志位和夫 日本共産党

力をあわせて一緒に政治を変えましょう

インタビュー・対談

2016年1月1日(金)

日曜版新年合併号 2016新春対談

「国民連合政府」志位さんからオーラ 元朝日新聞コラムニスト・早野透さん

政治を変えるにはこれしかない 日本共産党委員長・志位和夫さん


 40年以上、日本の政治を見続けてきた元朝日新聞コラムニストの早野透さん(桜美林大学教授)と日本共産党の志位和夫委員長―。2016年の新春対談では、「国民連合政府」構想、戦後の保守政治からみた安倍政権、そして今年のたたかいの展望まで縦横に語りあいました。


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 志位 あけまして、おめでとうございます。

 早野 おめでとうございます。昨年は、安保法案(戦争法案)のたたかいで、何度も国会前に行きました。取材でなく「参加したい」という気持ちで。

 志位 昨年は、戦争法という悪法が強行されましたが、それに対するかつてない豊かで力強い国民運動が起きた年でもあります。悪いことと、良いことが、鮮やかなコントラストをなして起きました。良い流れに自信を持って発展させていきたいです。

 早野 志位さんはこれまでもへこたれないで、よし元気にやろうとやってきましたよね。

 志位 それは一貫していますよ。(笑い)

 早野 それが見事に表れたのが「国民連合政府」の提案だと思います。これまでの共産党の提案は「なるほど正論だな」と思うけど、僕らの言葉でいえば「政局」に入ってこなかった。でも今回は政局のテーマになっている。ここが面白い。

 志位 本気で戦争法を廃止し、立憲主義を回復しようと思ったら、それを実行する政府をつくるしかない。政府をつくろうと思ったら、本気の選挙協力をするしかない、ということで提案しました。日本の政治を本気で変えるならこれしかないと。

 早野 記者としてみても、具体的で現実性のあるチャレンジです。言いすぎかもしれないが、志位さんからオーラが出てきましたね。(笑い)

 志位 そうですか?(笑い)

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(写真)はやの・とおる=1945年生まれ。68年に東京大学卒業、朝日新聞社入社。政治部次長、編集委員、コラムニストを歴任。2010年から桜美林大学教授。著書に『田中角栄 戦後日本の悲しき自画像』など多数

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(写真)しい・かずお=1954年、千葉県生まれ。1990年に書記局長、93年衆院選で初当選(衆院議員8期目)、2000年から幹部会委員長

 早野 私は(自民党の)田中角栄(元首相)をずっと取材してきました。「列島改造」をやっているときは、マイナス点もいっぱいあったが真剣だった。政治家が本気でやるときは、迫ってくるものがある。それを思い出します。

 志位 ありがとうございます。提案を出した以上、困難があってもひるまないで、最後までやり抜きたいと思っています。

 早野 国会前の集会に行くと、SEALDs(シールズ=自由と民主主義のための学生緊急行動)の諸君、生きいきとした若い人たちが、たたかいの中心にいました。それから(安保関連法に反対する)ママの会、「総がかり」…。

 志位 「戦争させない・9条壊すな! 総がかり行動実行委員会」ですね。政治学者の中野晃一さん(上智大学教授)は、平和運動を長年、地道に、こつこつやってきた人たちが「総がかり行動実行委員会」をつくり、運動の共同の「敷布団」になったとおっしゃっていました。そこにシールズ、ママの会、安保関連法に反対する学者の会など、たくさんの自発的な意思で立ち上がった方々が「掛け布団」になった。両方ないと暖かくならない、と。うまいことをいうなあと思いました。

 早野 このところ、こういう心をわきたたせるたたかい、政治行動はなかったと思いますね。

 志位 少なくとも私は初めての経験です。

 早野 志位さんの長い政治経験でも?

 志位 一人ひとりが、主権者として、自分の頭で考え、自分の言葉で語り、自分の足で行動する。本当に自由で自発的な運動です。60年安保(改定反対闘争)はもちろん偉大な闘争だったんですが、労組の動員が中心だった。この闘争とも違う、戦後かつてない新しい国民運動といえるのではないかと思いますね。

生きた言葉で

 早野 みんな、ちゃんと自分の言葉で語るんですよね。

 志位 みんなの言葉が生きて輝いている。すごいなと思ったのは、シールズの女子学生の方が「空気は読むものじゃなくて、変えるものだ」と。

 早野 なるほど。いい言葉だ。見事だなあ。

 志位 ママの会のスローガンは「だれの子どももころさせない」。「ころさせない」というところがすごい。「殺されない」だけでなく、殺しちゃダメだと。

 早野 政治主体である市民という意識がちゃんと反映しているんですよね。「ころさせない」というところに。

 志位 みんな一人ひとりの心の奥底から出てきた言葉ですね。誰かにいわれたことじゃないですよね。

 早野 本当に時代が動いている。

 志位 新しい時代が始まったことを感じます。

 早野 政治的感性が本物になってきたというか、自分のものになってきています。

 志位 自発的な運動だから、昨年9月19日に国会成立が強行されても運動は止まるのでなく、それを出発点にまた広がっているじゃないですか。

 早野 いずれにせよ、「敷布団」は大事だったんだな。

 志位 中野さんいわく、「掛け布団」だけじゃ寒くて、ごつごつする(笑い)。両々あいまって、すごい流れをつくりだしていると思いますね。

国民のたたかいと国民連合政府

「とりあえず」「暫定」でいいの 早野

そこがいい。「違い横に置く」 志位

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(写真)「戦争法案絶対いらない」と国会正門前でコールする学生たち=2015年8月7日

 早野 そこで今回の「国民連合政府」の提案です。提案されたのは、9月19日の午後でしょう。この日の未明に安保法案は強行採決され、成立した。そうすると志位さんはあの夏、みんなが反対で頑張っている頃からこれを考えていたの? だって1日ではできないでしょう?

 志位 もちろん、廃案の可能性が1%でもある限り、最後まで廃案のために全力を尽くします。しかし、同時に、政党の責任として、安倍政権が強行してきた場合、その先をどうするかは考えていましたね。考えに考えていました。

 早野 そうか。やっぱり。1人で考えていたんですか?

 志位 お盆のころからいろいろ考えていましたが…。強行採決の1週間くらい前までには、党の3役(委員長、書記局長、副委員長)や常任幹部会で相談しました。

 早野 僕らはメディアだから、起きたことを追っかければいいんだけど。安倍政権とたたかうには、それぐらいの奥行きのある思考をしておかないと勝てませんからね。

 志位 国民のみなさんが頑張り、あれだけのたたかいをやってきた。しかし強行されれば新局面になります。国民のたたかいの発展のうえでも、すぐに次の方向を提案することは、政党の責任だと考えました。法案成立後に廃止を目指す運動というのは、あまりやったことがありません。それでも今度の戦争法ばかりは、そのままにしておけませんからね。

いたって簡単

 早野 そうですね。今回の提案は、戦争法を廃止し、(集団的自衛権行使を容認した14年7月の)閣議決定を撤回する、そのための政府をつくる。そのために野党は選挙協力するというものですね。

 志位 そうです。いたって簡単です。基本政策の違いを横において、戦争法の廃止と立憲主義の回復――この一点で連合政府をつくろうというのが今回の提案です。一点での政府ですから、暫定的な性格の政府になります。

立憲主義回復は最優先課題

 早野 分かりやすいんですが、「さしあたり、横に置いて、とりあえず、暫定政権」みたいのでいいんでしょうか?

 志位 そこがいいんです(笑い)。野党の間に基本政策の一致があれば、本格的な連立政権をつくればいい。でも今は、そういう一致はない。「ない」という現実から出発して、安倍政権を倒し、戦争法を廃止し、立憲主義を取り戻すにはどうしたらいいかを考えなければなりません。

 与党からは「野合だ」という批判も伝わってきます。ただ、戦争法廃止と立憲主義の回復は、あれこれの個々の政策問題と次元が違う、国の土台、根幹にかかわる問題です。立憲主義が壊されたら、独裁政治の始まりです。それを許さず、日本の政治に立憲主義と民主主義を取り戻すことは最優先中の最優先。ほかの課題を横に置いてもやる必要があります。

 早野 そうか。横に置くべき課題も重要だけど、もっと根底的なものが侵されているから、「さしあたり、横に置いて、とりあえず、暫定政権」でたたかうと。こういうことですな。

 志位 「暫定」というのが、かえっていいんですよ。

 早野 「暫定」より、もうちょっとやってもらっても。(笑い)

 志位 欲ばるとうまくいかない(笑い)。本格的な10~20年続くような政権をつくるには、基本政策の一致がないとできません。そこはやっぱり、割り切って「暫定」で、この仕事をやりきったら解散・総選挙でその先の進路について審判を仰ぐ。仰いだら、もっとすすんだ課題を実行できる政権に発展していける可能性があると思います。

戦争法と一体で無法が次々

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(写真)国会を取り囲み、戦争法案廃案、安倍首相退陣を求めてコールする人たち=2015年8月30日、国会正門前

 早野 志位さんの構想は、非常に納得できます。論理的だし。ただ立憲主義というのはどういうことなのか、モヤッともしています。

 志位 立憲主義とは、簡単にいえば、憲法によって権力をしばるという考え方です。そこが今、壊れている。憲法を無視して、権力が暴走を始めたら、独裁政治になる。誇張ではなく、戦争法の国会成立強行と一体に、憲法や法の支配を無視した無法が、どんどん始まっています。たとえば沖縄への仕打ちは、独裁政治そのものだと思いますね。

 早野 そうですな。

 志位 野党が臨時国会召集を要求しました。憲法53条には、衆参両院いずれかで総議員の4分の1以上の要求があれば「内閣は臨時会の召集を決定しなければならない」と規定していますが、握りつぶしてしまう。

会計検査院も

 最近、驚いたことの一つに憲法90条にかかわる問題があります。憲法90条には「国の収入支出の決算は、すべて毎年会計検査院が検査する」と書いてあります。会計検査院が、秘密保護法はこの規定に抵触する恐れがあると内閣官房に指摘したのに、安倍政権は無視して成立させてしまった。憲法、法の支配、立憲主義が土台から壊されつつあります。

 早野 立憲主義がなくなれば、無法の権力になるということですね。

 志位 そうです。法の支配にかわって、人の支配になる。まさに独裁です。だから戦争法ばかりは、どうしても廃止して、立憲主義を取り戻すことが必要です。

 早野 憲法の会計検査院の条項は、戦争中は軍事費がノーチェックだった反省の上にできた。日本国憲法ってよくできてるな。

 志位 そうですね。安倍(晋三)首相の考え方は、選挙で選ばれたら、多数党は何をやってもいい、憲法の解釈も俺が決めるんだという考え方です。多数決で何でも決めてもいいというのは立憲主義の否定ですね。

 早野 そう、間違いだ。

 志位 どんなに多数をもってしてもできないことがある。たとえば「女性は0・5票しか持てない」とか、「政府を批判したら刑務所に入れる」とか。こんな法律はどんな多数を持っていても決められません。それが立憲主義です。これを安倍さんはまったくわかってないですね。

 早野 人類が積み上げてきた今の政治の基本部分を壊すような感じがしますね。

個人の幸せのため国がある

 早野 立憲主義というキーワードもこうやって深く聞いてみないと伝わらないと思い、聞いているんです。志位さん、深入りして聞いちゃうけど大丈夫?

 志位 大丈夫。(笑い)

 早野 このごろ志位さんは憲法13条の「すべて国民は、個人として尊重される…」ということを話されます。これが一番の憲法の根本、社会のあり方の基本だと。13条に着目したのは?

 志位 立憲主義という問題を、一人ひとりの国民からみたらどうなるか、もっと分かりやすい言葉でどう話していけばいいかを考えてきました。研究者の方々からも貴重な意見をいただいた。いまの安倍政権の政治の特徴を一言で言うと、国家の暴走によって個人の尊厳を踏みつけにする政治だと言えると思うんですね。

 早野 そうですね。

 志位 戦争法、沖縄への仕打ち、原発、環太平洋連携協定(TPP)、「一億総活躍社会」。それから「たくさん産んで国家に貢献」という官房長官の発言。国家のために働き、国家のための子どもを産めと。これでは国家と個人の関係が逆立ちしているでしょう。

 国家のために個人があるんじゃない。個人の幸せのためにこそ国家がある。

 早野 フランス革命の前後からの民主主義の構築の中で、人類がたどり着いたところですよね。

 志位 憲法13条の「個人の尊重」には、とても深い意味があります。憲法には、平和主義、国民主権、基本的人権など大事な原則がありますが、そういう原則が何のためにあるかといえば、究極的には個人の尊重、個人の尊厳のためにある。

 憲法学者の樋口陽一東大名誉教授が、「近代立憲主義にとって、権力制限の究極の目的は、社会の構成員を個人として尊重することにほかならない」と言われている。立憲主義の究極の目的は個人の尊厳だと。その通りだと思います。

 早野 そうか、あれはそういう条項ですな。9条、13条、そして立憲主義。ここが基本なんだな。

 志位 東京の演説会で、この話をしたんですが、話を聞いてくださった憲法学者の小林節さんが「志位さん、13条の解釈は正解です」と。憲法学者のお墨付きをいただきました。(笑い)

共産党アレルギーと言うが

 早野 「国民連合政府」の提案が実際の政治プロセスの中でどうなるかに話を移したいと思います。「共産党アレルギー」を持ち出す人もいますが…。

 志位 たしかに共産党への拒否感を持つ人はまだいると思います。そこは私たちももっと努力が必要です。ただ、今は民主主義か独裁かの分かれ道。だから、好きか嫌いかではなくて、それを乗り越えて協力しようと言っているんです。

 早野 そろそろ、開き直った方がいいですよ。「どこが悪いんだ」って(笑い)。志位さんがおっしゃっていることは、ぼくらが学んで、体感してきた戦後民主主義のいちばん優れた部分と、ほとんどイコールになっています。アレルギーなんていう話じゃないだろうと、私は思うけどね。

 志位 世間の拒否感も変わってきていると思います。先の衆院選もそうですが、この前の被災3県(岩手、宮城、福島)の選挙でも、躍進することができました。

 早野 いまさら、私がアレルギーとか、余計なこと言わない方がいいね。(笑い)

 週刊誌『AERA(アエラ)』(12月7日号)で志位さん、民主党の岡田克也代表、維新の党の松野頼久代表が討論して、岡田さんは〝志位さんを信頼している〟、松野さんは〝志位さんは魅力的だ〟と言ったでしょう。これは大事ですね。政治の世界は不一致点ばかりなんだから、不一致点をいちいち取り上げていたら政治は成り立たない。次に何をすべきかというときに、そういう気持ち、信頼のつながりがあればできそうだし、できてもらいたいと思うんですよね。

実現へ最後まで粘りづよく

 志位 率直にいって、「国民連合政府」構想の実現には、いろいろな困難があります。党首会談で、社民党と生活の党からはおおむね賛同をいただきましたが、民主党とは、安保法廃止という政治的合意も、そのための連立政府という政権合意も、選挙協力の協議に入るという合意もまだつくられていません。

 しかし、何よりも、この構想に大きな期待を寄せてくださっているたくさんの方々がいる。先日、東京の「安保関連法に反対するママの会」のみなさんと懇談したおりに、あるママから、「家族で話し合ったことだけれども、最後まであきらめないで粘りに粘ってほしい」と激励されました。それに、今の日本の危機的事態を立て直すには、この道以外にはないでしょう。最後まで粘り強く追求したいと決意しています。

 早野 根底的な提案ですからね。そのときの風の具合があっても、しがみついてやってほしい。

世論と運動で

 志位 やっぱり成否は国民の世論と運動にかかっています。「総がかり行動実行委員会」をはじめ29団体の呼びかけで、今年5月3日の憲法記念日を目指して、2000万人の戦争法廃止署名を集める動きがあるでしょう。

 早野 本気でやってほしいなあ。

 志位 本気でやりぬいたら、情勢は変わると思いますよ。巨大な平和の流れをつくりだしていくなかで、この構想を実らせたい。

自民党60年と安倍政権

かつての自民きく耳あった 早野

灰色単色の安倍政権は弱い 志位

 早野 私は長いこと政治記者やっていますが、どうも自民党が変わったという感じがしています。

 昔は(田中)角栄さん(元首相)にしても、金丸(信・元自民党副総裁)さんにしても、「金権」といわれながらも、聞く耳を持っていました。

論戦かみ合う面白さ 志位

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(写真)「サンデー・プロジェクト」(テレビ朝日系)で加藤紘一自民党幹事長(左)と討論する志位和夫書記局長(右)=1998年2月22日(肩書はいずれも当時)

 志位 私が実感もって語れるのは90年代以降です。国会に入ったのが1993年。まず論戦の相手になったのは橋本内閣と、そのときの自民党幹事長だった加藤紘一さんでした。この当時の自民党は面白かった。共産党と正面から論争しようというところがありましたね。

 例えば、橋本(龍太郎首相)さんとは、国会で住専問題をはじめ、いろんなテーマで論戦しても、官僚に任せず、立場は違っても、かみ合った議論になるんです。だから、終わったあとも、わりとすがすがしい感じになりました。私も、まだ若かったから、ずいぶん強引な質問もやりましたが、それでも受けて立ってかみ合わせてくれる(笑い)。論戦のかみ合いの面白さがありましたね。

 それから、加藤さんとはよくテレビの〝自共討論〟で、2人の対決討論をやりました。新米の共産党書記局長でも、加藤さんは受けて立って討論する。

 厚い資料を持っていて、「加藤さん、その資料は何ですか」と聞くと「役所が持ってくるんだ」という。そこには「志位書記局長の主張がだいたいこうで、反論はこうだ」と書いてある。「役に立ちましたか」と聞くと、「あんまり役に立たない」と(笑い)。それでも直前までその資料を見て、真剣な討論になる。

 早野 議論したいと思ったんでしょうなあ。保守の側として、自分の政治教養のなかに共産党の議論の仕方をちゃんと位置づけないとまずい、と思っていたんですね。

 志位 もう一つ、当時の自民党で思い出深いのは、野中広務さん(元幹事長)です。

 当時(1997年)、沖縄の米軍基地用地を強奪する特別措置法というのがつくられました。私も断固反対で論陣を張ったんですが、そのときの衆院特別委員会の委員長が野中さんでした。

 強行されたんですが、野中さんが衆院本会議の委員長報告で、最後にどうしてもいいたいことがあるとおっしゃって、「この法律が沖縄県民を軍靴で踏みにじるような、そんな結果にならないことを、そして…再び国会の審議が大政翼賛会のような形にならないように若いみなさんにお願いしたい」といわれました。それを聞いて、野中さんの本心はここにあったのかと強い感銘を受けたことを思い出します。

 早野 思い出した。そういうふうにいわれていたなあ。

野中さんの本心

 志位 その野中さんが一昨年の知事選のさなか、翁長(雄志)知事候補に、熱烈な激励メッセージを寄せてこられ、とてもうれしく思いました。そういう方が、自民党の中枢にいたんですね。

 河野洋平さん(元官房長官)もそうです。河野さんが宮沢内閣の官房長官のときに日本軍「慰安婦」問題で旧日本軍の関与と強制を認めた「河野談話」(93年8月4日)を出した。自民党の「落城」直前です(同月9日に細川内閣発足)。「慰安婦」のみなさんから直接の聞き取りもして、いろんな調査もやった。全体を見るならば、強制性があったのは明らかだと。やらずに済んだかもしれないのに、談話を残しておかなければいけないということで踏み切ったのでしょう。よくやったと思います。河野さんはその後も一貫して、被害者の苦難に心を寄せた発言をされています。

 早野 政治というのは歴史をつくっているわけですからね。自分がどんな役割をするのか、ある一部にしかすぎないかもしれないけれど、しかし自分として精いっぱい誠実に生きたいという、そんな感じがありますね。

 志位 もちろん、政治的立場では対立していたわけですが、そういう相手であっても、保守としての大きな幅もあったし、良識や見識を感じました。

 それがだんだんなくなっていき、まったくなくなっちゃったのが安倍政権です。本当にいま、安倍さんのもとで、自民党という政党がまったく灰色の単色政党になってしまっている。

〝真正ハト派〟共産党 早野

 早野 昔は「角福戦争」、角栄さんと福田赳夫(元首相)さんのたたかい(権力闘争)がありました。簡単に言えば、福田さんは〝節約派のタカ派〟で、角栄さんは〝金権のハト派〟という感じだったんです。いまは安倍さんと、金権ではない、〝真正ハト派の共産党〟の対決構図になっている気がします。安倍さんの対抗軸は共産党だけになっている。そういう自覚はありますか?

 志位 対極にありますね。そのうえで言いたいのは、「安倍一強」は違うということです。

 自民党は、昨年、結党60年でした。1955年に結党して最初の総選挙が58年で、そのときの絶対得票率を見たら44%です。この前の総選挙での絶対得票率は17%。そんな少数で、なぜ多数の議席を得ているかといったら、もっぱら小選挙区制のおかげです。

 それから安倍さんが進めている主要政策は、戦争法を筆頭に、沖縄、原発、TPP、消費税、すべてが国民世論のなかでは少数派です。二重、三重に国民的な基盤は弱く、もろいんですよ。

 もう一つの弱さ、もろさというのは、灰色の単色政党になってしまったということです。いまの自民党は、非常に狭隘(きょうあい)な幅しか持たない、ウルトラ右翼の政党になってしまった。こういう政党は、強いようでたいへん弱く、もろい。

 昨年は、国民の側から大反撃の運動が起こりました。これを圧倒的なものにすれば、必ず倒せます。

 早野 政治というのは一進一退で、照る日も曇る日もあるけれど、やはり、国会前のみんなの思いを感じると、そんな簡単に安倍さんにやっつけられているわけじゃありませんよね。

翁長知事の「魂の飢餓感」

沖縄の苦難を償えていない 早野

罪責の念が安倍政権にない 志位

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(写真)裁判所前で県民の激励を受ける翁長雄志知事=2015年12月2日、那覇市

 早野 沖縄の話をうかがいたい。米軍新基地建設に反対する沖縄県知事の権限を取り上げようと国は裁判に訴えています。その代執行訴訟の弁論(12月2日)で、翁長さんは「魂の飢餓感」という言葉を使われました。保守の側からずっと沖縄をつくってきた翁長さんの言葉として、感動しました。沖縄の状況を、私たちはどう心に刻まないといけないのでしょうか。

奪われた歴史

 志位 翁長さんが、「魂の飢餓感」ということを言われた文脈は、沖縄は、戦後、自由も人権も自己決定権もすべてが奪われていたという歴史の文脈ですね。その歴史を「魂の飢餓感」と表現されているわけで、戦後、そうした苦難をずっと強いられてきたことに対する理解がどれだけあるのか、日本の民主主義が試されますね。

 普天間基地問題一つとっても、政権の側は〝固定化させていいのか〟と脅して、辺野古新基地建設を推進しようとする。それにたいして、翁長さんは、〝普天間基地は強奪した土地だから返せ〟という。こちらこそが沖縄の歴史にたった主張なんです。

 沖縄の米軍基地は、二重に強奪された土地のうえにつくられている。占領直後に住民を収容所に囲い込んで好き勝手に強奪し、50年代にはそれを銃剣とブルドーザーで拡張しました。国際法無視の強奪です。「強奪してつくったものは無条件に返せ」とたたかっていかないといけない。

 早野 それは、当然の権利で、翁長さんはそこを立脚点にしている。

 志位 そこにたっているから、非常に強いと思います。普天間基地の問題で私たちが繰り返し言ってきたのは、無条件撤去が唯一の解決策だということです。

 「移設」条件付きの返還――基地の県内たらいまわしでは、いつまでたっても解決しない。それこそ「固定化」の道なのです。それはこの20年間が証明しています。無条件撤去を求めて、日本政府に対米交渉をやれと迫っていくのが、普天間基地問題の解決の道だと思います。

 早野 95年の少女(暴行事件)の苦しみが償えないですよ。

 翁長さんの陳述書のなかには、かつての自民党に対する評価も出てきます。後藤田(正晴元官房長官)さんが那覇市長だった翁長さんに対して、「俺は沖縄に行かないんだ…かわいそうでな。県民の目を直視できないんだよ、俺は」と言ったやり取りが出てきます。唯一の地上戦、沖縄戦がおこなわれ、市民を含めて20万人も亡くなったことに罪責の念があるんですね。

 志位 沖縄戦では県民の4人に1人が亡くなっています。沖縄は地上戦にはじまり、戦後は基地の重圧に苦しめられてきた。これにたいする責任を負っているのは自民党政治です。

 後藤田さんにしても、野中さんにしても、そのことへの呵責(かしゃく)が感じられますね。その心があれば、もっと対話が成り立つと思いますが、今の政権にはそれがまったくありません。

戦後71年の日本どうする

 早野 私は1945年生まれで70歳です。戦後の歩みと一緒なんですよ。

 志位 早野さんは、お母さんのおなかの中で空襲にあって、かろうじて助かったとうかがっています。

 早野 東京大空襲です。小石川植物園(現東京都文京区)などに避難して。あとは栃木の方に疎開して何とか助かりました。

 志位 間一髪でしたね。私の母は今年89歳です。子どものころからよく千葉空襲の話をしてくれました。

 母が通っていた千葉の女子師範学校は軍需工場にされていました。終戦の年(1945年)の千葉空襲で直撃され、たくさんの級友が亡くなった。母も生き埋めになって、モグラみたいにはいだして何とか助かった。「私が死んでいたらあなたは生まれてこなかった」とよく言われたものです。

 早野 人生っていとおしいものだものな。戦争という体験をしているとそういう感覚になる。

 志位 そういう戦争を体験された世代が切々と訴えた証言というのをわれわれがしっかり受け止めて、次の世代に残していかなければならないなと思いますね。

転換する年に

 早野 戦後への〝責任感〟をもち続けた政権は、ついに戦後70年で、保守の側から失われたという感じがします。「国民連合政府」構想というのは、次の時代への一つの提案だと思います。2016年、戦後71年にどういう日本をつくっていくべきでしょうか。

 志位 2016年も、「国民連合政府」という大きな目標に向かって、現実の政治と切り結んで、何とか前に動かしていきたいと思っています。

 今年の参議院選挙をたたかう構えとしては、野党共闘の実現のために最後まで力を尽くすことに変わりはありませんが、やっぱり、「国民連合政府」をつくるうえでも、日本共産党を躍進させていただいて、もっと力をつけさせていただくことが、この政府をつくる最大の力になるということは大いに訴えたいです。

 それからもう一つ、消費税、原発、TPP、沖縄など、あらゆる分野で安倍政権の国民の民意を踏みつけにした暴走政治を止めて、転換をはかる力をもっているのは日本共産党だと訴えたい。

 早野 安倍暴走を止める、変える、新しい政権をつくると。ぜひ、実現へがんばってください。

 志位 がんばります。今日は、本当にありがとうございました。


 憲法13条 すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。

(2015年12月27日・2016年1月3日付合併号)