2011年2月17日(木)「しんぶん赤旗」

「綱領教室」志位委員長の第3回講義


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(写真)インターネット通信で各地と結び講義する志位和夫委員長=15日、党本部

日本の従属なぜ

 15日の第3回「綱領教室」で志位和夫委員長は、冒頭に「綱領・古典の連続教室」が「党支部や民青の班を単位に受講者が広がっていることをうれしく思います」とのべました。講義は、植民地解放への連帯、農村でのたたかい、戦前党はどういう影響力をもっていたか―についての補講から始まりました。

 植民地解放への連帯のたたかいについて、志位さんは、戦前の「赤旗」(せっき)に載った、朝鮮独立闘争への連帯を烈々と訴える論説記事を読み上げました。

 「半封建的な地主制度」をなくす農村でのたたかいでは、党もかかわった新潟県木崎村(新潟市北区)の創意的な大小作争議を取り上げ、小作料を実質3割引き下げさせた歴史的なたたかいを紹介しました。

 長野県で小作人の家に生まれた男性(83)は「戦前の農民闘争があったからこそ、戦後の農地解放の土台となったという継続性がよく理解できた」と語っています。

占領時にアメリカ絶対のDNAが…

 ここから綱領の第二章「現在の日本社会の特質」に進みました。志位さんは、日本がアメリカの「事実上の従属国」、「なぜ日本がこんなにひどいアメリカいいなり国家になったのか」というよく出される疑問に、その歴史的根源は、GHQ(連合国軍総司令部)の7年間の全面占領の時期に「アメリカ絶対のDNA」が植えこまれたからだと解き明かしました。

 日本の非軍事化と民主化をうたったポツダム宣言を紹介し、作成した略年表でポツダム宣言に即した動きと逆行する動きを説明。民主化をすすめた時期と、反動化政策に転換した時期を区分することが重要で、反動化の時期には国民のたたかいを抑圧しただけでなく、今日の政治と社会に続く「負の遺産」となっていると指摘しました。

 GHQ最高司令官のマッカーサーと吉田茂首相との往復書簡集も示し、当時の支配層の卑屈な姿を明らかにしました。内閣が「政令201号」を出して、公務員の団体交渉権・争議権の禁止を強行したことにかかわって、「修正の余地はあるか」と聞く官房長官に、占領軍最高顧問が「認めない」と言い放ったと、初代人事院総裁が証言していることを紹介し、受講者を驚かせました。

 46年から2年半にわたった東京裁判について、日本の侵略に国際的審判を下した歴史的意義とともに、「裁かれなかったもの」として、昭和天皇の戦争責任、原爆投下や抑留と強制労働などの戦勝国の戦争犯罪疑惑、日本の植民地支配の責任、植民地犯罪があることを明らかにしました。

 多くの戦犯容疑者が釈放され、戦犯勢力の復権・利用がおこなわれ、A級戦犯容疑者のなかから、新安保条約を強行した首相も出たことを紹介。「戦犯性と売国性は一体のものとして引き継がれ、今日なお日本の政界に残されている」とのべました。

 この時期、沖縄はどういう状態に置かれていたか―。米軍の直接的な軍政のもとで、不屈にたたかいつづけた瀬長亀次郎さん(元沖縄人民党委員長、後に日本共産党副委員長)の回想を読み上げ、県民を「虫けら」のように扱う米軍の射殺事件や暴行事件の横行を怒りを込めて語ると、会場は静まり返りました。

 その間に、米軍は、広大な民有地を軍用地として強制的に収用し、沖縄の基地の多くは、本土と異なり、国際法違反の民有地の強奪の上に成り立っていることを浮き彫りにしました。

 志位さんは、51年9月に結ばれたサンフランシスコ講和条約、日米安保条約について、問題点をボードに大きな図を示して指摘。占領中の基地のすべてを提供した安保条約について、条約本文で基地提供を規定し、配備の条件は「行政協定」で、同時に結ばれた「交換公文」では日本が合意しない基地も米軍が継続使用できるカラクリになっていたと解説し、国民を欺く「三重底」でつくられたと痛烈に告発しました。

 沖縄で視聴していた55歳の女性は「アメリカの絶対的権力でサンフランシスコ条約が押し付けられ、安保条約によってさらに深化させられていったことが具体的に分かりました。人民党のたたかいを受け継ぎ、誇りをもってがんばりたい」と感想を寄せました。

 志位さんは、「法制面では、軍事占領が条約による従属体制に、なし崩しに引き継がれ、実質的には、占領体制のもとでの『間接統治』がつくりだした支配・被支配関係が重大です。両者が相まってのちのちまで続く『アメリカ絶対のDNA』を支配勢力に刷り込んだ」と、「事実上の従属国」となった過程の全体を特徴づけました。

「主権在民」書き込ませた世論・共産党

 志位さんは、戦後の第二の変化、主権在民の民主政治への変化について、日本国憲法制定の最大の争点が国民主権の問題だったとのべ、政府が「主権」の存在をあいまいにした案を提出したことに日本共産党と、極東委員会など国際世論が待ったをかけ、主権在民の大原則を憲法にきちんと書き込ませたことを紹介し、「わが党が日本歴史に刻んだ不滅の業績に誇りを持とう」と呼びかけました。

 大阪で聞いていた女性(49)は「占領支配の7年間の動きと反共の波、そして戦犯勢力の復権部分は、私が生まれる少し前のこと。その事実をきちんと知ることができ、とてもよかった。この教室で学び始めて、選挙に対する活動に熱いものが生まれるようになっています」と語っています。