2011年12月22日(木)
|
「今月の『古典教室』で学んだ革命論、4中総で強調した民主連合政府樹立という目標、『綱領教室』では民主主義革命論と、“革命″という問題で“合流”する形で学ぶことになりました」。志位和夫委員長は、20日に党本部で開かれた第9回「綱領教室」の最初にこうのべて、綱領第4章「民主主義革命と民主連合政府」の講義を開始しました。
志位さんは、本題に入る前に、北朝鮮の金正日総書記の死去にかかわって、2002年の日朝平壌宣言、05年の6カ国協議の共同声明に立ち返り、「国際社会の責任ある一員としての道をすすむことを願う」という党の立場について表明しました。(詳報は21日付1面)
志位さんは、「異常な対米従属と大企業・財界の横暴な支配の打破」をはかる「民主主義革命」論について、「綱領路線の一番の核心をなす部分」とのべるとともに、「民主主義革命」の路線そのものについて、その意義を三つの角度から語りました。
第一は、この路線が、世界の運動の「常識」を覆すものだったということです。「世界でも日本共産党だけだったといっていい、先駆的なものでした」と志位さん。
日本共産党が綱領で民主主義革命の路線を決定した1961年当時、民主主義革命といえば、フランス革命など反封建の革命や、中国革命のような植民地・従属国での反帝・反封建の革命のことで、「発達した資本主義国では社会主義革命」ということが「常識」とされていました。
60年の81カ国共産党・労働者党代表者会議で、日本共産党代表団は、発達した資本主義国での民主主義革命という問題を提起しましたが、「共同声明」では、社会主義革命路線が強く押し出され、民主主義革命には「ヨーロッパ以外の」という地域的限定がつけられました。
日本国内では、社会党が「社会主義革命一本やり」の立場から、「ブルジョア民族主義への転落」などと激しく攻撃したものでした。
「発達した資本主義国での民主主義革命」という路線は、国際的にも国内的にも、他に類のないきわめて先駆的なものでした。
第二に、半世紀の日本の政治史で、その正しさと生命力が検証された――こう志位さんは力説します。
61年に綱領路線を決めたときに、論争の焦点となったのは、(1)アメリカへの従属関係をどう評価し、対米独立(反帝独立)の任務をどう意義づけるか、(2)大企業・財界の横暴な支配に反対する闘争(反独占)の性格をどうとらえるかにありました。
綱領路線に反対する人たちは、「アメリカへの従属関係は、日本の経済力が強まれば次第に解消する」として、対米独立の任務を革命の戦略的任務とすることに反対しました。また、「反独占なら社会主義革命しかありえない」という立場に固執しました。
「半世紀の政治史によって決着がつきました」と志位さん。(1)この半世紀に、日本は「経済大国」となったが、無制限の米軍基地特権、日米軍事共同体制の強化など、対米従属はいよいよ深刻になり、対米独立は革命の戦略的任務とすべき課題であることがますます明瞭になったこと、(2)大企業・財界の横暴とたたかう国民のどんな要求も、民主主義的要求となることは、半世紀の国民のたたかいの発展のなかで豊かな姿で示されていることを強調しました。
志位さんは、「民主主義革命の路線を決めて半世紀たつのにまだ実現していない」という疑問に答える形で、民主主義革命の路線とは、いざ革命を実行するときに初めて力を発揮するわけではないと説明。「わが党の日常のすべての政策活動、国民運動、国際活動に、生きた力として働いてきました。民主主義革命という路線をもっているから、それぞれのたたかいの戦略的意義づけが明瞭となり、正面から本腰で取り組むことができます。民主主義革命は、将来の目標であるとともに、日々のたたかいの指針でもあるんです」と解明しました。
「社会主義革命一本やり」で、対米独立を戦略的に位置づけることを回避した社会党が、80年の「社公合意」で日米安保肯定に至った経過に触れ、「日本社会が直面する一番の課題を回避すれば、勇ましいことを言っても、転落に陥る」ことは法則的だと指摘しました。
第三にあげたのは、民主主義革命の路線は、日本独自のものですが、「世界的視野で見て、一般性をもつ側面も、ある程度は含まれている」ということです。
資本主義の「グローバル化」への対応を解明した第22回党大会(2000年)で、民主的改革のいわば“国際版”として打ち出したのが「民主的国際経済秩序」であり、この立場は綱領にも明記されました。
志位さんは、大会後10年余の世界の経済構造の変化を振り返り、IMF(国際通貨基金)路線押し付けの大破綻、OECD(経済協力開発機構)非加盟国(新興国・途上国)が年ごとに力を増す経済関係の構造変化、08年からの世界経済危機を契機にG8からG20へと枠組み自体が変わったことなど、「新しい民主的な国際経済秩序を築くことが世界政治において現実の目標になってきました」とのべました。
「独立・民主・平和の日本の実現は、資本主義の枠内で可能な民主的改革」であるのに、なぜ革命というのか――。
志位さんは「革命とは、ある社会勢力から、他の社会勢力に『国の権力』、国家機構の全体を移すことです。そのことによってはじめて民主的改革を全面的に実行できるようになります」と語りました。
「革命というと民主党を思い出します」と志位さん。自らの「政権交代」について、「革命的改革」とか、「民主主義革命」とかいいましたが、「日本の独占資本主義と対米従属の体制を代表する勢力」(綱領)がしっかり握っていた「国の権力」には指一本触れず、行き着いたのは自民党政治の継承者になることでした。「私たちが目指す革命とは、こうした『政権交代』とはまったく違う、根本的な日本の変革です」
志位さんはここで、「もう一つつかんでいただきたいこと」として、日本共産党が、「国民多数の意思にもとづく、社会の段階的発展の立場」をつらぬいていることをあげました。
同時に、日本社会はいわば「二重の矛盾」(日本社会に特有の矛盾、資本主義そのものの矛盾)に直面しているとし、当面する民主主義革命を達成するための多数派結集に力をつくしながら、資本主義を乗り越える未来社会論を大いに語るという姿勢を強調しました。
講義は、民主的改革の主要な内容を定めた第12節の第一の柱「国の独立・安全保障・外交の分野で」に進みました。第1項で、日米安保条約の廃棄と日米友好条約の締結を明記しています。
志位さんは、安保廃棄派を多数派にしていくことは、民主連合政府への国民的条件を成熟させていく最大の要をなす問題だと強調し、1968年の参院選で党が「条約第10条の手続き(通告)による廃棄」を提起し、大きな反響を呼んだことを紹介しました。
そのうえで、日本共産党が、帝国主義の政策と行動への断固たる批判者であると同時に、反米主義ではなく、アメリカの民主主義の歴史への深い尊敬を持ち、真の友好を願っていることを語りました。
ここで志位さんが、「民主主義の偉大な歴史」に関連して紹介したのは、マルクスとリンカーンの交流秘話です。
志位さんは、マルクスとリンカーンが歴史的に重なる時代に生きたことを、ホワイトボードに書いた略年表で示しながら講義を進めました。
リンカーンは、1861年〜65年のアメリカ大統領で、南北戦争をたたかい、その最中に奴隷解放宣言を出しました。
そのリンカーンが、64年の大統領選で再選された際、マルクスは国際労働者協会(インタナショナル)の委託を受けて祝辞を送り、「一つの偉大な民主共和国の思想がはじめて生まれた土地」としてアメリカを民主主義の発祥の地と特徴づけました。リンカーンはマルクスに返書を書き、「新たな励ましとして、努力を続ける」と伝えました。
うなずきながらメモを取っていた受講生が、いっせいに顔をあげたのは、志位さんが「最近になって、この交流は偶然のものでなく、興味深い背景があったことを知りました」とのべて、一冊の本を取り出したときです。今年、アメリカで出版された『“S”で始まる言葉――アメリカの伝統としての社会主義小史』です。
志位さんは、この本のページをめくりながら、リンカーンは、マルクス・エンゲルスが1851年から62年にかけて多数の政治論評を寄稿していた新聞「ニューヨーク・トリビューン」の熱心な読者だったことを紹介すると、「ほーっ」と驚きの声があがりました。
同書では、リンカーンが、大統領に就任する前のイリノイ州での「トリビューン」の最も熱心な読者だったこと、「未来の大統領は、『トリビューン』とその最も有名な欧州通信(マルクスの論説のこと)を熟読することで、遠隔地の分裂(ヨーロッパの階級対立)と国内の出来事を関連づけて考察していたことは疑いない」と書いています。
志位さんは続けます。
――1848年のヨーロッパ革命ののちにアメリカに逃れてきた、マルクスの友人も含むドイツの多くの革命家が南北戦争に参加し、重要な役割を担った。
――マルクスは、南北戦争が「連邦存続」の戦争から「奴隷制廃止」戦争に発展せざるを得ないと予見したが、事実はその通りにすすんだ。
――リンカーンは、就任後初の一般教書演説で「労働は資本に優越し、より高位に位置づけられるにふさわしい」とのべ、南北戦争が奴隷解放だけでなく「労働者の権利のための戦争」であると語った。
「20世紀に入ってアメリカは帝国主義の道を歩むことになりましたが、科学的社会主義の創設者の一人と、アメリカ共和党の創設者が、大西洋をはさんでこうした絆で結ばれていたことは、興味深いことではないでしょうか」
さらに志位さんは、昨年の米バーモント州訪問で、今も草の根に息づく民主主義の歴史の深さを感じたことにも触れ、「将来、友好条約を結ぶ相手として、アメリカという国をまるごと知ることが大切だと思います。今のような支配、従属をやめれば、真の友好関係がどんなにか広がることでしょう」と実感を込めて語りました。
つぎに、第3項の自衛隊の段階的解消の方針に話を進めました。
党は、第22回大会で、三つの段階を踏んで、自衛隊を解消する方針を決定し、綱領にもこの立場を明記しました。
「なぜ即時解消でなく、段階的解消か?」「憲法違反の自衛隊の活用は矛盾ではないのか?」など、よく出される疑問に答える形で、憲法9条と自衛隊の現実との矛盾を解消するため、9条の完全実施にむけて、国民の合意を尊重しながら、段階的に進む立場を説明しました。
「この問題は、民主連合政府が樹立されたら即座に回答が求められますが、その前に答える機会がやってきました」と笑いを誘った志位さん。2001年参院選の党首討論での、自民党の小泉首相(当時)とのやりとりを再現すると会場から拍手が。志位さんは、「この方針によって、自衛隊解消にむけた最も現実的・合理的な道筋が明瞭になるとともに、『日本が攻められたらどうするのか』という疑問への説得力のある回答が可能となりました」と強調しました。
今回の講義の最後に、第4項の「平和外交の中心点」について、これは党の野党外交の基本方針でもあることを指摘しました。
「日本が過去におこなった侵略戦争と植民地支配の反省を踏まえ、アジア諸国との友好・交流を重視する」。この綱領の提起について志位さんは、侵略戦争を美化する逆流を許さないことはもちろんだが、それにとどまらず、過去の清算に積極的に取り組むことを強調しました。
先日実現した朝鮮王朝儀軌(ぎき)の返還にかかわって、志位さんが訪韓したとき、緒方靖夫副委員長、笠井亮衆院議員をはじめ党議員団が実現に力を尽くしたことに韓国側から繰り返し謝意が寄せられ、韓国で出版された本『儀軌・取り戻した朝鮮の宝物』には、日本共産党が「決定的役割」を果たしたと書かれていることを紹介しました。
「従軍慰安婦」問題では、謝罪と賠償の問題が解決されていません。「この問題でも誠実に歴史の事実に向き合うことは、両国民の未来にわたっての友好にとって避けて通れません」と志位さん。
「綱領の平和外交の方針を、野党外交として一つひとつ実践し、アジアや世界の国々と平和と友好の関係をつくるために力をつくしたい」とのべ、講義を締めくくりました。