2011年8月2日(火)「しんぶん赤旗」

危機をのりこえて新しい日本を

日本共産党創立89周年記念講演会開く

志位委員長が記念講演


 日本共産党は1日、東京・日本青年館で党創立89周年記念講演会を開き、志位和夫委員長は「危機をのりこえて新しい日本を」と題して記念講演し、戦後最悪の大震災・原発事故のもとでの国民の変化と新しい日本への展望を語りました。被災した岩手、宮城、福島3県の党県委員長があいさつ。第2会場まで参加者でいっぱいとなり、会場では志位氏の講演に共感の拍手や笑いがたびたび起こりました。インターネットでも全国に中継されました。


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(写真)日本共産党創立89周年記念講演会で志位和夫委員長の講演を聞く人たち=1日、東京・日本青年館

 志位氏は、いまなお9万人を超える人々が避難生活を余儀なくされているもとで被災者支援と復旧・復興に全力をあげる決意を表明。「3・11を契機に国民の中に政治や社会への見方、生き方にたいする大きな変化が起こりつつある」とのべ、この変化が「国民の苦難を軽減し安全を守る」という立党の精神で立ち向かう日本共産党の奮闘と共鳴しあい、新しい共同が広がっていると指摘しました。

 「人のために何かしたい」と初めてボランティアに参加したり、ご近所の助け合いの大切さを見直したという女性たち―。志位氏は、報道番組の特集にふれ、この変化は「自己責任」論を国民的にのりこえ温かい社会的連帯を求めるものだと述べました。

被災地での献身

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(写真)記念講演をする志位和夫委員長=1日、東京・日本青年館

 その上で、被災者に心を寄せて奮闘する日本共産党の活動を紹介。津波で亡くなった岩手県陸前高田市の及川一郎市議が最後まで住民の避難誘導に力を尽くしていたことにふれると涙ぐむ人も。被災各地での日本共産党員の献身は、立党の精神を体現したものであり、わが党の誇りだとのべました。

 また、党の呼びかけたボランティアがのべ1万1千人以上、震災募金も8億8千万円を超えたことを報告。「共産党なら間違いなく救援に使ってくれる」と募金を送り続けてくれている「赤旗」読者、ボランティアを経験した若い姉妹の働きかけで、町も支援物資を送ることになった例にもふれながら支援活動の発展を呼びかけました。

 国民が大災害に遭遇したとき、つねに党の献身的な活動があった―そうのべた志位氏は党の歴史に言及。1923年の関東大震災では、猛火の中、幼児を救出した川合義虎氏(日本共産青年同盟初代委員長)など党員が命がけの被災者救援にあたりながら弾圧にあったことを語りました。

 33年の「昭和の三陸大津波」では、激しい弾圧の中、党と労農救援会が懸命の救援にあたったことを、当時の「赤旗」を示して紹介。戦後の阪神・淡路大震災などでも受け継がれてきた党の精神は、不屈の伝統の積み重ねの上に築かれたものだと強調し、大きな拍手に包まれました。

復興のたたかい

 復興の問題では、「二重ローン」の解消を目指す取り組みなど政治を前に動かす変化もつくりつつあると報告。同時に、“財界主導の上からの復興”の押し付けか、“住民合意を尊重した復興か”の激しいせめぎあいが起こっていることを、「水産特区構想」を例に浮き彫りにしました。

 被災を口実にしたソニーの無法なリストラ計画とのたたかいでは、「大震災のときこそ、巨額の内部留保をため込んできた大企業が雇用を守り、社会に恩返しするべきではないか」とのべると、「そうだ」の声と拍手が起きました。

 復興のたたかいは、党綱領が示す「ルールある経済社会」を築く重要な内容の一つだと指摘。「社会的連帯で人々が支え合う新しい日本を築こう」と呼びかけました。

原発問題で注目

 原発問題に話を進めた志位氏は、「政治のウソ」が明るみに出され、「真実を知りたい」という動きが広がっており、これまで原発の危険性を批判し続けていた日本共産党への新たな注目になっていることを不破哲三社会科学研究所所長の原発講義への反響など例に語りました。

 さらに、「国民の声は、政治を動かし始めた」と強調。浜岡原発を停止に追い込んだことは第一歩の勝利だとのべると、共感の拍手に包まれました。また、日本共産党ならではの連携プレーで明らかにした九州電力の「やらせメール」問題を告発すると、たびたび拍手が。原発が不正な世論操作をやらなければ説得できない危険なものであることを自ら証明したとのべると、「そうだ」の声が起きました。

原発抑えた力

 志位氏は「原発撤退」のテーマに正面から迫りました。

 党の「原発撤退提言」(6月13日)にふれ、原発事故は「空間的」「時間的」「社会的」にどこまでも広がる「異質の危険」を持つこと、その根本には現在の原発の技術が本質的に未完成で、「死の灰」をコントロールできないことがあると強調しました。

 そのうえで、「異質の危険」を政府は知っていたかと問いかけた志位氏。政府が1960年に、茨城県東海村で重大事故が発生した場合の被害推定をしながら、放射能障害に関し400万人の要観察者を生み出すなどの内容に衝撃をうけ、これを39年間も国民に隠しつづけたことを告発すると、どよめきが。「正直に公開されていたら、日本にいまある54基もの原発をつくることはできなかった」「真実を隠蔽(いんぺい)し、ウソと虚構のうえにつくられた原発はなくすしかありません」と力を込めました。

 志位氏は、原発の危険に反対しつづけた日本共産党の戦後半世紀余の歴史を振り返りました。

 1955年に最初の日米原子力協定が結ばれ原子力基本法がつくられましたが、その危険性をあげて反対したのは共産党だけでした。党は61年7月の中央委員会総会で「原子力問題にかんする決議」を採択し、原発の建設中止を求めました。

 志位氏は、「私が強調したいのは、草の根のたたかいと国会での論戦によって、政府と電力会社の思い通りには、事がすすまなかったことです」と述べ、こんな事実を紹介しました。

 いま全国で17カ所、54基の原発が存在していますが、17の設置箇所は60年代までに計画されたもので、70年代以降に新規立地が計画された原発で稼働までこぎつけたものは一つもないのです。

 立地を断念させたたたかいは、主なものだけで全国25カ所におよび、その結果、原発発電量が当初の政府計画(1億キロワット)の半分以下(約4800万キロワット)に抑えられたと強調した志位氏。「今回の『原発撤退提言』は、この歴史の積み重ねのうえにつくられたものであり、私は、長年にわたって住民の命と安全を守って草の根でたたかってきた、すべての人々に心から敬意を表します」と述べると、聴衆の「そうだ」の声と大きな拍手に包まれました。

二つのゆがみ

 志位氏は、世界有数の地震・津波国が原発列島にされた根底に、政治の二つのゆがみが横たわっていると提起しました。

 第一は、「原発利益共同体」ともよばれる利益集団の存在です。これが、財界、政界、官僚、御用学者、巨大メディアによる“原子力村のペンタゴン(五角形)”を形成し、国民を「安全神話」のウソで欺いて原発を推進し、巨額の利益をむさぼってきたことを厳しく批判すると、ひときわ大きな拍手が起こりました。

 第二は、日本の原子力政策が、アメリカの原子力戦略に従属して決められてきたことです。最初の日米原子力協定で“「(米による)濃縮ウランの提供」↓それを燃やすための原発導入”という「世界に類を見ない逆立ちしたスタート」を切り、それが現在もつづいていること、原子炉もアメリカ製品のコピーにすぎないことなど詳細に解明しました。

 志位氏は、原発からの撤退は、「アメリカ・財界いいなりという日本政治の『二つの異常』をただし、日本社会の姿かたちを変えるたたかいです」と力を込めました。

大仕事ともに

 志位氏は最後に、心から訴えました。

 財界主導の「二大政党」づくりは2009年8月の「政権交代」でピークに達したとたん、深刻なゆきづまりに直面し、日本共産党の主張にこそ、政治の真実があるのではないかと考える流れが生まれていることを力説。大企業でも、排除されながら頑張ってきた共産党員が、いまでは多くの労働者から尊敬され、会社も認める存在になっている例など、奥深い変化を生き生きと紹介して―。

 「いま日本は、大震災と原発事故という危機のさなかにありますが、ともに手を携えてこの危機を乗り越えるならば、その先には必ずや新しい日本が見えてくるでしょう。この大仕事を日本共産党員としてともにとりくもうではありませんか」と呼びかけると、会場いっぱいの拍手と歓声が応えました。