2000年5月24日「しんぶん赤旗」
日本共産党の志位和夫書記局長が二十二日の衆院決算行政監視委員会で森喜朗首相に対しておこなった質問(大要)は次の通りです。
志位和夫書記局長 私は、森総理の「神の国」発言にかかわって質問いたします。
私がきょううかがいたいのは、総理があの発言をどういう趣旨でされたかということではありません。これはもう、本会議の答弁でうかがっておりますので、繰り返しは必要ありません。
私が聞きたいのは、戦前、戦中の時期に、「日本は神の国」という言葉・思想が語られたという事実があります。それがどういう意味で使われたかについての歴史的な認識を、総理にうかがいたいと思うのです。
私は、文部省が、一九四一年に発行した小学校二年生用の修身の教科書「ヨイコドモ」の下を持ってきました。総理はちょうど終戦の年に二年生だったと聞きますから、覚えていらっしゃるんじゃないでしょうか。
これを見ますと、その一節に、こういう部分がございます。「日本ヨイ国、キヨイ国。世界ニ一ツノ神ノ国」「日本ヨイ国、強イ国。世界ニカガヤク エライ国」。このなかでは繰り返し、「ワガ日本ハ世界中デ、一番リッパナ国デス」、あるいは、「日本ノ国ハ、世界中デ一番タフトイ国デアル」と繰り返し書いてあります。
日本は天皇の祖先の神がつくった国であり、そして代々の天皇が神として統治している国であるから、世界で一番尊い国で、立派な国なんだ。だから、世界制覇の資格がこの国にはあるんだということで、「八紘一宇」(はっこういちう)というスローガンのもとに、あの戦争に走った。これは、歴史の事実だと思うのです。
つまり、「日本は神の国」という、当時使われた言葉・思想が、軍国主義と侵略主義を進める精神的な推進力となった。歴史の事実として、総理、このご認識はありますか。お認めになりますか。
森喜朗首相 いま、お示しいただいた教科書は、私は覚えておりませんが、私の一年生、二年生、まあ、一年生のときはまだ戦争前でございましたけれども、そういう教育を受けた記憶はまったくございません。
ですから、私の頭の中にありますのは、さきほども申し上げましたが、天皇は、いわゆる国民統合の象徴であるという新しい憲法のなかにおける天皇の存在というものを常に頭においております。このことは、私自身ずっとどんな場合でも、既に申し上げてきております。
ただ、天皇は、時代時代によって、いまご指摘があったように、位置付けが変わったということであろうと思います。しかし、戦後はそうしたことは反省して、そして象徴天皇というふうにしたということだと思います。
志位 私が質問したことにしっかりお答え願いたい。当時の戦前、戦中の日本で、「神の国」、「神国日本」というこの言葉が、どのような意味をもって使われたかということについての、あなたの認識を聞いているんですよ。だから、しっかりお答え願いたい。
もう一つ、当時の、一九四三年ですが、小学校五年生用の修身の教科書(『初等科修身 三』)を持ってまいりました。ここでは、さらに「神の国」についてこういう一節があります。
「国史がことばで語り伝えられる前から、神の国日本はつづいています」。そして、戦争で、ずっと侵略を進めている時期ですから、こう言っています。「太平洋や南の海には、すでに新しい日本の国生みが行はれました。神代の昔、大八州(おおやしま)の国生みがあつたと同じやうに、この話は、末長くかたり伝へられるものです」。こう言っているんです。
つまり、「神の国日本」、「神国日本」という思想が、そういう侵略、あるいは軍国主義の、まさにスローガンだった、これは歴史の事実ではないですか。あなたにはそういう認識がないんですか。教科書にみんな書いてあるんです。文部省の教科書に。そういう認識を問うているんですから、はっきりお答えください。そういう認識を持っているのか持っていないのか。簡単にお答えください。
私は、そういう認識はもっていないということを申し上げているわけです。
志位 それは驚きました。それでは、もう一問ききましょう。一九四六年、一月一日…。
(志位氏の質問をさえぎり、首相があわてて再度答弁に立つ)
首相 間違ってとらえてはいけませんから、あなたが今読まれましたような、そういう認識ではない、ということを申し上げているんです。
志位 いまの教科書では明りょうではないですか。南の島、太平洋の島々、これは「新しい国生み」だと、「神国日本の国生み」だと。「神国日本」ということが、侵略と一体で語られているじゃないですか。
志位 もう一問ききましょう。一九四六年、一月一日の昭和天皇の「人間宣言」。ここでは、こういっています。
「天皇ヲ以(もっ)テ現御神(あきつみかみ)トシ、且(かつ)日本国民ヲ以テ他ノ民族ニ優越セル民族ニシテ、延(ひい)テ世界ヲ支配スベキ運命ヲ有ストノ架空ナル観念」。こういっていますね。
つまり、昭和天皇自身が、天皇を「現人神(あらひとがみ)」とし、日本を「神の国」としたことが、日本は特別に優れた民族だとして、優越した民族だとして、世界を支配すべき運命を持っている、そういう民族だというところにつながっていった。そのことをはっきり認めて、それは「架空なる観念」として否定したわけです。昭和天皇自身が、日本が「神の国」だという思想が、世界支配への正当化につながったということを認めているじゃありませんか。この認識はないんですか、あなたには。
首相 ですからそういうことは過ちであったということで戦後そういうことにたいしては否定をし、そして日本国憲法において天皇を象徴とし、国民統合の象徴として定めたわけです。そして、信教の自由、これもしっかりと憲法に書き、侵略戦争も否定した、そこから歴史がスタートしているんじゃないでしょうか。
志位 「日本は神の国」という思想が誤っていたと、「日本は神の国」という思想があったから、ああいう侵略や軍国主義が起こったということですね。そういうことの反省の上に立って戦後の政治があるという認識ですね。
首相 その通りです。
志位 そのことを、総理、わかっているんだとしたら、「神の国」というこの言葉、その思想が、まさに侵略を生んだと、その精神的なスローガンだったということをわかって、あなたがあの「神道政治連盟」で話したとしたら、まさに確信犯になるじゃありませんか。
「神道政治連盟」というのは、これは皇国史観をいまだに持っている団体ですよ。そういうところで、あなたが、「神の国日本」ということをおっしゃった。そして、これはもう間違った思想だとして、否定されたということをいまお認めになった。その否定された思想と知っていながら、その場でいったということは、まさにそれがあなたの政治信条だったということになるのではありませんか。
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志位 私は、もう一点、それに関連して、教育勅語の問題をうかがいたい。
総理は教育勅語のことを繰り返しお話になりますが、「良いこともいっている」とおっしゃいます。具体的に「父母に孝」などの文言をあげておられます。そこで私うかがいたいのですが、教育勅語の中で悪いこと、否定すべき部分――これは良いことを具体的文言であげたのですから――悪いことを具体的文言であげていただきたい。
首相 私はこの論議を国会のどこかでいたしました時も、そういう皇国史観的なことを認めるわけにはいかない、あるいは超国家的な思想はよくないということをたびたび申し上げております。ただそのなかで、いま委員が指摘したような、夫婦仲良くするとか、父母に孝をはぐくむとか、こういうところは時代が変わっても不変の真理ではないかと、そういうことは正しいものではないかというふうに申し上げたと思います。
志位 皇国史観の部分などよくないということをおっしゃいました。教育勅語というのは三つのかたまりになっています。最初に神が国をつくって徳を定めたと、それがまさに皇国史観の部分だと思います。二つ目のかたまりはいわゆる徳目の十二項目が並んでいます。そのなかで「一旦(いったん)緩急アレハ義勇公ニ奉シ」という部分があります。これはいい徳目ですか、否定すべき徳目ですか。イエスかノーかでお答えください。
首相 先ほど申し上げましたように、夫婦、兄弟、あるいは父母にというところは、私は永遠の大事な真理ではないかということを申し上げているのでありまして、いわゆる超国家的主義、あるいは国の命令で何をしてもいいんだとか、そういう考え方は当然否定すべきものだというのは当然じゃないですか。
志位 この徳目の項目は、否定すべき項目ですか。はっきりお答えください。
首相 そういうことじゃありませんか。当然否定すべきことじゃありませんか。否定すべきことですとこう申し上げている。
志位 まさにその否定すべき一番の中心の徳目が、この内容だったと思うんです。いったん戦争が起きれば、これは天皇のために命を捨ててたたかえというものですから、これでたくさんの子どもたちが戦場に送られたわけです。教育勅語の中の一番悪い部分ですよ。
それでは、それ以外の徳目は、果たしてあなたのいうように、普遍的な値打ちをもっているのか、これが重大な問題であります。
これは、『国体の本義』という一九三七年に文部省が発行した本です。国体とはなにかについて非常に詳細に書かれております。そこのなかで教育勅語についてこう書いてあります。
「畏(おそれおお)くも『教育ニ関スル勅語』に示し給うた如く、独り一旦緩急ある場合に義勇公に奉ずるのみならず、父母に孝に、兄弟に友に、夫婦相和し、朋友相信じ、恭倹己れを持し、博愛衆に及ぼし、学を修め、業を習ひ、智能を啓発し、徳器を成就し、更に公益を広め、世務を開き、国憲を重んじ、国法に遵(したが)ふ等のことは」――いいですか、その後――「皆これ、大御心に応へ奉り、天業の恢弘(かいこう)を扶翼(ふよく)し奉る所以(ゆえん)であり、悉(ことごと)く忠の道である」、こう位置付けられています。
それでは「忠の道」とはなにか。これも明りょうに書いてあります。「忠は、天皇を中心として奉り、天皇に絶対随順する道である」。これが「忠」の考えなんですね。
そして、あなたがいった「孝」とはなにか。「孝は直接には親に対するものであるが、更に天皇に対し奉る関係において、忠のなかに成り立つ」。
そして、「忠孝一体」という論理が書かれています。「わが国においては、忠を離れて孝は存せず、孝は忠をその根本としている。国体にもとづく忠孝一本の道理がここに美しく輝いている」。こうですよ。
ですから、あなたがいった徳目のすべてが、「一旦緩急アレハ…」という、あなたが否定した徳目に全部つながってくる。そして、「忠の道」につながるんだと、文部省が公式の解説をしているんですよ。ことごとく「忠の道」につながる道徳が、天皇絶対の道につながる道徳が、どうして普遍的な意義をもつでしょうか。お答えください。
首相 さきほどから申し上げているように、そうしたことをすべて含めて、超国家主義、皇国史観ということを私はまとめて申し上げたと思います。そういう考え方に立ってはいかんと、私は申し上げています。何度も申し上げていますが、私は教育勅語を復活しろというようなことは、一度もいったことはありません。それだけは明確に申し上げておきます。
志位 「そういうものを含めて」というが、教育勅語でいわれている徳目のすべては、ことごとく「忠」に通じているんですよ。天皇への絶対的忠誠に通じる。だから、「お父さん、お母さんを大事にする」、これも、さらに「一大家族国家」の頂点にある天皇への忠誠につながってくる。そういうものとして教育勅語は、まさに位置づけられているんですよ。
志位 もう一ついいましょう。この教育勅語は、一九四八年の国会で失効決議がされている、それはご存じの通りです。そのときにいろんな議論がされました。そのなかで、「詔勅の内容は部分的にはその真理性が認められるんじゃないか」、こういうふうなものがあったんだそうです。最初に国会決議案のなかには、その文言が入っていたんですよ。それは削られました。
削られた理由として、当時の衆院文教委員会の松本委員長は、衆院本会議の趣旨説明でこういっています。「われわれは、その教育勅語の内容におきましては、部分的には真理性を認めるのであります、それを教育勅語のわくから切り離して考えるときには真理性を認めるのでありますけれども、勅語というわくの中にあります以上は、その勅語がもつところの根本原理を、われわれとしては現在認めることができないという観点をもつものであります」。そういう観点から削ったんだといっている。
だから、「お父さん、お母さんを大切にしよう」というのは、教育勅語とまったく無関係に語られるなら、これは大事な道徳ですよ。しかし、教育勅語のなかにある「父母に孝」という道徳は、「忠の道に通ずる」というのが、当時の政府の公式見解なんですから、こういうもののなかに少しでも、民主的な道徳規範になるものはありえない。
ですから、そういう認識、基本的な認識もまったくお持ちにならないで、教育勅語の部分をつまみ食いにして、押しつけようとしていく、結局復活していこうとしていく、こういう流れは本当に危険だと思いますよ。
志位 総理はきょう、「神国日本」という考えについて、これは「否定されたものだ」と認めながら、ああいう場で話した。そして、教育勅語についても、肝心かなめのこの問題についてお答えにならなかった。即刻退陣を願うしかないということを申し上げて、私の質問とします。
首相 すべて決めつけられて、それが志位委員の学説なのかもしれませんが、私はたびたび申し上げているように、戦後、そういう反省の中から、憲法を新しく定め、象徴天皇を、国民統合の象徴として天皇を大事にしていこうということを前提として、議論しています。それから、教育勅語を復活させるということを一度もいっておりません。教育基本法を、もし教育国民会議などで議論するときに、当時それが国会で議論されましたが、そういう中には、いまの志位委員のようなものの考え方もあるかもしれませんが、私はそういう考えをとっていませんから、親孝行であるとか、日本の伝統であるとか、そうしたことについては、やはりもっと大事にしていくという考え方を、新たな教育の哲理・哲学をつくるときには、十分参考にしていくべきではないかということを私は申し上げてきています。
志位 反省があったらできない発言だということを申し上げて、質問を終わります。