2002年9月12日(木)「しんぶん赤旗」

CS放送朝日ニュースター

志位委員長語る

日朝首脳会談、長野県知事選の結果などについて


 日本共産党の志位和夫委員長は十、十一の両日放映(九日収録)のCSテレビ「朝日ニュースター」の「各党はいま」に出演し、小泉首相の訪朝問題、長野県知事選結果などについてインタビューに答えました。聞き手は、朝日新聞政治部・くらし編集部の梶本章氏。大要は次の通りです。


日朝首脳会談――国交正常化にむけた前進の一歩となることを期待

九九年一月の国会質問で交渉ルートの提案――首脳会談を歓迎、協力する

朝日新聞の梶本章記者(右)のインタビューに答える志位和夫委員長

 梶本 小泉首相の北朝鮮訪問ですけれども、突然の発表にびっくりしたんですが、委員長はどんなふうにこれをお聞きになりましたか。

 志位 私たちは、日本と北朝鮮の政府間に正常な交渉のルートを一刻も早く開くべきだという提案をしてきました。これは、テポドンの問題が騒ぎになった九九年一月の通常国会で、不破委員長(当時)が提案をしました。

 そういう経過からみても、私たちは両国の最高責任者同士が、戦後初めて会って、直接の対話をするという決断は、歴史的な意味をもつもので、歓迎するという立場です。そして、この会談が、日朝の国交正常化にむけた前進の一歩になることを期待しています。わが党として、必要な協力は惜しまないという立場でのぞみたいと考えています。

朝鮮労働党、朝鮮総連との関係について

 梶本 かつて、共産党は、平壌に特派員を派遣していたと聞いているのですが、朝鮮労働党とは、いま、どういう関係にあるのですか。

 志位 いまはまだ、“歴史問題”が未解決で、関係をもっていません。

 どういう問題かといいますと、これは、一九八〇年代の初めに、さまざまな事件があり、意見の違いが起こったのです。そのとき、先方から敵対的な攻撃を受けた。つまり、“敵の側に立っている”という式の攻撃です。私たちも反論した。そういういきさつがあって、それ以来、関係がなくなっているのです。

 実は、朝鮮総連とも同じ時期に同じような問題が起こって、関係が不正常になったのですが、二〇〇〇年十月に朝鮮総連と私たちは話し合いをもって、「意見の違いがあった場合でも、敵対的な論争はしない」と確認しあって、朝鮮総連とはすでに関係を正常化して、いろいろな交流が始まっています。この間の私たちの大会にも、先方の代表がおみえになったし、朝鮮総連の大会にも私がうかがったことがあります。

 朝鮮労働党との関係も、同じ方式で解決をはかることができる性格の問題だと思っています。これは、旧ソ連とか中国・毛沢東派からやられた、日本共産党のなかに、自分たちのいいなりになる分派をつくって、(党指導部を)ひっくり返そうというような干渉問題と違って、論争問題ですから、そういうけじめがつけば、前のほうに向かっていくと思っています。

「歴史的な責務」「包括的な方式」「正常化への政治的意思と交渉再開」

 梶本 国と国の関係の問題ですが、こちらのほうも、たとえば拉致問題というのがあって、八件、十一人ですか、それを解決しないと、とても国交正常化交渉に移れないというふうな政府の立場だと聞いております。ミサイルの問題、核開発の問題、不審船の問題というようなことも、安全保障との絡みで問題にもなっています。何よりも、北朝鮮にしてみれば、日本の植民地支配、これは歴史問題ですけれども、植民地支配に対して、謝罪と補償を求めています。日本は、当時は植民地だったから、簡単に謝罪というのはちょっと違うんじゃないかとか、こういう論争をしているわけなんですけれども、実にいろんな問題があるんですが、みんなそれが絡み合っている。だから包括的に一括してやろうというような話になっていると思いますけれども、たくさんの問題がいっぱいあるが、それをどうときほぐしていくのか。

 志位 まず、私は、日朝国交正常化の位置づけをどうとらえるかというのが、たいへん大事だと思うのです。

 この点で、政府が「歴史的な責務」ということを強調していることに、注目しています。すなわち、北朝鮮というのは、日本が数十年にわたって植民地支配をしていた、そういう過去をもっている国です。そして、日本が第二次世界大戦の戦後処理をやっていない、それが未解決の唯一の国です。ですから、戦後半世紀以上そういう状況が続いたことを解決することを、「日本の政府の歴史的な責務」だと政府が位置づけているのは、なかなか重い意味をもっていると思います。

 もう一つの位置づけとして、この問題を解決することは、両国の平和と友好のみならず、北東アジアの平和と安定、世界の平和に寄与するものとならなければならないという位置づけをあたえていますけれども、これは、私たちは、ひじょうに大事な位置づけだと思います。

 そのうえで、どうやって問題を解決するかということで、「包括的な方式での解決」ということを日朝で確認していますね。小泉首相も、それを強調しています。この前、党首会談がありまして、私は、「この包括的な方式は、現状を前向きに打開するうえで、賢明なやり方だと思う」と言ったのです。

 といいますのは、いろいろな問題がある。過去の清算の問題を含む国交正常化の問題、それから拉致疑惑を含むさまざまな諸懸案もある。いろいろあるわけですけれども、その問題に優先順位をつけて、これが解決しなかったらそっちに進みません、逆にこっちが解決しなかったらそっちはいきませんよということをやっていますと、入り口のところから交渉が成り立たなくなるわけです。

 ですから、日朝双方がそれぞれの諸懸案をすべてテーブルのうえに乗せて、それぞれについてまさに包括的に協議する、きたんなく議論をして解決の方向を見いだしていくという方式をとるのは、私は現状を打開するうえで道理のあるやり方だ、これは賢明なやり方だと思います。

 この方式をもって、前向きの結論がでることを願っています。交渉というのは、やってみなければわからないことも当然あるわけで、一回であらゆる問題で具体的な解決がつかなければ、交渉は失敗だとか、駄目だとか、意味がないとか、私たちはそういう立場にくみしません。

 今度の交渉でいちばん大事なのは、国交正常化と諸懸案解決のために、両国の最高首脳がその政治的意思をはっきり確認すること、それからそれにもとづいて、国交正常化にむけた協議が始まるということです。つまり協議のレールを敷くということです。今度の会談でそういう結果になれば、ひじょうに大きな意味をもつ会談になると思います。そういう期待をしています。

 梶本 そういう道筋を描いていくためにも、拉致問題に一定程度のめどがつかないと次のステップに移っていかないんじゃないかという感じがします。拉致問題について入り口でどうしてもつっかかるのではないかという気がするんですが、どうでしょうか。

 志位 これは、解決の方法が大事です。この問題については、いろいろなケースがありますが、疑惑の段階なのです。疑惑の段階だったら、捜査の到達点にふさわしい交渉の方法、解決の方法がある。冷静な接近によって解決をはかることが大事だと思います。

国政の基本問題では厳しく対決するが、良い方向への努力は協力する

 梶本 交渉の進め方なんですが、事務レベルまでいった、ふつうならばそこで外務大臣が行くこともありましたけれど、いきなりトップ会談という形で、そこにちょっと危うさを感ずる向きもあります。委員長はそこを評価されているようですが…。

 志位 私は交渉の当事者ではありませんから、どういう経過があったかを知る立場にはないのですが、やはり最高首脳の会談をやるという機が熟したというふうに、双方が判断したということではないでしょうか。小泉首相もこれはトップにもっていかないと進まないと判断したといわれてますし、先方もおそらく同じ判断をしているだろうといわれている。だいたいそれがいまの状況だと思うのです。最高首脳同士で大いにきたんない議論をすることに意義があると思います。

 梶本 金正日氏が機が熟したといったら、アメリカから「悪の枢軸」扱いにされて、イラクの次は自分たちがやられるかもしれないと。クリントンと違ってブッシュはひじょうに強圧的な政策をとってますし、そこでいまは日本と交渉する。そういう大きな国際情勢の枠組みの変化の影響はありませんか。

 志位 もっと大きな深い流れがあると思います。北朝鮮の側が日本との関係について、国交正常化という方向に足を踏み出す動きというのは、もっと前からあったんですよ。

 私たちが注目したのは、九九年の夏ぐらいから朝鮮総連の方針が変わってきたのです。これは本国の指導をうけて変わったのですが。どういうふうに変わったかというと、日朝国交がちゃんと開けるような方向に、日本の国と北朝鮮の国との和解と友好をはかる方向に、活動を強化しようという方針を、九九年の夏ぐらいからとっています。そういう底流がずっとあって、ことが進んでいるということはよくみておく必要がある。朝鮮総連というのは、日本での運動団体ですから、そういう方向に方針を切り替えたというのは大きな変化です。

 梶本 総理のスタンドプレーではないか、パフォーマンスではないか。たしかに訪朝が発表されただけで、支持率が10%近く上がり、不支持が10%近く下がった。狙いどおりだったという見方もあるんですが、そのへんはどうでしょうか。

 志位 私は、そういうふうな見方はとりません。私は、政府の発表のなかに、半世紀にわたって国交がない状況を解決するのは「政府の歴史的な責務」だという言葉があるのは、なかなか重い言葉だと思うんですよ。これは大きな立場にたって、問題解決に一歩踏み出そうということだと思います。

 私は、この前の党首会談で小泉首相に、この問題で私たちは歓迎するし、協力もするといったさい、私と小泉首相は国政のあらゆる基本問題でもっともきびしく対決、対立しているということをいいました。しかし、この問題についていえば、小泉首相が進もうとしている方向はいい方向だから、協力するし、いい結果を願っていると話しました。首相もうなずいていました。

長野県知事選――自治体をめぐって大きな深い変化がおこっている

長野県民がくだした“三つの審判”――ほんとうにうれしい結果

 梶本 次に長野知事選挙の結果をうかがいたいのですが、田中康夫さんが一連のトラブルをおこして(志位「県議会がトラブルをおこしたんですよ」、笑い)いずれにしても圧勝・再選されましたが、これをどうみますか。

 志位 私は、“三つの審判”が下ったと思います。

 一つは、県議会のダム推進・固執してきた多数派がおこなった知事不信任の暴挙が不信任された。県民によって不信任の審判が下った。

 二つ目に、田中知事がこの間進めてきた県政の民主的改革の方向、すなわち巨大ダムにばく大な税金を使うことをやめて、福祉や環境や県民の暮らしに税金の使い道を変えていこうという県政改革の方向が支持された。

 三つ目に、(県議の)補欠選挙がありまして、上田と下伊那と、二つたたかわれたんですが、上田では県政会との一騎打ちの勝負で、われわれは圧勝しました。相手に一万票以上の差をつけた。「起こるはずのないことが起こった」と、むこうもびっくりした結果が出たんですけれども、日本共産党は、田中県政にたいして、県政の民主的改革の前進的な方向については、大いに協力する。あるいは、いろんな提言もしてリードもする。私たちがだせる知恵もだす。そういう立場でのぞんできました。そして、それを邪魔する逆流にたいしては、きっぱり反対して、(知事の)不信任案にたいしても、唯一反対した党派だったわけです。その立場が県民のみなさんに、大きな支持と共感をもって受けとめていただけたと思います。

 この“三つの審判”は、本当にうれしい結果です。

税金の使い方を変える――県政の民主的改革がすすんでいる

 梶本 田中康夫さんは、「なんとなく、クリスタル」という小説でデビューされたんですけれども、共産党のイメージとは最も対極的な人じゃないかなという気がするんですけれども…。

 志位 私は、知事としての仕事の中身をよくみると、これは、私たちの考えとたいへん近いところに、田中さんはいま立っていると思います。

 それは一言でいうと、税金の使い方を変えるということです。たいしたものだと思ったのは、公共事業の総額をかなり減らしながら、福祉関係の公共事業に使うお金はうんと増やしている。環境関係の公共事業も、うんと増やしている。こういうものは、地元の雇用効果がありますから、地域経済にとってもプラスなんですね。それから、借金財政も、抑える方向に転じている。ですから、ずいぶん大きな県政の民主的な改革が進みつつあるのです。そういう中身をよくみますと、私たちとずいぶん接近、一致してきたなと思います。

ダム固執多数派の横暴と無責任――厳しい反省がせまられている

 梶本 共産党は、政党のなかで、唯一支持を出したということなんですけれども、自民党とか民主党は、政党として、不戦敗というか、右往左往しているだけで、態度を表明できなかった。そういう意味では、政党として、体をなしていないと思うんですけれども、そのへんはどう思いますか。なぜ、野党第一党、与党第一党が支持を出せなかったのか。

 志位 支持を出さないというより、みんな相手候補――長谷川候補応援で、動いたんですよ。田中候補の対抗馬として立った女性弁護士は、実体は、まさに県議会のダム固執多数派が担ぎ出した候補でした。

 最初は、ともかく“市民派”のポーズをとろうとして、後ろのほうに隠れていた。しかし、途中から、これでは勝ち目がないということで、前面に躍り出て、県議会多数派が組織ぐるみの締め付け選挙をはじめた。しかし、締め付けても締め付けても、県民の心は、どんどん離れていくわけです。そして、惨敗した。惨敗して、その開票のときには、ほとんどいないわけでしょう。田中知事から、“自分たちで担いでおきながら、負けたときにはいないというのは、長谷川さんの胸中いかばかりだったか”と言われるぐらい、無責任な対応をしたのです。

 だからそういう対応をしたことにたいして、ひじょうにきびしい責任が問われていると思いますね。これは、地元、長野の自民党、公明党、民主党、社民党の責任が問われるというだけではなくて、やはりそれぞれの党自体が、そういうやり方でいいのかという反省が、きびしく問われていると思います。

田中県政の前向きの変化と、日本共産党県議団の役割

 梶本 共産党は、「田中さんでいこう」という英断を下したんですけれども、これは地方のほうの発意ですか。それとも、中央のほうが、これでいこうと決めたんですか。

 志位 これは地方の問題です。地方の県議団のみなさんが、田中県政ができたのは二〇〇〇年の十月でしたけれども、そこから始めて、(県政の民主的改革に)ずっと取り組んできたことの結果なのです。

 二〇〇〇年十月の知事選では、私たち日本共産党も県下の民主勢力とともに独自の推薦候補を立てたんですよ。中野早苗さんという独自の候補を立てた。田中さんもいる、いわゆる「オール与党」の候補もいる、三つどもえだったんですね。

 それで、たたかうなかで、また県議会の議論もへて、田中さんの姿勢がさらに変わってくるわけです。たとえば、三十人学級なども「やりましょう」ということになってくる。それから、ダムの問題も、浅川ダムと下諏訪ダムについて、中止という方向になってくる。さまざまな問題で前向きの変化が起こった。

 最近の田中さんの発言で注目したのは、市町村の合併の問題への対応です。これを押しつけるというやり方を、総務省はとっている。このやり方について、(田中知事は)“いままで自分は、総務省の方針をそのまま市町村に伝えてきたけれども、それは間違いだった、やはり合併の押しつけはよくない”と(言っています)。

 たいへんに道理のある方向に変化が進んだ。日本共産党の県議団が奮闘し、田中さんもそれに共鳴しあって変化してくる。まともな方向への変化ですから、憎らしくてしょうがないというのが、県議会のダム推進多数派で、不信任という事態になって、それに私たちは反対する。そういうなかで、支援という態度を決めたわけですね。

 ですから、地元の長野県の日本共産党県議団の働きは、すばらしいものがあったと思うし、それが長野県の市民運動、県民運動の全体の流れと結びついて、いまたいへん大きな変化が、深いところで起こっていると思います。

 梶本 共産党は、田中さんを支持するときに、いわゆる政策協定を結んだんですか。

 志位 これは、結んでいないんです。

 梶本 いつも、これは地方選挙をやるときに、かなりきびしく政策協定を結ばないと駄目と…。

 志位 今度の場合は、いわば知事の不信任を受けての選挙という、特別な事情のなかでの選挙です。そもそも普通ありえないことをやってのけた。そういう暴挙のもとでの選挙です。(日本共産党が)不信任に反対したということは、信任したということですから、そういう流れのなかでは、支援するというのは、当たり前の流れでした。

 もちろん私たちは、田中さんの政策についての吟味もやりました。実績についての吟味もやりました。私たちとまだ意見が違うところもあるけれども、大局としては、これは支援できるという独自の判断をして、応援をしました。

 梶本 これからも、こういう「勝手連」的な応援というのはあるわけですか。

 志位 同じような変化が生まれてくる条件というのは、全国の地方自治体にあります。いま全国どこでも、自治体をめぐる矛盾は深いですから。

 最後に、党綱領の見直し問題について質問を受け、志位委員長は、アメリカと大企業の支配をうちやぶる民主主義革命をおこない、社会主義をめざすという綱領の基本的内容については「いよいよ生きてその力が働く時代になっていると自信をもっている」と強調。綱領の表現を国民にわかりやすくするのが、見直しの課題だとのべました。