2011年12月21日(水)
志位和夫・日本共産党委員長は、20日に行った「綱領教室」のなかで、北朝鮮の金正日総書記の死去について、要旨次のように発言しました。
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金正日総書記の死去に際して発表した談話のなかで、「一国の首脳の死として哀悼の意を表する」とのべるとともに、後継指導部が2002年の日朝平壌宣言、05年の6カ国協議の共同声明に立ち返り、「国際社会の責任ある一員としての道をすすむことを願う」と表明しました。
今後を考える上で、大局で流れをとらえることが大切です。とくに、二つの宣言・共同声明は、たいへんに重要です。
わが党は、北朝鮮問題について、一貫して外交的手段・対話による解決を主張してきました。
1998年秋、北朝鮮によるテポドンミサイル発射という事態が起きました。
99年1月、11月に、不破哲三委員長は、衆院本会議で、日朝に交渉ルートが存在しないまま軍事的対応の悪循環がすすんでいることは問題だとし、「正式の対話と交渉のルートを確立する努力を、本腰を入れて真剣に行う」、その中で拉致問題を含めて双方のあらゆる問題をきっちり解決しようということを提唱しました。2度目の提案の直後に、村山元首相が、私を訪ねてこられ、「超党派の議員団を北朝鮮に送ることになった。日本共産党からも参加してもらえないか。不破さんの提案に注目している」とのべました。わが党も参加した超党派の代表団が訪朝し、来年から政府間の交渉を始めようということが決まりました。
それが2002年の小泉首相の訪朝と、日朝平壌宣言につながりました。日朝平壌宣言は、核兵器、ミサイル、拉致、過去の清算など、両国間の諸懸案を包括的に解決して、国交正常化をはかるという外交的解決のロードマップとして、きわめて重要な意義をもつものとなりました。そのさいおこなわれた党首会談で、私たちは「心から歓迎し、協力をおしまない」と表明しました。
さらに、6カ国協議という枠組みが進展し、05年の6カ国協議の共同声明は、朝鮮半島の非核化をはじめとする諸問題の平和的解決を確認するなど重要な前進を記録しました。その中には米朝国交正常化、日朝国交正常化への努力も位置づけられました。さらに、「北東アジア地域の永続的な平和と安定のための共同の努力」がうたわれました。6カ国協議の最もすすんだ到達点をしめすものでした。
その後、北朝鮮による核実験など、さまざまな複雑な逆流がおこっています。しかし、今後を考えるうえで、北朝鮮の後継指導部が、これらの宣言・共同声明にたちかえり、国際社会の責任ある一員としての道をすすむことが、東アジアの平和と安定にとっても、北朝鮮自身の今後にとっても、最も理性的な方向となっています。日本をはじめ、関係諸国も、そうした方向に事態を前進させるための外交的努力に力をつくすことが大切であることを強調しておきたいと思います。