2011年1月1日(土)「しんぶん赤旗」

激動の世界、日本外交の転換を

新春インタビュー 志位委員長大いに語る

聞き手 小木曽陽司・赤旗編集局長


アメリカとアジア――二つの国際会議に参加して

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(写真)小木曽陽司・赤旗編集局長のインタビューに答える志位和夫委員長(右)

 小木曽陽司・赤旗編集局長 あけましておめでとうございます。

 志位和夫委員長 おめでとうございます。

 小木曽 委員長は昨年5月、党首として初めて米国を訪問し、NPT(核不拡散条約)再検討会議に出席し、米国政府と会談しました。12月にはカンボジアのプノンペンで開かれた第6回アジア政党国際会議(ICAPP)にも出席しました。アメリカとアジアという二つの大陸で開かれた、二つの国際会議に参加するというのは、あまりないことですね。そこで、今年の新春インタビューは、「激動の世界と日本外交のあり方」というテーマでお聞きしたい。一連の外交活動を通じて、どんなことを感じられたのでしょうか。

 志位 私たちは昨年、多面的な外交活動をおこないましたが、共通して実感した点が3点ほどあります。

 第一は、世界の構造変化という問題です。いまの世界を動かしているのは一握りの「大国」ではない。20世紀後半に独立をかちとった多くの途上国、新興国が、自主独立の立場で、生き生きと大きな役割を発揮し、世界政治の主人公となっている。その姿を目の当たりにしました。

 第二は、私たちは21世紀を「戦争のない世界」が現実のものになりうる世紀だと考えているのですが、平和の流れが滔々(とうとう)と広がっていることです。ニューヨークの国連本部でのNPT再検討会議も、ICAPP総会も、「核兵器のない世界」にむけて重要な前進を記録した会議になりました。また、紛争があっても外交的・平和的に解決する流れが世界の本流だと強く実感させるものでした。

 第三は、いわゆる歴史問題――日本軍国主義による侵略戦争や植民地支配に対する反省の欠如という問題が日本外交にいろいろな形で影を落としていることです。昨年はとくに、尖閣諸島や千島問題など領土問題にかかわって、そのことを強く感じました。過去の過ちへの反省があってこそ、問題解決の道筋がきちんと開けることを痛感しました。

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(写真)志位和夫委員長

 そして、私たちの綱領の立場が、世界の構造変化、平和の流れ、歴史問題という三つの問題で、世界の激動と大きくかみ合っている。綱領の立場は、世界にもアジアにも通じる。これが総括的な実感です。

 小木曽 なるほど。いまお話しいただいたこととのかかわりで、日本外交の問題点について、どうごらんになっていますか。

 志位 まさに、いまお話しした三つの点で、日本外交の深い病根を感じます。

 世界の構造変化が目に入らない。アメリカしか目に入らず、アメリカいいなりでいればよいという外交のあり方は、民主党政権になってもまったく変わりません。

 何か事が起こると軍事で対応する「軍事偏重主義」も変わらずです。憲法9条を持つ国、唯一の被爆国なのに、平和の外交戦略を持っていない。

 過去の日本の侵略戦争や植民地支配に対する反省の欠如という問題が、新しい政権にも引き継がれています。

 この「三つの病根」ともいうべき問題がさまざまな形で絡み合って、日本は外交的にも存在感のない国になってしまっている。国民の外交への信頼も地に落ちている。日本外交は、いま、大本からの転換が求められていると思います。

世界の構造変化

「核兵器のない世界」――途上国・新興国、「市民社会」が大きな役割

 小木曽 まず、委員長が目のあたりにされた世界の構造変化とは、どのようなものだったのか。NPT再検討会議への参加の話からうかがいます。

 志位 この会議では、私たちは、「核兵器廃絶のための国際交渉の開始」を求める要請文をつくって、各国政府に働きかけました。

 そのなかで非常に強い印象を受けたのは、この国際会議成功のために重要な役割を果たしていたのが、途上国や新興国だったということです。議長のカバクチュランさんはフィリピンの国連大使です。核軍縮を扱う第1委員会委員長のシディヤウシクさんはジンバブエの国連大使です。国連軍縮担当上級代表のドゥアルテさんはブラジル出身の外交官です。私は、これらの方々と会談しましたが、どなたからも、会議成功にかける情熱と気概をひしひしと感じ、とても感動しました。

 とくに非同盟諸国の積極的役割は目を見張るものでした。会議の初日、議長、国連事務総長の次に発言したのは、非同盟諸国を代表としてのインドネシアのナタレガワ外相でした。「自国の核兵器を完全廃絶するとの核兵器国の明確な約束を再確認すべきだ」「核抑止論は平和をもたらさず、核廃絶にむけた妨害になるだけだ」「核兵器禁止条約の検討は、この会議が採択する行動計画の不可欠の一部になるべきだ」――理路整然、格調も重みもある、会議の主題をズバリ明らかにする素晴らしいスピーチでした。

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(写真)核兵器のない世界のための国際共同行動パレードに参加する志位委員長(写真中央)ら=5月2日、ニューヨーク

 小木曽 キューバの代表が、日本共産党の要請文を非同盟諸国に紹介してくれたという報告もありましたね。

 志位 これはうれしかったですね(笑い)。キューバのベルソン次席国連大使との会談で意気投合し、キューバは私たちの要請文を非同盟諸国すべてに紹介してくれたのです。非同盟諸国はいま118カ国で、189カ国が参加しているNPT再検討会議の3分の2を占めています。この巨大な潮流との響きあいは、とりわけ印象深いものでした。

 小木曽 NPT再検討会議では日本原水協をはじめ、各国の反核平和運動が大きな力を発揮したと聞いています。

 志位 その通りです。日本からの691万の署名を、カバクチュラン議長が受け取り、開会総会のオープニングスピーチで「私たちは市民社会の熱意にこたえなければなりません」と演説する。潘基文(パン・ギムン)国連事務総長がNGO(非政府組織)の集会で、「政府を動かすためにはみなさんの力が必要です」と訴えかける。

 NPT再検討会議の「最終文書」には、「核兵器のない世界の達成に関する諸政府や市民社会からの新しい提案およびイニシアチブに注目する」と明記されました。「最終文書」に「市民社会」という言葉が入ったのは初めてとのことです。「市民社会」とは、被爆者の方々を先頭とする日本の反核平和運動など、世界の反核平和運動のことですが、そのパワーが「諸政府」とならんで注目される時代になっている。

 途上国、新興国を含めた世界のすべての国々が世界政治の主人公になる新しい時代が到来した。さらに、政府だけではなく「市民社会」――世界諸国民の世論と運動が国際政治を直接動かす時代が到来した。ほんとうに心が躍ります。

 小木曽 日本での一筆一筆の署名が、じかに世界政治とつながっている。とてもわくわくしてきますね。

アジア政党国際会議――世界の構造変化を象徴

 小木曽 カンボジアでのアジア政党国際会議(ICAPP)はどうだったのでしょうか。

 志位 この国際会議は2000年から始まって10周年、プノンペンの総会は第6回総会でした。私は、ICAPPという国際会議の存在と発展それ自体が、世界の構造変化を象徴していると思うのです。

 20世紀初頭のアジアは、列強による植民地支配で覆われた大陸でした。第2次世界大戦後、そのアジアから植民地体制の崩壊と、独立の波がおこります。その波が1960年代にはアフリカにまで及び、植民地体制が完全に瓦解(がかい)する。世界の構造変化はアジアからスタートしたのです。しかし、すぐに平和が訪れたわけではなく、朝鮮戦争、ベトナム戦争など、分断と敵対の舞台にされるという苦難も続きました。

 そういう大陸で、ICAPPという、与野党を問わずすべての政党が参加する国際会議が生まれ、発展してきた。この会議は特定の政治的立場に立たないことを原則にしている会議なのですが、毎回の総会「宣言」には、平和と進歩をめざす充実した内容が盛り込まれます。そしてその主催国を見ると、フィリピン・マニラ(第1回)、タイ・バンコク(第2回)、中国・北京(第3回)、韓国・ソウル(第4回)、カザフスタン・アスタナ(第5回)、カンボジア・プノンペン(第6回)と、韓国をのぞけば、途上国・新興国がホスト国となって、国をあげて成功のために力をつくす。こうして、この国際会議の発展の足取りそのもののなかに、世界の構造変化がきざみこまれています。

 小木曽 日本共産党は連続して参加していますね。

 志位 はい。第2回のバンコク総会いらい「皆勤」です(笑い)。私たちは、1999年にそれまでの外交方針を発展させ、野党外交の方針を決めました。すなわち、共産党間の交流ということにとどまらず、相手が保守であれ革新であれ、与党であれ野党であれ、交流の意思がある政党、政府とは大いに交流をおこない、一致点で協力するという方針の発展をおこないました。与野党問わずアジアの政党が一堂に会するICAPPという会議は、私たちの野党外交の方針とも実にピタッとマッチする会議なんです。

 小木曽 「皆勤」の理由がよくわかりました。(笑い)

カンボジア――悲劇をのりこえ、明るく前進する姿

 小木曽 カンボジアの印象はいかがでしたか。

 志位 カンボジアは途上国の中でも後発といわれる国ですが、ホスト国としての心のこもった歓迎ぶりは、見事なものでした。とくに600人もの若いみなさんがボランティアとして、出迎えから宿舎の案内、見送りまで懇切に対応してくれる。若いみなさんの目が輝き、元気いっぱいなのが、とてもうれしかったですね。

 カンボジアというと、ポル・ポト派による大虐殺を思い起こす方が多いと思います。300万人もの人々が殺され、いまなお傷痕は生々しいものがあります。そういう甚大な犠牲をこうむりながらポト派支配を打破したのが1979年です。その後、内戦を終結させ、民族の和解をかちとり、東南アジア諸国連合(ASEAN)の一員となって、発展と繁栄の道の第一歩を踏み出した。そのプロセスにはたいへんな苦労があったと思います。悲劇を乗り越え、明るく前進する姿を見た思いでした。

 小木曽 カンボジアの連立政権を構成している二つの与党――人民党、フンシンペック党とも会談をされていますね。

 志位 人民党は、フン・セン首相、ソク・アン副首相とあいさつを交わし、サイ・チュム幹事長とまとまった会談をおこないました。フンシンペック党は、カエウ党首との会談をおこないました。どちらの党とも関係発展で一致し、核兵器問題やアジアの平和の問題での協力が確認された、充実した会談となりました。

 カンボジアは1993年に新憲法をつくっているのですが、それを読むと「永世中立、非同盟」「平和共存」「不可侵、内政不干渉、紛争の平和的解決」「軍事同盟、軍事協定への不加入」「核兵器の絶対的禁止」などが明記されています。

 小木曽 憲法でそこまで書いているのですか。

 志位 ええ。外部からの干渉もあって民族同士の殺し合いという悲劇をまねいた。それを二度と繰り返さない。憲法の内容に、新しい国づくりへの強い決意を感じ、「これらは私たち日本共産党のめざす方向とも一致しています」と話しますと、話がはずむという会談になりました。

 日本共産党とカンボジア人民党との関係は、1979年に救国民族統一戦線がポト派を打倒した最初のときから、ポト派の復権阻止、外部からの干渉反対、カンボジアの主権と民族自決権の擁護という立場で連帯してきた歴史があります。人民党との間で、新たな関係発展で合意したことも重要でした。

新しい世界で、どういう国際関係をつくっていくか

 小木曽 そういう新しい世界にあって、どういう国際関係をつくっていくか。これは大事なテーマですね。

 志位 ええ。私は三つほど大事な点があると思っています。

 一つは、国連憲章にもとづく平和秩序を打ち立てる、国連憲章を侵犯する無法な戦争は誰であれ許さないという立場で連帯していく。平和の問題では、かつては「反帝国主義」が連帯の旗印だったのですが、いまは「国連憲章を守ろう」、「核兵器のない世界を」などの旗印で、世界の圧倒的多数が共同できる新たな条件が生まれています。

 二つ目に、経済関係でも、世界の構造変化のもとで、それに即した新しい国際経済秩序が必要になってきていると思います。OECD(経済協力開発機構)の「世界開発の展望2010 富の移動」という報告書を見ますと、世界のGDP(国内総生産)に占めるOECD加盟国=先進国と、非加盟国=途上国・新興国の比率は、2000年は先進国60対途上国40でした。それが、2010年は51対49と半々になっている。2030年の予測は43対57で完全に逆転する。これをOECDの報告書自身が「歴史的重要性をもつ構造変化だ」といっています。

 ところが世界の経済システムは、IMF(国際通貨基金)であったり、世界銀行であったり、一握りの先進国、とくにアメリカが握るようなシステムがつづいている。経済の実力が変化しているのに、世界の経済システムは古いままになっている。世界の変化に即した新しい民主的な経済システムが必要になっています。

 三つ目は、多くの途上国・新興国が、世界政治の主人公となるもとで、異なる価値観、異なる文明、異なる体制の共存という問題が、いよいよ大切になっていることです。それぞれの国には、それぞれの発展の独自のプロセスがあります。それを相互に尊重しあう。外から特定のモデルを押し付けない。異なる価値観、文明、体制の相互理解と共存が、世界政治の大きな課題となっていることを、痛感します。

米国にモノ言えぬ外交から、自主自立の平和外交への転換を

 小木曽 いまお話しいただいた世界の構造変化は、残念ながら、日本の新聞やテレビを見ているだけではよくわかりませんね。「しんぶん赤旗」は別ですけれども(笑い)。民主党政権もそういう変化に関心がないというか、まったく見えていない気がします。

 志位 そうですね。日本外交には、世界で起こっている生き生きとした構造変化が視野に入ってこない。見ているのはアメリカばかりです。たとえば核兵器の問題でも、「核兵器のない世界」をめざす流れがとうとうと広がっているのに、相変わらずアメリカの「核の傘」にしがみつき、「核抑止力」という呪縛から逃れられない。沖縄の普天間基地問題に象徴されるように、アメリカの横暴な支配に対しては、まったくモノがいえない。いま世界では、国の大小にかかわらず、どの国もアメリカとの関係で堂々と自己主張をするようになっているときに、まったくその姿勢がないというのは、情けないかぎりです。憲法9条を生かした自主自立の平和外交への転換を、私たちは強く求めたい。

 小木曽 沖縄の基地問題では、沖縄を訪れた首相が辺野古(へのこ)への新基地建設が「ベター」だといって、激しい怒りをかいました。

 志位 沖縄県の仲井真知事は「バッド」だと言い切りましたね。美ら海(ちゅらうみ)に新基地をつくることのどこが「ベター」か。

 私は、昨年5月、訪米したさいに、米国政府・国務省と会談して、沖縄の情勢は、「ポイント・オブ・ノー・リターン」(引き返し不能点)をこえている、普天間問題の解決のためには無条件撤去しか道はないと話しました。

 昨年11月の県知事選挙で、私たちも推した伊波洋一さん(前宜野湾市長)は大健闘しながら当選はできませんでした。しかし、県民のたたかいが相手候補の態度を変えさせた。仲井真氏は、知事選直前の9月に、「条件付き県内移設容認」を転換し、「県外移設」を公約とした。伊波さんは当選はできなかったが、中身では沖縄県民は立派に勝利したと思います。だから、新知事も「バッド」ということになるわけです。県知事選挙は、沖縄の情勢が「ポイント・オブ・ノー・リターン」をこえたことを、はっきり示しました。

 小木曽 地元紙は「説得すべきは米国政府だ」と社説で書きました。

 志位 その通りですよ。辺野古「移設」はもはや不可能です。日米合意を白紙に戻し、無条件返還を求めて米国と本腰の交渉をせよ。その声を、沖縄県民の声だけでなく、日本国民全体の声にする年にするために頑張りたい。さらに、この問題の根本にある日米安保条約を未来永劫(えいごう)つづけていいのか。その是非を国民に大きく問いかけ、「時代遅れの軍事同盟は解消し、日米友好条約を結び、対等・平等・友好の日米関係を」という声を広げる年にしていくために力をつくしたいと決意しています。

戦争のない世界

「NPT再検討会議は、影に隠れていた核兵器禁止条約を明るみに出した」

 小木曽 「戦争のない世界」という点では、何といっても核兵器廃絶にむけた動きの前進が大きいですね。

 志位 一昨年から昨年にかけて「核兵器のない世界」にむけた、歴史的前進のプロセスが開始されたと感じています。一言でいって、核兵器禁止条約の国際交渉ということが、国際政治の現実課題になってきたということが、いえると思います。

 一昨年4月のプラハでのオバマ米大統領の演説は、アメリカの国家目標として初めて「核兵器のない世界」ということを表明したものとなり、私はそれに注目して大統領に書簡を送り、先方から返書も来るというやりとりがありました。

 問題は、どうしたら「核兵器のない世界」に到達できるかにあります。米ロの戦略核の削減交渉とか、包括的核実験禁止条約などの部分的措置は大事ですが、それをやっていれば、いつの間にか「核兵器のない世界」に到達するかというと、そうはならないのです。そこに到達するためには、核兵器廃絶そのものを主題とした国際交渉――核兵器禁止条約の国際交渉を開始することが必要になってきます。そういう方向に国際政治を動かすうえで、原水爆禁止運動とも共同しながら、被爆国の政党として可能なことは何でもやり、少しでも貢献したい。そういう思いでこの間、さまざまな取り組みをやってきました。

 小木曽 さきほどお話しされたNPT再検討会議はどういう結果だったのでしょう。

 志位 NPT再検討会議は5月3日から始まり、5月28日までの長丁場でした。私たちは、米国から帰国した後も、NPT再検討会議の成り行きを、それこそ息をこらして見つめてきました。

 まず帰国直後に、ビッグニュースが飛び込んできました。5月14日に発表されたNPT再検討会議の第1委員会(核軍縮)の報告草案です。そこには、「核兵器の完全廃絶のためのロードマップ(行程表)を検討するために国際交渉を開始する」ということが明記されていました。私たちは、「これは画期的なことになった」と思い、カバクチュラン議長にあてて、報告草案を大歓迎するとともに、ぜひこれが実を結ぶよう力をつくしていただきたいと要請する書簡を送りました。

 小木曽 5月28日の「最終文書」では、その通りにはならなかった。

 志位 そうですね。第1委員会の報告草案はそのままの形では「最終文書」には入りませんでした。しかし、私が、注目したのは、「最終文書」に、「すべての国が、核兵器のない世界を達成し維持するために必要な枠組みを確立するための特別な取り組みをおこなう必要について確認する」と明記されていたことです。「核兵器のない世界」のための「必要な枠組み」といえば、核兵器禁止条約しかありません。そのための「特別な取り組み」といえば、国際交渉をおこなうということです。言葉で明示こそしていませんでしたが、ここに核兵器禁止条約の国際交渉ということが込められていることは明瞭です。

 もう一つ注目したのは、「最終文書」に「核兵器禁止条約の交渉の検討を提案している潘基文国連事務総長の提案に注目する」という文言が入っていたことです。それが前項と並んで入っていたのです。

 一部の核保有国の抵抗のなかで、核兵器禁止条約の問題を入れるために、ギリギリまで努力したことが行間から伝わってくる文章でした。

 小木曽 そこに注目して、委員長の談話(5月29日)で、「核兵器のない世界に向けて重要な一歩前進だ」と歓迎したわけですね。

 志位 はい。私は、カバクチュラン議長が、たいへんなご苦労をされたと思い、私の談話を添えて議長の奮闘に感謝する書簡を送りました。そうしましたら6月9日、議長から返書が届きました。そこにはこうありました。

 「私は、時間枠を定めた核兵器廃絶とともに核兵器禁止条約(NWC)の真剣な検討を求める声が、NPT再検討会議への参加国政府に確実に届くようにとのあなたの努力に感謝します。結果的に、再検討会議の間に合意されたもの(とりわけNWC交渉に関して)以上に足を踏み出すことへの核保有国の消極姿勢から、最終文書に反映されたのは現段階で最大限達成可能な内容でした。あなたの努力が、この会議のプロセスにきわめて大きな貢献となり、NPT再検討会議の大きな成功に役立ったことは確実です」

 核兵器禁止条約をめざしつつ、「現段階で最大限達成可能な内容」を盛り込んだとあります。私は、議長の誠実で真剣な態度に胸をうたれました。

 小木曽 心情を率直に語られた丁重な手紙ですね。

 志位 そうですね。潘基文事務総長とカバクチュラン議長は、8月の原水爆禁止世界大会に、「核兵器廃絶への努力を称賛」するなどのメッセージを送っています。世界政治のただなかで核兵器廃絶のために奮闘している政治家にとって、被爆国日本の反核平和運動は最大の激励となっていることが、ひしひしと伝わってくるものです。

 その直後に、私が注目したのは、8月25日、さいたま市での国連軍縮会議第22回会合でのカバクチュラン議長のつぎの発言でした。

 「2010年のNPT再検討会議は、影に隠れていた核兵器禁止条約(NWC)を明るみに出して焦点をあてた。……今回初めて我々は、NPT締約国の公式文書で、『核兵器のない世界を達成し維持するために必要な枠組みを確立するための特別な取り組みをおこなう必要について確認』したのである。そして、すぐそれに続いて、『核兵器条約に関する国連事務総長の5項目提案』について注目したのである」

 私たちが談話で歓迎した箇所こそ、NPT再検討会議の成果の最も要をなす部分だということが、当事者の口から聞けた。非常に印象深い発言でした。

 小木曽 「最終文書」をまとめた当事者の発言ですから、間違いありませんね。

「プノンペン宣言」――「注目」から「支持」に

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(写真)タ・プローム遺跡に絡み付く巨木を背景に記念撮影する(中央から右へ)ネパール首相、金ヒョンオ前韓国国会議長、志位委員長ら=12月4日、シエムレアプ(面川誠撮影)

 志位 こういう経過があったものですから、私は、12月のアジア政党国際会議の「プノンペン宣言」に、NPT再検討会議の「最終文書」より一歩でも前に進む内容が盛り込めないものかと考えました。

 11月中旬に「プノンペン宣言」の原案として送られてきたものには、核兵器の問題が書かれていませんでした。ぜひ修正提案をしたいということで、鄭義溶(チョン・ウィヨン)事務局長に話したところ、「歓迎します」ということになり、修正提案を起草委員会に送ったのです。コンセンサス(合意)がもっとも得やすい言い方をどう工夫するか、いろいろ考えた末に二つの命題を入れてほしいと提案しました。

 一つは、NPT再検討会議の「最終文書」で確認された「『すべての国が核兵器のない世界を達成し維持するために必要な枠組みを確立するために特別な取り組み』をおこなう」ことを「支持する」ということ。もう一つは、「核兵器禁止条約の提案を含む国連事務総長の5項目提案」を「支持する」ということです。NPT再検討会議では、後者は「注目する」という表現にとどまったわけですが、これを「支持する」とする提案をしました。NPT再検討会議の「最終文書」を、たった一言――「注目」を「支持」に代えた修正案を提案したのです。そうしましたら、起草委員会でそっくり取り入れられて「プノンペン宣言」最終案として提案され、全会一致の採択ということになりました。

 カバクチュラン議長たちが、NPT再検討会議で明記したいと熱望した問題――「核兵器禁止条約の提案を支持する」ということが入ったのは、本当に大きい喜びでした。もちろん、これは政党間の会議であり、NPT再検討会議のように政府を拘束する文書ではありませんが、核兵器廃絶を求めて真剣にたたかっている反核平和運動や国際政治の動きへの激励になる結果を得ることができたと思いました。

 小木曽 「注目」から「支持」へ、核兵器廃絶に向けた動きを一歩前にすすめたと。

 志位 こうした流れを実らせることができるかどうかは、これからのたたかいです。昨年の国連総会でも、核兵器禁止条約を求める決議案が圧倒的多数で可決されていますが、反対・棄権している国があります。日本政府も15年連続棄権です。これからのたたかいが大事ですね。

朝鮮半島問題――「直ちに対話と交渉をつうじて状況の緩和を」

 小木曽 昨年11月に北朝鮮による韓国・延坪島(ヨンピョンド)への砲撃事件がおこり、朝鮮半島をめぐる緊張が続いています。この問題をどう解決するのか、北東アジアの平和をどう確保するのか。この問題はどうお考えですか。

 志位 わが党は、北朝鮮の延坪島への砲撃を、国連憲章に違反する軍事的挑発的行為として厳しく非難する声明を出しました。同時に、どう解決するかについては、交渉と対話しかありません。それが唯一理性的で合理的な解決方法です。「軍事には軍事」というのが一番悪い。直ちに当事国が対話のテーブルに着くべきだ、とくに6カ国の緊急会合を持つことが大切だと主張してきました。

 ICAPPの総会でも、この事件が問題になり、韓国と北朝鮮の政党代表が、それぞれ互いを非難する場面もありました。この問題にどう対応するのかが、大きなテーマとなりました。私は、発言で、会議の性格を考えて名指しはしないけれども、「国連憲章に違反する軍事的挑発的行為を厳しく退ける」という立場を表明するとともに、解決方法としては「直ちに対話と交渉のテーブルに着こうではないか」と提案しました。

 いろいろな困難がありましたけれども、「プノンペン宣言」には最終的に、「朝鮮半島における最近の挑発や軍事行動に関してICAPP総会は、すべての当事国が直ちに対話と交渉を通じて状況を緩和するようよびかける」と明記されました。「軍事には軍事」でなく、外交的・平和的に解決することが大道だということが、この国際会議でも確認されたことは、ほんとうに大切なことでした。

 小木曽 外交的・平和的解決というのは理想論じゃない。正面から追求すれば可能だということですね。

ASEANが世界平和の一大源泉となっている

 小木曽 こうした平和の流れという点では、東南アジア諸国連合(ASEAN)が大きな役割を果たしていますね。

 志位 その通りです。ICAPPに参加し、カンボジアの政権党とも会談し、ASEAN諸国の諸党とも一連の懇談をおこない、ASEANが世界平和の一大源泉になっているということを強く感じました。いまASEANが、平和と安全保障の枠組みとして強調しているものが四つあるとのことです。

 第一は、TAC(東南アジア友好協力条約)です。紛争の平和的解決をすすめる条約ですが、54カ国・地域に広がり、世界人口の7割が参加する巨大な潮流になっています。その中心がASEANです。

 第二は、東南アジア非核地帯条約です。「核兵器のない世界」をつくるうえで東南アジアが先駆的役割を果たそうというものです。

 第三は、ARF(ASEAN地域フォーラム)です。27カ国が参加する機構になっているのですが、「対話と信頼醸成」のための機構と位置づけられ、「予防外交」、「紛争の平和的解決」の機構に発展させる展望を持っています。注目すべきは、27カ国のなかに韓国と北朝鮮も入っていることです。7月のハノイでのARF閣僚会議では、韓国の哨戒艇沈没事件が問題になりましたが、平和的解決を打ち出しました。

 第四は、南シナ海行動宣言です。ASEANと中国が結んでいるものです。南沙諸島、西沙諸島の領有をめぐり、ASEANと中国との間に紛争問題があります。これを平和的方法で解決する、武力による威嚇や武力行使に訴えない、無人の島嶼(とうしょ)には人員を新たに常駐させない、自発的に軍事演習を通告する、航行の自由を保障するなどが盛り込まれています。複雑な領土問題で、紛争をエスカレートさせないための行動宣言です。

 この四つをASEANは、平和と安全保障の仕組みと位置づけ、重視しているわけです。

 小木曽 うーん。体系的、戦略的ですね。

 志位 重層的な仕組みですね。一言でいえば、紛争が起こっても戦争にしない。平和的な話し合いで解決する。そういう仕組みを重層的につくりあげていく。そのなかに「核兵器のない世界」という問題もきちんと位置づけられている。

 こうしてASEANはいま、世界平和の一大源泉となっています。そしてASEANから平和の流れが世界中に広がっている。たとえばTAC加入国による東アジアサミットがとりくまれています。EUとの関係はASEM(アジア欧州会議)という対話と信頼醸成の機構がつくられています。ラテンアメリカとの関係でもFEALAC(東アジア・ラテンアメリカ協力フォーラム)がつくられています。

中南米カリブ海でつくられる平和共同体

 小木曽 中南米でも同じような流れが起こっていると聞きます。

 志位 これも注目すべきです。昨年2月、メキシコで中南米カリブ海諸国統一首脳会議が開かれ、この地域の平和の共同体の設立が宣言されました。ここには、中南米・カリブ海の33のすべての国が参加しています。すべてが参加しているというところがすごい。そのなかには一般に「親米」とされる国もあれば、「反米」とされる国もありますが、そういう区分自体がもはや適切ではないのです。アメリカとの関係で自主独立の立場をとり、国連憲章を守り、紛争の平和解決をめざす、そういう立場ではどの国も同じ流れにある。

 私は、すごい流れがラテンアメリカでもいよいよ始まったなと思っていましたら、3月に、中南米カリブ海諸国の駐日大使グループの朝食会に招待され、日本共産党の外交活動や日本の情勢、国際活動の焦点について講演する機会がありました。ここにもラテンアメリカの平和の地域共同の息吹が反映していました。

 大使グループの会長をつとめているのは、コロンビアの大使です。コロンビアといえば一般には「親米」と区分されているわけですが、「反米」と区分されている他の大使のみなさんともとても親しい様子です。わが党を「世界で最も強力な共産党の一つ」と紹介してくれて、私の講演となりました。つぎつぎと発言が出るのですが、ある大使は、私の講演を聞いて、「日本共産党は正直さという軸をもっています。平和、核軍縮、環境保全というわが国の姿勢は、日本の他の政党とよりも共産党と多くの共通点があります。自主独立という立場に共鳴しています」と、みんなの前で演説をする。ある大使は、「コンパニェーロ(同志)のことを日本語で何というのですか」と質問し、「同志」というと説明すると、「同志志位」と語りかけてくる(笑い)。こういう調子で、「反米」も「親米」もなく、ラテンアメリカは一つという親愛で包まれているという印象を強く持ちました。

平和の流れを、北東アジアに広げよう

 小木曽 北東アジアにもこういう流れを広げたいですね。

 志位 ええ。ぜひこの流れを、北東アジアにも広げたい。私は、8月3日の党創立88周年記念講演で、北東アジアでどうやって平和的環境をつくるかについて、(1)「軍事には軍事」という軍事的緊張の悪循環を厳しく退ける、(2)対話と信頼醸成、紛争の平和的解決の枠組みを発展させる、(3)日中が「戦略的互恵関係」、米中が「戦略的パートナーシップ」を確立するもとで、軍事力で対抗する思考からの脱却をはかる――ことを提起し、日本政府は、いまこそ「抑止力」という呪縛から抜け出して、北東アジアに平和的環境をつくる外交戦略をもち、そのための平和外交の努力こそはらうべきだと訴えました。東南アジアでの巨大な平和の流れを、ぜひ北東アジアに広げたい。これが私たちの願いです。

 小木曽 ASEANやラテンアメリカと対比してみると、日本の動きはおかしい。なにか事あれば軍事で対応するという発想です。年末に菅政権が発表した「新防衛大綱」は、まさにその典型といえる危険なものですね。

 志位 「新防衛大綱」は、いままでの日本の自衛隊のあり方を大きく変質させる危険な内容です。「専守防衛」という建前を「動的防衛力」なるものに変えて、外に攻めていく自衛隊にしていこうという方向です。世界もアジアも、いかにして紛争を平和的・外交的に解決しようかと心を砕いているとき、「外交力」はまったくなしで、もっぱら軍事で対応するというのは、世界の逆流そのものです。

 シンガポールの英字紙ストレーツ・タイムスは、「新防衛大綱には中国だけでなく、地域のほかの国にとっても心配の種となる要素がある。大綱は、不測の事態によりよく対応するためとして、事実上の国軍である自衛隊をより『動的』にしていくと言っている」と書いています。東南アジアにとっても、過去の戦争のこともあって、自衛隊を「動的」にすることは、「心配の種」だという。絶対に許してはならない逆行だと思います。

歴史問題

尖閣諸島――侵略戦争と植民地支配に反対を貫いた党ならではの見解

領土問題地図

 小木曽 尖閣諸島、千島問題など領土問題が、戦後65年たっても解決されていないし、その見通しすらないことも、異常なことです。この異常の背景には、歴史問題があるというご指摘ですが、具体的にどういうことでしょうか。

 志位 日本には三つの領土に関する紛争問題があります。尖閣諸島問題、竹島(韓国名・独島)問題、千島問題です。それぞれ性格が違う面があるのですが、日本側の問題点としては、かつての侵略戦争と植民地支配への反省の欠如が、どの問題にも影を落としていることをよく見る必要があると思います。

 尖閣諸島についていいますと、わが党はかねてから日本の領有は歴史的にも国際法上も正当なものだという見解を発表してきたわけですが、昨年10月には、さらに突っ込んだ見解を出しました。

 そこで踏み込んだ一番の中心点は、「日本の尖閣領有は日清戦争(1894〜95年)に乗じてかすめ取ったものだ」という中国側の主張が成り立たないことを明らかにしたことです。日清戦争によって、日本は、下関条約で台湾と澎湖(ほうこ)列島を割譲させました。これは侵略戦争によって強奪したものですから、当然、返還されなければなりません。しかし、尖閣諸島は、下関条約にかかわるすべての交渉記録などを読んでも、いっさい出てこない。尖閣の領有は、朝鮮半島の支配権をめぐる帝国主義戦争だった日清戦争で強奪したものではなく、平和的に領有したものだということを厳密に論証しました。

 こういうことをきちんとできるのは、日本共産党が侵略戦争と植民地支配に命がけで反対をつらぬいた党だからです。だから黒白をはっきり分けて、論を立てられるのです。

 日本政府はそうした区別した論立てができません。1972年に日中国交回復をしたときも、侵略戦争に対するきちんとした反省がないものだから、尖閣諸島は日本に領有権があると堂々と言えない。だいたい反省がないと、戦争で奪ったものと、平和的に領有した領土との白黒の区別もつかなくなります。日清戦争は領土拡張のための最初の侵略戦争だったという見方にしっかり立たないと、この問題で中国に堂々と主張することができなくなる。その弱点がはっきりと表れていると思います。

竹島(独島)問題――植民地支配への真剣な反省に立ってこそ

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(写真)仙谷官房長官(左から3人目)に見解を手渡す志位委員長(同2人目)、左端は穀田国対委員長、右端は笠井衆院議員=10月4日、首相官邸

 小木曽 韓国、北朝鮮との間には、竹島の問題がありますね。

 志位 日本が竹島を編入したのは1905年の1月です。わが党は、日本の領有には歴史的根拠があるという見解を1977年に出しています。ただその見解の中でものべたし、私が最初に韓国を訪問した時(2006年)にも韓国側に話したのですが、1905年の1月というのは、第一次日韓協約(1904年)を結び、韓国から事実上外交権を奪ったあとなのです。外交権が事実上ないところで編入がおこなわれたわけですから、韓国が異議申し立てすることができない状況にあったことも事実です。

 ですから、この問題は、植民地支配への反省という問題を根本に据えて、その上で冷静な共同の歴史研究をやって解決をはかっていくというのが一番いいのではないか。訪韓のさいに、ハンナラ党の金ヒョンオ(キム・ヒョンオ)院内代表、のちに国会議長にもなった方ですけれども、その方との会談でも、わが党の1977年の見解を率直に伝えつつ、いまのべた解決方法をのべると、「とてもいい話をありがとうございます」と打ち解けた関係になりました。実は、プノンペンでのICAPPの時も金ヒョンオさんと再会したのです。「4年前に竹島(独島)の話をしましたね」といったら、「とてもいい話し合いでした」という返答で、喜びの再会になりました。

 この問題で、日本政府と韓国政府は、1965年の日韓基本条約で国交を回復する過程で、竹島(独島)の領有について往復書簡による論争をおこなっています。しかしその往復書簡を見ても、植民地支配の反省はまったくない。日韓基本条約締結の交渉のさいにも反省はありません。「韓国併合条約」(1910年)そのものについても、韓国側は軍事的強圧をもって強制された不法・不当なもので無効だと主張しています。まさにその通りなのですが、日本側は「法的には合法で有効だった」と言うわけです。しかも、交渉過程では、「植民地支配というけれども、インフラ整備などもやり、良いこともしたではないか」と日本側代表が言って、大問題になり、交渉が中断することもあったぐらいで、植民地支配に対するまともな反省抜きに日韓基本条約を結ぶのです。いまに至るも、日本政府は「韓国併合条約」について「合法で有効だった」という立場を変えていません。

 韓国では、日本帝国主義による侵略の最初が竹島(独島)だったと、国民のほとんどが思っています。その時に、歴史の過ちへの反省ぬきに「竹島は日本の領土だ」といっても、冷静な話し合いのとば口にも行かないわけです。

 私は、植民地支配への真剣な反省を土台にしてこそ、この問題の冷静な話し合いの解決の道が開けると思います。そのことは、私が訪韓して、韓国各界のみなさんとこの問題を話し合った実感でもあります。

千島問題――ここでも歴史問題の弱点が影を落としている

 小木曽 ロシアとの間にある千島問題はどうでしょうか。

 志位 昨年はロシアのメドベージェフ大統領が国後(くなしり)島を訪問するなど、領土問題でのロシアの強硬姿勢が目立ちました。日本政府は駐ロ大使を「情報を取るのが遅かった」などと更迭しましたが、問題はそんなところにあるわけではない。日本政府は、歴史的事実と国際的道理にたった領土交渉を、ただの一回もやったことがない。そこにこそ問題があるのです。

 私たちは、1969年に抜本的な千島政策を発表しており、南北千島列島の返還と、北海道の一部である歯舞(はぼまい)、色丹(しこたん)の早期返還を要求しています。この問題の根源はソ連のスターリンが第2次世界大戦の終結時に「領土不拡大」という戦後処理の大原則を破って、千島列島と北海道の一部である歯舞、色丹を占有した覇権主義にあります。スターリンは、1945年2月のヤルタ秘密協定で、千島列島の「引き渡し」を要求し、8月の参戦後に、その密約に即して千島を占有し、ついでに歯舞、色丹まで占領したのです。

 小木曽 日本側の問題点は端的にいってどこにありますか。

 志位 一つは、1951年に結んだサンフランシスコ講和条約2条C項で、千島列島の放棄をしてしまう。この放棄条項は、ヤルタ協定という戦後処理の不公正の延長線上にあるものでした。さらに、ヤルタ協定とサンフランシスコ条約の枠内で交渉しようとして、講和条約から4年後の1955年に、突然、「国後、択捉(えとろふ)は千島にあらず」と主張し、「4島返還論」をもちだしてきた。しかし、サンフランシスコ条約で千島列島を放棄したこと、そこに国後、択捉が含まれていたことは、当時の記録でも明瞭ですから、放棄条項を不動の前提にする姿勢では、まともな交渉をすすめることは到底できません。

 もう一つは、日本政府が、ロシアと日本との間で平和的に画定された国境線とは何であったかということを、歴史的にきちんと吟味し、そこに立脚した交渉を一度もやってないということです。1875年の樺太・千島交換条約で、南北千島列島は日本領、樺太(サハリン)はロシア領と確定した。これにもとづいて引かれたのが、平和的に画定された国境線です。ここに立脚して南北千島返還の交渉を堂々とやるべきなのです。ところが、戦後の日ソ(日ロ)交渉で、日本政府は、ただの一度もこの歴史的事実に立脚した主張をしたことがありません。

 1956年の日ソ共同宣言にいたる交渉の回顧録で、松本俊一全権大使の『モスクワにかける虹 日ソ国交回復秘録』という本があります。これを見ると、日本側は、最初は「歯舞・色丹、千島列島および南樺太は日本の領土」と主張するのです。しかし、南樺太は、日露戦争(1904〜05年)の講和条約(ポーツマス条約)で強奪した土地です。

 小木曽 ここでも平和的に画定した千島列島と、戦争で強奪した南樺太との区別がつかないところから交渉が始まったわけですね。

 志位 そうです。それを並べて「日本の領土」だといったら、千島列島返還の大義もなくなります。交渉の最初はそんなところから始まった。そのうち、東京から突然訓令が来て、「国後、択捉は千島にあらず」と主張し、「4島返還論」に方針転換するのですが、これも国際的に通用するものではない。ここにも、日露戦争という朝鮮半島の支配権と中国東北部の権益をめぐる侵略戦争にたいする反省の欠如という問題が影を落としています。

「50年戦争」の責任、植民地支配の責任に正面から向きあってこそ

 小木曽 そう見てくると、三つの領土問題、それぞれ性格は違うけれど、すべてに侵略戦争と植民地支配への無反省というものが影を落としているのですね。

 志位 そうです。それぞれの影の落とし方は違いますが。そして結局、どこまでさかのぼるかというと、日清・日露の戦争なのです。尖閣諸島が関係しているのは日清戦争、竹島(独島)が関係しているのは日露戦争です。千島問題も日露戦争が影を落としている。つまり日清・日露の戦争をどう見るかということが、いまなおたいへん大事な問題になっているということがいえます。

 日清・日露の戦争のあと、とくに1931年以降、日本軍国主義は中国侵略戦争に大々的に乗り出し、太平洋戦争にまで侵略戦争を拡大しました。この「15年戦争」といわれる侵略戦争には、もとより厳しい反省が必要です。同時に、「15年戦争」に先立って、日清・日露戦争から数えると、いわば「50年戦争」になります。「50年戦争」が全体として侵略戦争の歴史だったということを、正確にとらえることがとても大事になっています。

 小木曽 一部に日清・日露の戦争は、若い小さな国・日本が、やむにやまれずおこなった祖国防衛戦争というとらえ方があります。

 志位 この二つの戦争の結果、日本が台湾、韓国を植民地とし、中国東北部にまで権益を広げ、残虐な植民地支配をおこなったことを忘れてはなりません。戦争責任とともに植民地責任への反省が日本に求められています。21世紀に入って、過去にさかのぼって、奴隷制、奴隷貿易、植民地支配への責任を問う流れが、国際政治のなかで生まれています。そこまで世界は進歩しているのです。その目でみて、きちんと歴史の洗い直しをやる必要がある。

 私たちは、「50年戦争」の全体、侵略戦争への責任と反省とともに、植民地支配への責任と反省を明確にしてこそ、アジア諸国民との本当の友情をつくることができるし、領土問題などでの本当の意味での国益を主張することができる。ここでも日本外交のあり方の根本からの見直しが必要だと思います。

 小木曽 年の初めに、日本の外交に何が求められているのかについて、さまざまな角度からお話をいただきました。

 志位 世界でおこっている激動のなかで、今年を、日本外交の転換にむけての新たな一歩をふみだす年にしていきたい。そして、外交問題でも、私たちの綱領の立場が、大きな生命力を発揮していることを、広く国民に明らかにして、直面する政治戦に勝利する力にしていきたいと決意しています。

 小木曽 ありがとうございました。