「自由」というキーワードと一体に論じたことは、深い意味をもっていると、私は思います。ここで言われている「自由」とは、まずは搾取からの自由、抑圧からの自由を意味していると思いますが、それにとどまらず、この後説明する「人間の自由で全面的な発展」につながる自由も含まれているように思います。

「人間の自由で全面的な発展」 真の自由の輝きはここにある

 中山 大会決議案がのべている第二の角度は、「人間の自由で全面的な発展」です。志位さんは、民青大会でのあいさつで、ここでの「自由」という言葉の意味は、第一の角度の「自由」とは違った意味だと言われました。

 志位 はい。第一の角度で使った「自由」は、他者からの害悪――「利潤第一主義」の害悪を受けない「自由」です。そういう意味では消極的な自由ともいえます。第二の角度での「自由」は、自分の意思を自由に表現することができるという意味での「自由」です。そういう意味では積極的な自由ともいえると思います。

 そして大会決議案が強調しているのは、未来社会――社会主義・共産主義社会における「自由」は、「利潤第一主義」からの自由にとどまるものではない。「利潤第一主義」からの自由を獲得しただけでも、「人間の自由」は豊かに広がるわけですが、未来社会における真の自由の輝きは、実は、その先にある。すなわち「人間の自由で全面的な発展」のなかにこそあるということなんです。

 小山 「利潤第一主義」からの自由だけでも魅力たっぷりですが、本当の魅力はその先にあると。

 志位 そうです。まだまだ先がありますよ、という組み立てになっています。

各人の自由な発展が万人の自由な発展の条件である社会

 小山 「人間の自由で全面的な発展」とはどういうことか。さらにお話しください。

 志位 エンゲルスは、その最晩年の1894年に、イタリアの社会主義者のジュゼッペ・カネパという人から手紙をもらいます。カネパは、来たるべき社会主義社会の基本理念を簡潔に表現するスローガンを教えてくださいという質問をしました。

 この手紙への返事で、エンゲルスが一言でいうのは難しいといいつつ紹介したのは、マルクス、エンゲルスが、1848年に書いた有名な著作『共産党宣言』のなかの次の一節でした。

 「各人の自由な発展が万人の自由な発展の条件であるような一つの結合社会」

 中山 「各人の自由な発展」という言葉が出てきますね。

 志位 はい。これはどういう意味かといいますと、人間は誰でも自分の中に素晴らしい可能性を持っています。ある人は科学者になる可能性を持っている。ある人は芸術家になる可能性を持っている。ある人はモノづくりの可能性を持っている。ある人はアスリートになる可能性を持っている。人間は誰でも自分の中にたくさんの素晴らしい可能性を持っている。それが科学的社会主義の人間観なんです。

 ところが資本主義のもとでは、そういう素晴らしい可能性を持っていながら、それを実現できる人、のびのびと可能性を生かしている人は一部に限られています。素晴らしい可能性を持っていながら埋もれたままになってしまっている場合が少なくない。マルクスとエンゲルスは、これを変えたいと思ったんですね。

 「各人が自由に発展」できる社会をどうやったらつくることができるか。これは二人が、若いときから亡くなるまで一貫して社会主義・共産主義に求め続けたことでした。

最初は「分業廃止」提唱

 志位 二人が最初に出した答えは、「社会から分業をなくせばいい」というものでした。たとえば当時、産業革命によって機械制大工業が発展するもとで、労働者は機械による生産の一部分に縛り付けられて、生涯働かされている。こうした分業こそが「悪の根源」であり、それをなくせば人間が自由に発展する社会をつくることができる。マルクス、エンゲルスはそのように考えました。

 マルクス、エンゲルスが初期の時期に書いた『ドイツ・イデオロギー』という労作があります。1845~46年に書いたもので、生まれたてホヤホヤの科学的社会主義のいろいろな要素が出てきますが、その中では「分業の廃止」という構想が書かれています。その部分を紹介します。(別項2)

別項2 「ドイツ・イデオロギー」

(マルクス、エンゲルス、1845~46年)から

 「各人が活動の排他的な領域(分業のことです――引用者)をもつのではなく、むしろそれぞれの任意の部門で自分を発達させることができる共産主義社会においては、社会が全般的生産を規制し、そして、まさにそのことによって私は、今日はこれをし、明日はあれをするということができるようになり、狩人、漁師、牧人、あるいは批判家になることなしに、私がまさに好きなように、朝には狩りをし、午後には釣りをし、夕方には牧畜を営み、そして食後には批判(哲学のこと)をするということができるようになる」

 志位 とても牧歌的な構想ですが、分業をなくせばみんなが自由に発展できるようになると考えたのです。これは、二人が最初の時期から、人間の自由で全面的な発展を共産主義の根本的内容として追求していたことを示すものだと思います。

 『ドイツ・イデオロギー』では、共産主義社会について、「個人個人の独自(オリジナル)な自由な発展がけっして空文句でない唯一の社会」という特徴づけも行っています。

 中山 『共産党宣言』の「各人の自由な発展が…」につながるものですね。

 志位 『共産党宣言』では、「各人の自由な発展が…」の一節が、第2章の終わりに突然現れますが、そのもとになる考えは『ドイツ・イデオロギー』ですでにのべられていたんですね。

最終的に得た解決策は労働時間の抜本的短縮

 小山 でも分業をなくすことはできませんね。

 志位 そうですね。社会全体から分業をなくすことはありえません。どんなに社会が発展したとしても分業は必要であり、社会全体から分業をなくしてしまったら、社会が成り立たなくなりますね。

 マルクス、エンゲルスは、「分業の廃止」は現実ではありえないし、解決の道ではないと気づき、この考え方を乗り越えていきます。彼らが最終的に得た結論は、「労働時間を抜本的に短くする」というものでした。社会主義・共産主義の社会は、「労働時間の抜本的短縮」を可能にする。そこにこそ、「人間の自由で全面的な発展」の保障がある。この結論は、『資本論』のなかにはっきりと書き記されました。

 中山 『資本論』のなかでの未来社会論をお話しください。

 志位 その叙述は、『資本論』三部第七篇第四八章「三位一体的定式」のなかに出てきます。この部分は、マルクスが残した草稿をエンゲルスが編集したものですが、びっしりと書かれた、見出しもない、段落すらない文書のなかに、突然出てくる。これまであまり注目されてこなかった叙述でしたが、それを不破哲三さんが研究を進める中で発掘し、マルクスの社会主義・共産主義論の一番の核心部分をのべている叙述だと光をあててきたものです。新版『資本論』では、エンゲルスの編集についての研究にもとづき、この部分は第四八章「三位一体的定式」の冒頭に移されています。

 詳しくは、『資本論』そのものと不破さんの研究にあたっていただければと思うのですが、マルクスは『資本論』のこの叙述のなかで、人間の生活時間を二つの領域――二つの「国」――「必然性の国」と「真の自由の国」に分けています。「国」といっても何かの地域のことではありません。人間の生活時間を、「必然性の国」と「真の自由の国」という独特の概念に分けて、のべているわけです。

 「必然性の国」とは、物質的生産のための労働時間――自分自身とその家族、社会全体の生活を維持するため、どうしても必要で余儀なくされる労働に費やす時間です。どうしても必要で余儀なくされる労働ですから、本当に自由な人間活動とは言えません。そこで「必然性の国」とマルクスは呼んだのです。

 もう一つは、それ以外の何に使ってもよい、人間がまったく自由に使える時間です。自分と社会にとっての義務から解放され、完全に自分が時間の主人公となる時間。人間が自分の力をのびのびと自由に伸ばすことそのものが目的となる時間。マルクスはこれを「真の自由の国」と呼びました。それはどこにあるのかと言いますと、「必然性の国」を乗り越えた先にある。

 この叙述のなかでマルクスは、社会主義・共産主義社会に進むことは、「必然性の国」においても、自然との物質代謝が合理的に規制され、労働の性格も合理的で人間的なものに大きく変化するなど、「自由」の素晴らしい発展をもたらすことを明らかにしていきます。同時に、そうであっても、どうしても必要で余儀なくされる労働ですから、それは依然として「必然性の国」であること、「真の自由の国」はその先にあることを明らかにし、「真の自由の国」の飛躍的拡大のなかに社会主義・共産主義社会の何よりもの特質を見いだし、人間と社会の飛躍的発展の展望を見いだしました。この叙述は、次のたいへん印象的で簡明な言葉で結ばれています。「労働日の短縮が根本条件である」

みんなが十分な自由時間を持ち力を自由に発展させられる社会

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(写真)(左から)志位和夫委員長、中山歩美さん、小山森也さん

 志位 労働時間が抜本的に短縮されて、たとえば1日3~4時間、週2~3日の労働で、あとは自由時間(中山「すごい」)となったら、あなただったら何をしたいですか。

 中山 下手の横好きで、フルートを吹いています。もう少しうまくなりたいです。

 小山 私は旅行が好きで日本のいろんな場所に行ってみたいです。

 志位 フルートをやったらすごい才能があるかもしれない。旅行を積み重ねたら新しいものが見つかるかもしれない。みんなが十分な自由時間をもち、自分のなかに眠っている力を存分に発展させることができるようになったら、社会全体の素晴らしい発展につながっていきますね。「万人の自由な発展」につながる。それが労働時間をますます短くし、人間の発展と社会の発展の好循環が生まれてくる。マルクスはこういう大展望を明らかにしていったんですね。

 中山 なるほど。わくわくします。

 志位 ところで、この人間の生活時間の二つの領域――「国」で、分業はどうなるでしょうか。「必然性の国」では、分業は避けられません。人間が生きていくためにどうしても必要なものをつくらなくてはならないからです。ところが、「自由の国」は、もともと必要で余儀なくされる労働ではなく、一人ひとりの人間の自由な活動ですから、そこには分業はありません。ですから『ドイツ・イデオロギー』でマルクス、エンゲルスがのべた「分業の廃止」という構想を、『資本論』では発展的に生かし、未来社会論を仕上げていったということも言えるのではないでしょうか。

 中山 なるほど。

 小山 マルクスの問題意識の中に、つねに人間の自由があったということですね。

 志位 そうですね。人間の自由、人間の解放こそが、マルクス、エンゲルスが一貫して追求したことなんです。

「利潤第一主義」からの自由は「人間の自由で全面的な発展」の条件

 小山 すべての人間が自由な発展をできるようになる条件は、労働時間の抜本的短縮ということでしたが、社会主義・共産主義の社会では、どうしてそれができるようになるのですか。

 志位 労働時間の抜本的短縮がなぜ可能になるのか。大まかに言って二つあります。

 第一に、「利潤第一主義」からの自由――「生産手段の社会化」を実現すると、人間による人間の搾取がなくなり、社会のすべての構成員が平等に生産活動に参加するようになります。その結果、1人当たりの労働時間が大幅に短くなる。さきほど紹介した「必然性の国」を小さくし、「真の自由の国」を大きくすることになります。

 第二は、「利潤第一主義」から自由になると、資本主義に固有の浪費をなくす道が開かれるということです。資本主義は一見、効率的に見えますが、これほど浪費的な社会はありません。資本主義のもとでは、恐慌、不況が繰り返され、なくなることはありません。いったん恐慌になったら、一方で、街に労働者が放り出され、他方で、工場の機械は止まっている。まさに社会的規模での浪費そのものです。さらに、「利潤第一主義」に突き動かされて、「大量生産・大量消費・大量廃棄」が起こることも、浪費の深刻なあらわれです。その最も重大な帰結が、いま私たちが目にしている気候危機です。これらの浪費がなくなれば、労働時間はうんと短くなり、「真の自由の国」はさらに大きくなる。

 中山 大会決議案でのべている第一の角度と、第二の角度は、つながっているんですね。

 志位 そうです。第一の角度――「利潤第一主義」からの自由を得ることは、第二の角度――「人間の自由で全面的な発展」の条件になってくる。そして第一の角度にとどまらず、その先の第二の角度までいったところに、私たちのめざす未来社会の真の輝きがある。そういう論の組み立てになっています。

 中山 一歩、さらに一歩と、「人間の自由」が広がっていくという論になっているんですね。すごく面白いです。

発達した資本主義国での社会変革 「人間の自由」でも計り知れない豊かな可能性

 中山 いよいよ第三の角度です。

 志位 日本における社会変革の事業は、発達した資本主義国での社会変革となります。そのことは、「人間の自由」という点でも計り知れない豊かな可能性を持つ、というのが三つ目の角度です。発達した資本主義国から社会主義に踏み出した経験は、人類はまだ誰も持っていませんね。

 小山 そうですね。

 志位 人類未踏の事業なのですが、日本共産党は4年前の大会で綱領を一部改定し、その壮大な展望を明らかにしました。

資本主義で発展した五つの要素を土台に

 志位 改定綱領では、資本主義の発展のもとで、つぎの五つの要素が豊かな形でつくりだされるとしています。第一は、高度な生産力。第二は、経済を社会的に規制・管理する仕組み。第三は、国民の生活と権利を守るルール。第四は、自由と民主主義の諸制度と国民のたたかいの歴史的な経験。第五は、人間の豊かな個性です。

 この日本で考えてみても、いろいろな弱点やゆがみもありますが、これらの要素がつくりだされてきています。これらの五つの要素を、すべて受け継いで、発展させ、開花させる――これが発達した資本主義国における社会主義・共産主義の展望になります。豊かな到達点を土台にして先に進むわけですから、「人間の自由」という点でも、計り知れない豊かな可能性をもつことになる。これが私たちの展望なんです。

 中山 うん、うん。

 志位 4年前の綱領一部改定で「発達した資本主義国での社会変革は、社会主義・共産主義への大道である」と明記しました。これはロシア革命以降の歴史的経験をふまえたものであるとともに、資本主義の発展のなかで未来社会にすすむ諸要素が豊かな形でつくりだされるという理論的な展望を踏まえたものなんです。

旧ソ連や中国のようにならない保障はどこに

 小山 青年との対話では、旧ソ連や中国のような自由がない社会にならないか心配する声が出ます。

 志位 それは心配ご無用ですよ。絶対にそうならない二つの保障があります。

 第一の保障は、日本共産党綱領での公約です。私たちの綱領は、「社会主義・共産主義の日本では、民主主義と自由の成果をはじめ、資本主義時代の価値ある成果のすべてが、受けつがれ、いっそう発展させられる」と明記しています。「さまざまな思想・信条の自由、反対政党を含む政治活動の自由は厳格に保障される」として、一党制はとらない、特定の世界観を国民に押しつけることは絶対にしないと約束しています。

 第二の保障は、日本での社会主義・共産主義をめざす事業は、発達した資本主義国を土台にして社会変革をすすめるという事実のなかにあります。1917年のロシア革命、1949年の中国革命との条件の違いを考えてみてください。両方とも、資本主義の発達が遅れた国から革命が出発しました。

 中山 さきほどの五つの要素がないところから始まったと。

 志位 そうです。五つの要素がないか、弱いところから出発しました。そういう出発点の歴史的遅れに加えて指導者の誤りがあり、いろいろな問題が引き起こされました。

 1917年のロシア革命の前のロシアでは、ツァーリと呼ばれた皇帝が絶対権力を持ち、人民にはまったく権利が保障されていませんでした。ドゥーマと呼ばれた国会が一応あったけれど、権限はまったくありませんでした。

 中国革命の場合はどうだったのか。中国では、1911年から12年に辛亥革命が起こり、中華民国という民主共和制の国になりますが、軍閥が割拠しており、日本の侵略があり、革命前の中国には議会はありませんでした。

 こうしてロシア革命も中国革命も、自由、民主主義、人権、議会がないか、たいへんに未成熟なところから出発したのです。

 もう一つ決定的なのは、住民の文化水準の問題でした。ロシア革命直後の住民の識字率は32%、7割は字が読めませんでした。中国革命についても革命直前の識字率は17%、8割以上は字が読めませんでした。こういう立ち遅れは、自由や民主主義をつくるうえでも大きな障害になったと思います。

 ですから国の指導者は、そういう遅れを自覚して民主主義や自由の制度をつくる努力が必要でした。ところがそうした努力が十分にされず、重大な誤りも起こりました。旧ソ連の場合には、スターリンの時代に大量弾圧が行われ、一党制が固定化されました。この一党制は、中国にも輸出されて今の体制にもつながりました。出発点が全く違うわけです。

 中山 なるほどそうですね。

 志位 日本の場合は、曲がりなりにも日本国憲法が施行されて七十数年間、自由、民主主義、人権の制度があって、議会制民主主義も行われてきて、いろいろと逆流もあるけれども、国民のたたかいによってこれらの制度を育ててきたわけです。これらを土台にするわけですから、自由のない社会への逆行など、起こりえない。

 小山 国民のたたかいというところが大事ですね。

 志位 その通りです。綱領で「自由と民主主義の諸制度と国民のたたかいの歴史的経験」(下線・引用者)とわざわざ書いたのはそういう意味です。いまわれわれが、自由、民主主義、人権を守り、豊かにするたたかいをやって、歴史的経験を蓄積していくことが、歴史の逆転を絶対に許さない最大の保障になるのです。

 中山 いまの私たちのたたかいが壮大な未来につながると考えると、とても身近だし誇りに思えます。

 志位 そうですね。たとえばいま私たちは労働時間を短くしようと頑張っていますが、これも未来社会における「真の自由の国」の拡大につながっていきますよね。いまのたたかいが、いろいろな段階を経ることになりますが、未来に地続きでつながっていく。未来社会の展望がうんと語りやすくなったのではないですか。

 中山 ほんとうにそう思います。

綱領改定が可能にした自由論の発展 未来社会の魅力を大いに語ろう

 小山 なぜ今、こうした未来社会論をまとまった形で提起されたのですか。

 志位 今日お話ししてきたように、社会主義・共産主義社会こそ「人間の自由」が最も豊かに花開く社会だということを、青年をはじめ多くの方々に伝えることができたら、日本共産党や民青への理解がグーンと広がると考えたからです。

 この間の経過で言いますと、日本共産党は残念ながら、1980年代、90年代以降、党勢が後退してきました。いろいろな要因がありますが、大きな客観的要因の一つとして、東欧・旧ソ連の体制崩壊などのもと、社会主義へのマイナスイメージが広がったという問題があったと思います。しかし、ここにきて、むしろ“資本主義の方が危ういのでは?”となっているのではないでしょうか。

 小山 なっています。青年と対話すると実感します。

 志位 資本主義の先の社会を考えてみようという機運が世界でも日本でも高まってきていると思います。一方、日本共産党自身も、今日お話しした三つの角度からの「人間の自由」という提起ができるようになった。2004、2020年の2回の綱領改定がこうした「自由論」の発展を可能にしました。

 04年の綱領改定は、生産物の分配を基準に社会主義をとらえるという間違った読み方をただして、「生産手段の社会化」を社会主義的変革の中心にすえ、「人間の自由で全面的な発展」を未来社会論の「核」にすえた重要な改定となりました。

 20年の綱領一部改定は、「発達した資本主義国での社会変革は、社会主義・共産主義への大道」という未来社会論にもう一つの「核」をくわえる改定を行い、その豊かな展望を明らかにする、これも重要な改定となったと思います。

 二つの綱領改定が、大会決議案の三つの角度からの「自由論」の土台になっています。このように「自由論」を発展させているのは、世界でもおそらく日本共産党だけではないかと思います。

 一方で、資本主義の限界が手にとるように見えるようになってきた客観的な情勢の変化があります。他方で、日本共産党の理論も綱領改定を経て、「自由」という問題を太く押し出せるようになり、うんと話しやすくなってきたと思います。「日本共産党」という名前を掲げている以上、共産主義こそ自由なんだ、自由が一番輝いているんだ、と胸をはって言えるようになることが大切ですよね。今度の解明は絶対に力になると思います。

 小山 すごくわくわくしました。未来社会の魅力をぜひとも語っていきたいです。

 志位 大会決議案で提起した「自由論」は、マルクス、エンゲルスの探求を現代に生かすものだということも間違いなく言えると思います。大会で大会決議案が採択されれば、国民のなかに大々的に広げていきたいと考えています。

 中山 日本では青年の中で、まだ社会主義が魅力的なものと映っていない面もあります。魅力が伝われば、一気にぐっと世論って広がるのかなって思います。

 志位 そうですよね。資本主義が続くのは世の中の宿命だと思っている人は多いと思います。「これを変えられる」ということがわかったら、すごい希望じゃないですか。

 中山 希望です。力が湧いてきました。

 中山・小山 今日はありがとうございました。

 志位 ありがとうございました。