2006年10月7日(土)「しんぶん赤旗」

首相ただした志位委員長

アジアの“痛み”理解せよ

歴史への謙虚さとは何か


 「政治家として歴史に対する謙虚さとはなにか」―六日の衆院予算委員会で日本共産党の志位和夫委員長は、安倍晋三首相にたいし、このことを三つの角度から事実にもとづいてただしました。


終戦50周年議連

「自存自衛」の戦争と決議の採決に欠席 

写真

(写真)衆院本会議での「戦後50年決議」の採決。自民、新進両党から欠席者が多数、安倍氏も欠席=95年6月9日

 政治家として歴史観を語らないのが「謙虚」だというが、過去に大いに語り行動してきたではないか―。志位氏は、安倍首相にこう迫り、侵略戦争と植民地支配を認めることを拒否してきた過去の行動への反省を求めました。

 一九九五年六月、衆院本会議で終戦五十周年国会決議が採択されました。

 志位氏がただした安倍氏の行動の一つが、この国会決議に逆の立場から反対した「終戦五十周年国会議員連盟」の活動です。安倍首相はこの議連の事務局長代理に就いていたことを認めました。

 志位氏は、議連の結成趣意書で日本の戦争を「日本の自存自衛とアジアの平和」のための戦争としていることを指摘し、次のように質問しました。

 志位 議連結成趣意書では特定の歴史観、戦争観がはっきりのべられているではないか。

 首相 これはこういう歴史観でなければならないとか、これはこうなんだと特定することはできない。いま政府の立場にある者として、こうした歴史についての認識を語ることには謙虚でなければならない。

 従来の答弁を繰り返す首相。志位氏はさらに、議連の運動方針が“自虐的な歴史認識の見直し”を迫り、五十年決議への声明で「侵略的行為」と「植民地支配」を認めることは「わが国の歴史観を歪(ゆが)め」るとしていることを示しました。その立場から、首相はじめ議連メンバーの多くが決議採決の本会議に欠席した事実をただしました。

 志位 議連は国会決議に対して「日本の戦争は正しかった」とする立場から行動している。首相が当時こういう考えを持ち、それに基づいて行動してきたことは間違いないか。

 首相 おそらく、こうしたことを国会で決議をするのはおかしいというのが議論の中心だったと思う。

 志位 首相になってからは「特定の歴史観を政治家が語ることは謙虚であるべきだ」といいながら、首相になるまでは「侵略的行為」も「植民地支配」も認めない特殊な歴史観を持ち「謙虚」でない行動をしてきたではないか。そのことをどう説明するのか。

 首相 いま急に随分昔の文書を出されても答えようがない。首相としての立場はのべてきた通りだ。

 みずからの行動について語れなくなった首相に対し、志位氏は「あなたの歴史観、戦争観が首相になったら口にできない性格だということだ」と批判しました。


「終戦50周年国会議員連盟」の文書類

 志位委員長が6日の衆院予算委員会質問で引用した文書の抜粋は次の通りです。

 結成趣意書(1994年12月1日)

 (今日の平和と繁栄は)ひとえに、昭和の国難に直面し、日本の自存自衛とアジアの平和を願って尊い生命を捧(ささ)げられた200万余の戦歿者のいしずえのうえに築かれたことを忘れることは出来ません。(中略)

 …我々は、先の大戦や戦後50年のわが国の歩みを振り返り、公正な歴史への認識と誇りに立って内外の転機に対処し、世界におけるわが国の使命に思いを致すことは、国政に与かるものの責務と痛感します。

 運動方針(95年4月13日)

 本連盟の結成の趣旨から謝罪、不戦の決議は容認できない。また反省の名において、一方的にわが国の責任を断定することは認められない。(中略)

 終戦五十年に当り戦後、占領政策ならびに左翼勢力によって歪(ゆが)められた自虐的な歴史認識を見直し、公正な史実に立って、自らの歴史を取り戻し、日本人の名誉と誇りを回復する契機とすることが切望される。

 声明(95年6月8日)

 与党三党の幹事長、書記長会談において合意に達した決議案は、わが国の「侵略的行為」「植民地支配」を認め、わが国の歴史観を歪めており、われわれは決して賛成できない。


「国策の誤り」

領土拡張と他国支配の具体的事実認めず

 安倍首相が「政府としての認識だ」とする一九九五年の「村山談話」。志位氏は、「植民地支配と侵略」が「国策の誤り」としておこなわれたという談話の核心を示し、「首相自身が(『村山談話』の)『国策の誤り』という認識を持っているのか」とただしました。

 首相は、「『国策を誤り』『戦争への道を歩んだ』という指摘された記述を含め、談話の考え方を政府としては引き継いでいる」とのべました。

 「それでは、国策の誤りの具体的中身についてただしたい」とのべた志位氏は、「歴史の事実に照らしてみるならば、日本の過去の戦争が自国の領土拡張と他国の支配を目指すことを『国策』とした戦争だったことは否定しようのない事実だ」と指摘。その上で、外務省編さんの外交文書集(『日本外交年表竝主要文書 1840〜1945』)から当時の政府の三つの重要な決定(別項(1)(2)(3))を取り上げ、具体的にただしました。

 一つ目は、一九三八年の御前会議で決定された「『支那事変』処理根本方針」です。この決定には、中国の華北地方、内モンゴル地方などに「非武装地帯」をもうけ、中国軍は立ち入ることができないが日本軍は駐屯できる地域をつくるという要求が明記されています。日中戦争が中国領土への日本軍の駐兵権を認めさせ、中国を支配下におくことを目的とした戦争だったことを明確に示しています。

 二つ目は、太平洋戦争に乗り出す前年の四〇年に大本営政府連絡会議での決定「日独伊枢軸強化に関する件」です。この決定では、日本の「生存圏」(図)―としてアジア太平洋の広大な地域をあげ、太平洋戦争が、領土拡張と他国支配を目的とした戦争であったことをまぎれもなく示しています。

図

 三つ目は、四三年の御前会議で決定された「大東亜政略指導大綱」です。そこでは、現在のマレーシア、シンガポール、インドネシア、ブルネイにあたる広大な地域を、あからさまに「帝国領土と決定」しています。

 志位氏は、それぞれの決定が示している戦争目的を認めるかと質問。首相は、「歴史の出来事ひとつひとつを分析することは政府の役割ではない。歴史家が分析していくこと」「そういう事象について政府は判断する立場にない」などと答弁をはぐらかしました。

 志位氏は次のように指摘しました。

 「首相は『村山談話』を認めるといいながら、どの問題についても具体論になれば、歴史家に任せるといって領土拡大と他国支配を目的としたという事実すら認めない。これでは本当に日本の過去の戦争を反省したことにならない」


(1)「『支那事変』処理根本方針」

(1938年1月11日 御前会議決定) 日支〔日中〕講和交渉条件細目

 一、支那は満州国を正式承認すること

 三、北支〔華北〕及び内蒙〔内モンゴル〕に非武装地帯を設定すること

 七、中支〔華中〕占拠地域に非武装地帯を設定し、又大上海市区域については日支協力してこれが治安の維持及び経済発展に当てること

 付記 (一)北支内蒙及び中支の一定地域に保障の目的をもって必要なる期間日本軍の駐屯をなすこと

 支那現中央政府が和を求め来らざる場合においては…帝国はこれが潰滅を図(る)

(2)「日独伊枢軸強化に関する件」

(1940年9月16日 大本営政府連絡会議決定)

 別紙第三 一、皇国の大東亜新秩序建設の為の生存圏について

 (イ)独伊との交渉において皇国の大東亜新秩序建設の為の生存圏として考慮すべき範囲は、日満支を根幹とし、旧独領委任統治諸島、仏領インドおよび同太平洋島しょ、タイ国、英領マレー、英領ボルネオ、蘭領東インド、ビルマ、豪州、ニュージーランドならびにインド等とす

(3)「大東亜政略指導大綱」

(1943年5月31日 御前会議決定)

 「マライ」「スマトラ」「ジャワ」「ボルネオ」「セレベス」は帝国領土と決定し、重要資源の供給地として極力これが開発並びに民心把握に努む


「従軍慰安婦」

「河野談話」修正求めた97年の質問に反省なし

 第三は、「従軍慰安婦」の問題です。安倍首相は三日の衆院本会議で「政府の基本的立場は『河野官房長官談話』を受け継いでいる」と答弁しました。

 一九九三年の「河野談話」は「従軍慰安婦」について「旧日本軍が直接あるいは間接にこれに関与した」「慰安所における生活は、強制的な状況の下での痛ましいものであった」ことを認めています。さらに「心からのおわびと反省」を表明し、同じ過ちを決して繰り返さない決意を明らかにしています。

 志位氏は「『河野談話を受け継ぐ』というなら、首相の過去の行動についてどうしてもただしておきたい」として、九七年五月二十七日の衆院決算委員会第二分科会の議事録を示しました。

 そこで首相は「(『従軍慰安婦』の)強制性については全くそれを検証する文書が出てきていない」と主張。「『河野談話』の前提がかなり崩れてきている」として、「河野談話」の修正を求めました。

 志位 かつて自ら「河野談話」を攻撃した言動の誤りを認めるのか。

 首相 事実について狭義の強制性があったかなかったか、議論があるなら教科書に載せることは考えるべきではないかと申し上げた。

 志位 今になって狭義、広義と言うが、この議事録では強制性一般を否定している。「河野談話」を認めるというならあなたのこの行いについて反省が必要だ。

 安倍 当時私は教科書に載せることが適切かどうかと申し上げた。

 志位 まったく不誠実だ。強制性を示す証拠がないと言っている。

 言を左右にして自らの誤りを認めようとしない首相。志位氏は韓国人被害者の橋本元首相への手紙を紹介して「『河野談話を受け継ぐ』というなら自らの行動を反省し、被害者に対して謝罪すべきではないか」と、のべました。

 手紙は「三十六年間の植民地とされた苦痛に加えて、『慰安婦』生活の苦悩をいったいどうはらしたらいいのでしょうか」「お金をもらうためではありません。…私が望むのは、日本政府の謝罪と国家的な賠償です」と切々と訴えています。

 首相は「『河野談話』では『慰安婦』の方々におわびと反省を表明している。私の内閣でも継承している」と繰り返すだけ。

 志位氏は「『河野談話』を継承すると言いながら、みずからの誤りの反省を言わない。これでは心では継承しないことになる」と批判しました。

 最後に志位氏は、みずからの韓国訪問の経験から、日本帝国主義による三十六年間の植民地支配への痛みの深さと、未来に向けて本当の友好を願う韓国の人たちの心を紹介。

 「政治家としての謙虚さとは、日本が国家として犯した誤りに口をぬぐうことではなく、歴史の真実に向き合いアジア諸国に与えた痛みの深さを理解することだ。そういう立場にたってほしい」と結びました。