2013年5月18日(土)「しんぶん赤旗」

『いま、日本共産党』韓国語版序文

志位 和夫


日本共産党の志位和夫委員長が、著書『日本共産党とはどんな党か』の韓国語版『いま、日本共産党』に新たに書き下ろした序文を紹介します。


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(写真)出版された志位和夫委員長の著書『日本共産党とはどんな党か』の韓国語版

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(写真)西大門刑務所歴史館の朴慶穆館長(左端)の案内で刑務所跡を見学する(右へ)、笠井亮国際局次長、志位和夫委員長、緒方靖夫副委員長=2006年9月5日、ソウル市

 韓国の読者のみなさんへ

 本書は、日本共産党はどんな党か、どんな日本をめざしているのかについて、さまざまな機会に私が語ったものを収録したものです。このたび、韓国語版が出版の運びになったことを、たいへんうれしく思います。出版のために尽力してくださった、すべての方々に心からの感謝を申し上げます。

(1)

 「日本共産党」といっても、韓国の方々には、いったいどんな党か、なじみのない方が多いと思います。そこで、まず、簡単に、私たちの自己紹介をさせていただきます。

 歴史……日本共産党が創立されたのは1922年7月で、今年で91年となります。日本の政党の中でもっとも長い歴史をもつ政党ですが、私たちが誇りとしているのは、戦前(1945年の日本の敗戦前)、戦後と、同じ名前で活動している政党は、日本では日本共産党しかないということです。

 戦前、天皇絶対の専制政治のもとで過酷な迫害を受けながら、侵略戦争と植民地支配に反対し、国民主権の日本の旗を掲げ、不屈にたたかった政党は日本共産党だけでした。戦前の時代に、侵略戦争を推進した諸党は、日本の敗戦後、世間に顔向けができず、名前を変えて再出発せざるを得ませんでしたが、私たちにはそうした必要はありませんでした。私たちが、日本共産党という名前を91年にわたって掲げ続けていることは、反戦平和と国民主権の不屈のたたかいと結びついたものです。

 綱領……私たちは、共産党ですから、人類は、資本主義という利潤第一主義の体制をのりこえて、未来社会(社会主義・共産主義社会)に発展するという展望をもっています。同時に、この変革は一足とびにできるものではありません。社会は、国民多数の合意にもとづいて、一歩一歩、階段をのぼるように段階的に発展するというのが、私たちの立場です。日本共産党の綱領では、こうした立場から、日本の当面する変革の課題を、つぎのように明記しています。

 「現在、日本社会が必要としている変革は、社会主義革命ではなく、異常な対米従属と大企業・財界の横暴な支配の打破――日本の真の独立の確保と政治・経済・社会の民主主義的な改革の実現を内容とする民主主義革命である。それらは、資本主義の枠内で可能な民主的改革である」

 草の根……日本共産党の国会での現在の議席は、衆議院議員が8名(定数480)、参議院議員が6名(定数250)であり、直近の国政選挙での得票数は369万票、得票率は6・13%となっています。国会での力を大きく伸ばすことは、私たちの最大の課題の一つです。同時に、私たちは、国民に根を張った草の根の党という点では、他党の追随を許さないものがあります。日本共産党は、全国に31万8千人の党員、職場、地域、学園あわせて2万を超える党支部、2700人を超える地方議員をもち、全国津々浦々で国民の利益をまもって日夜活動しています。わが党は、約130万人の「しんぶん赤旗」(日本共産党の中央機関紙・日刊紙と日曜版があります)読者をもっています。企業・団体献金も、国からの政党助成金も受け取らず、すべて財政は国民に依拠してまかなっています。草の根で国民に根を張って活動しているという点では、日本の政党のなかで、最も進んだ党――政党らしい政党が日本共産党です。

 自主独立……「共産党」というと、崩壊した旧ソ連の共産党などを連想する方もいるかもしれません。しかし、日本共産党は、日本の党と運動の進路は、自らの頭で決め、どんな大国であっても外国の指図は受けないという自主独立の立場をつらぬいてきました。1960年代に、当時のソ連共産党や中国・毛沢東派から、「自分たちのいいなりになれ」という激しい干渉攻撃がくわえられたときにも、私たちは、自主独立の立場からそれをきっぱりと拒否し、打ち破りました。ソ連がおこなったチェコスロバキア侵略(1968年)、アフガニスタン侵略(1979年)に対して、日本共産党は「社会主義と縁もゆかりもない暴挙」ときびしく批判し、ソ連と激しい論争をおこないました。1991年にソ連共産党が崩壊したさいには、「世界に覇権主義の害悪をもたらした党が崩壊したことを歓迎する」という声明を発表しました。

 日本共産党は、崩壊したソ連の党などとは根本的に違う党です。私たちは、民主主義と自由の成果をはじめ、資本主義時代の価値ある成果のすべてを受けつぎ、将来にわたって豊かに発展させるという立場を確固として貫きます。崩壊したソ連で横行したような、「社会主義」の名で人民を抑圧し、他国への侵略をおこなうなどの暴圧は、決して再現させません。議会で国民の多数の支持を得ることによって平和的・民主的に社会発展の道を切り開く――多数者革命をすすめるということが、私たちの立場です。

(2)

 本書が日本で出版されたのは、2007年1月であり、小泉内閣から、第1次安倍内閣までの時期を対象にしています。

 本書では、自民党政治には世界の他の資本主義国にはない、“三つの異常な特質”があることをさまざまな角度から明らかにし、どうやってこの異常から抜け出すかについて、日本共産党の立場をのべています。“三つの異常な特質”とは――、

 ――過去の侵略戦争を正当化する異常。

 ――アメリカいいなり政治の異常。

 ――極端な大企業中心主義の異常。

 本書の出版後、日本の政治は、2009年の衆議院選挙で民主党政権への「政権交代」がおこりました。しかし、民主党政権は、「政治を変えてほしい」という国民の願いをことごとく裏切って、自民党とうり二つの政権となり、2012年の衆議院選挙では自民党が政権に復帰し、第2次安倍内閣が発足するという展開となりました。しかし、本書で分析した、日本の政治の異常な特質、その打開の展望については、今日の日本政治にもほとんどそのままあてはまります。

 異なる点といえば、本書を執筆した時点とくらべても、自民党政治の行き詰まりが、外交、内政ともに、いよいよ深刻になり、それが崩壊的な危機に陥っていることにあります。極端な大企業中心主義を続けてきた結果、日本では、働く人の所得が減り続け、国内総生産(GDP)は1997年以降の14年間に90%まで落ち込むなど、日本は「経済成長が止まり、衰退を続けている国」に落ち込んでしまっています。異常なアメリカいいなり政治を続けてきた結果、在日米軍基地の矛盾がいよいよ深刻となり、とりわけ基地が集中している沖縄では、保守から革新までの超党派の島ぐるみの意思として、米軍の新基地建設計画に反対するなど、矛盾が沸騰しています。

 いま世界でもアジアでも、日本の情勢を全体として「右傾化の危機」と見る論調が多く見られます。これは一面では、間違いのない事実です。戦争放棄と軍備保持禁止を定めた日本国憲法9条の改定をはじめ、日本のいっそうの右傾化、軍事大国化の危険が存在することは重大であり、私たちは、この危険に強い警鐘を鳴らしています。憲法9条改定問題は、たんに日本の国内問題ではありません。この条項は、アジア太平洋への侵略戦争の反省を踏まえ、日本は二度と再び侵略国とならず、世界平和の先駆けとなるという、“国際公約”にほかなりません。この宝を守ることは、日本国民の世界とアジアに対する重大な責任でもあります。憲法改悪の動きを阻止し、憲法9条を守り生かす国民多数派をつくるために全力をあげる決意です。

 同時に、今日の日本の情勢を「右傾化」の一色で見ることは適切ではありません。あらゆる分野で、古い自民党型政治――異常な「アメリカいいなり」「財界中心」が行き詰まり、耐用年数が尽きるもとで、これまでにない広範な国民が声をあげ、たたかいに立ち上がっています。史上最悪規模の福島原発事故を体験して、「原発なくせ」の運動が、日本列島のすみずみで広がっています。TPP(環太平洋連携協定)によって日本農業、日本経済の自主性が根こそぎ奪われる危機のもとで、これまで保守といわれていた人々と私たちとの広大な共同が広がっています。国会の中では、憲法改定派が多数ですが、日本国民の中では様相は異なっています。どの世論調査を見ても、日本国民の過半数は憲法9条改定に反対の意思を表明しています。

 古い自民党型政治が、あらゆる分野で行き詰まるもとで、日本の前途には重大な危険とともに、大いなる希望もあります。危機と希望が交錯する歴史的岐路にたちいたっているのが、いまの日本の現状なのです。日本の政治をアジアや世界から歓迎される方向に転換させるために、日本共産党の果たすべき役割は大きいと、私たちは考えています。

(3)

 本書が特徴づけた“三つの異常な特質”のうち、日韓関係に直接かかわってくる問題が、「過去の侵略戦争を正当化する異常」です。

 日本の政界では、繰り返し、「過去の日本の戦争は正しい戦争だった」「植民地支配といっても、良い面もあった」などという、侵略戦争・植民地支配肯定論が問題になります。これは第2次世界大戦で同じ侵略国であった、ドイツなどではまったく考えられないことです。なぜこんなことが繰り返されるのか。それは、韓国のみなさんから見て、理解しがたい問題だと思います。

 その根は、日本の敗戦後の再出発の過程にあります。日本の敗戦の直後には、侵略戦争をすすめた勢力が、戦争犯罪人として訴追され、あるいは公職追放とされました。ところが、侵略戦争を推進した指導勢力のうち、戦犯として裁かれたのはごく一握りの人々で、多くはまもなく「復権」し、日本の政治の中枢を握ることになりました。そして、そうした勢力は、戦後、長らく政権を握り続けている自由民主党(あるいはその流れの分岐である民主党や日本維新の会など)のなかに、脈々と受け継がれることとなりました。

 靖国神社の参拝問題、歴史をゆがめる教科書問題、過去の戦争や植民地支配を賛美する数々の暴言――これらが今日も続いている歴史的背景には、右にのべたような事情があることを指摘しなければなりません。

 同時に、韓国の読者のみなさんに知っていただきたいことがあります。それはこうした歴史をゆがめる逆流に対して、日本国民のなかにも強い理性的批判の声が存在するということです。そして、日本共産党が、戦前の暗黒の時代に、命がけで侵略戦争と植民地支配に反対してたたかった党として、日本国民のなかに存在する理性の声とスクラムを組んで、歴史の逆流を許さないたたかいの先頭にたっているということです。

(4)

 私は、2006年9月に、日本共産党党首として初めての訪韓をおこない、韓国政界のリーダーの方々や、歴史学者、学生のみなさんと懇談する機会をもつことができました。その全体を通じて痛感させられたのは、35年間の日本帝国主義による植民地支配の傷痕、それへの怒りが、いまなお韓国国民のなかに強く残っていることでした。植民地支配によって、自らの国がなくなってしまったことへの痛みの深さは、独特のものがあると、強く感じました。

 そして、その痛苦の歴史的時期に、日本共産党が、韓国・朝鮮の愛国者に連帯し、植民地支配に反対してたたかった歴史をもつ党であることを話しますと、私たちと韓国のみなさんとの気持ちがいっぺんに通いあうという体験を何度も経験しました。

 歴史は決してつくりかえることはできません。しかし、誠実に向き合うことはできます。歴史に誠実に向き合い、誤りを真摯(しんし)に認め、清算をおこなう。そうしてこそ初めて、将来の世代にわたって、日本と韓国の両国間、両国民間の心通う友情を築くことができるというのが、私たちの確信です。

(5)

 そのためには、歴史をゆがめる逆流を許さないことはもちろんですが、過去の歴史への根本的な清算は避けて通ることができないと、私たちは考えます。

 日本軍「慰安婦」問題の解決は、被害者の方々の年齢を考えても、緊急の課題です。その解決のためには、日本政府としてこの植民地犯罪について謝罪と賠償をおこなうことが不可欠です。韓国政府は、元日本軍「慰安婦」被害者の賠償請求権に関して、1965年の日韓請求権協定にもとづく両国政府間の協議を繰り返し日本政府に求めています。しかし、日本政府は、「請求権の問題は解決済み」として、協議に応じる姿勢を示していません。

 しかし、同協定の第3条1項は、協定の解釈及び実施に関する両国間の紛争がある場合には、「まず、外交上の経路を通じて解決するものとする」としています。日本軍「慰安婦」問題が、被害者の告発によって明らかとなり、政治問題化したのは1990年以降のことであり、「解決済み」との日本側の主張は成り立ちません。日本政府は、日韓請求権協定第3条の規定にしたがい、韓国政府との協議に早急かつ誠実に応じるべきだというのが、私たちの主張です。

 私は、さらに、日本の政界の中に存在する植民地支配への無反省の根源として、1965年に締結された日韓基本条約の問題点をあげなければなりません。この条約にいたる交渉過程でも、条約の中でも、日本は、1910年の「韓国併合」について、それが不法なものと認めていません。しかし、「韓国併合」に至る歴史の全過程は、日本が、武力による威嚇と武力の行使によって、植民地支配に反対する韓国人民のたたかいを血の海に沈め、「併合」を強行したことを示しています。2年後、2015年は、日韓基本条約締結50年を迎えますが、この機会に、日本は「韓国併合」について「不法・不当」なものだったことを、きっぱりと認めるべきだというのが、私たちの立場です。

 日韓両国の間には、解決が求められる紛争問題も存在します。日本が過去の植民地支配に対して誠実な態度をとり、その根本的清算をはかることは、両国間に存在する懸案課題を解決するうえでも、冷静な話し合いの土台をつくることになるでしょう。私は、そのために力をつくす決意を申し上げるものです。

(6)

 最後に、私は、日本の植民地支配について、今日的視点から、さらに三つの点をのべなければなりません。

 第一は、なぜ朝鮮半島が南北に分断されたのか、という問題です。そこには、さまざまな歴史的な要因があります。南北の分断を固定化したのは、1950年から53年までの朝鮮戦争でした。しかし、南北分断の出発点となったのは、日本の敗戦にともなう、米ソによる北緯38度線を境にした分割占領でした。韓国・朝鮮の人々は、日本の敗戦を「光復」として喜びました。しかし、朝鮮半島は、敗戦国の植民地として終戦を迎えることになりました。このことが南北分断へとつながったことは、まぎれもない事実です。その意味では、現在なお朝鮮半島が南北に分断されている歴史的な淵源(えんげん)をたどりますと、それは日本の植民地支配と無縁とはいえないと思います。南北の統一は、もとより韓国・朝鮮人民自身の手によって自主的に解決されるべき問題です。同時に、南北が分断された歴史的経過にてらしても、平和的統一が実現するような国際的環境をつくるうえで、日本はその重要な責任の一端を担っていると、私は考えるものです。

 第二は、なぜ韓国で軍事独裁政権が1987年まで続いたのか、という問題です。これにもさまざまな歴史的な要因がありますから、一言で言うわけにはいきません。ただ私は、姜萬吉(カン・マンギル)高麗大学名誉教授がその著書『韓国現代史』のなかでのべているつぎの指摘は、重く受け止めなければならないと考えています。

 「植民地であった三五年間は、我が国がまさに専制主義体制を清算し民主主義的政治体制を形成していかなければならない時期であったが、植民支配によって民主主義的な政治訓練を積むことがまったくできなかったのである。……日本の韓半島に対する植民支配が残した最大の政治的被害は、近代社会に入った韓半島の住民から民主主義的な政治体験を積む機会を完全に剥奪(はくだつ)することで、解放後の韓半島に国民主権主義の政治形態を定着させるうえで大きな打撃を与え、韓半島が南北に分断される素地を作った点にあると言えるだろう」

 その通りだと思います。そういう視野にたって、韓国の戦後の歴史をとらえなければならないと、私は考えるものです。

 第三は、21世紀の国際政治の到達点から植民地支配の問題をとらえるということです。日本の一部に存在する植民地支配合理化論のなかに、「韓国併合は不法・不当というが、当時の列強はそれぞれが植民地をもっていたではないか」という議論があります。

 しかし21世紀に入って、過去にさかのぼって植民地支配への責任を問う動きが国際政治のなかに生まれていることは、重要なことです。2001年8〜9月に南アフリカのダーバンでおこなわれた国連を中心とした「ダーバン会議」では、そこで採択された「宣言」のなかで、植民地主義について、それが起きたところは「どこであれ、いつであれ」――地球上のどこであれ、また過去にさかのぼって、「非難」されるべきものだということが、確認されています。「他の国も植民地をもっていたのだから、日本も許される」という合理化論は、21世紀の世界にあっては許されないものだと、考えるものです。

 よく「未来志向の日韓関係」という言葉が使われます。先々までの未来にわたる日韓両国、両国民の友情は、過去に誠実に向き合うことによって、初めて可能になる。そのことを深くかみしめて、努力をかさねたいと決意しています。

 2013年3月6日  

 東京にて 志位 和夫