2010年5月11日(火)「しんぶん赤旗」

米国訪問の全体をふりかえって

ワシントンDC 志位委員長の記者会見


 日本共産党の志位和夫委員長が7日にワシントン市内でおこなった記者会見(要旨)は次のとおりです。志位氏は、冒頭、米国政府との会談の要旨(「しんぶん赤旗」5月9日付で既報)について、ブリーフィング(説明)をおこなった後、今回の訪米の意義についてのべ、記者団の質問にこたえました。


「核兵器のない世界」、「基地のない沖縄」―日本国民の声を伝えることができた

写真

(写真)訪米日程を終えて記者会見する志位和夫委員長=7日、ワシントン

 私たちのニューヨーク(4月30日〜5月5日)、ワシントン(5月6日〜7日)での活動の全体を通じて、二つの仕事ができたと思います。

 一つは、「核兵器のない世界」を願う、被爆国・日本国民の声を、国際社会に伝えるということです。ニューヨークでの活動の目的は、核不拡散条約(NPT)再検討会議に参加し、会議主催者、国連関係者、各国政府代表団と話し合って、「核兵器のない世界」への道をどう開くかについての私たちの要請をおこなうことにありました。私たちは、カバクチュランNPT再検討会議議長、ドゥアルテ国連上級代表(軍縮担当)、シディヤウシクNPT再検討会議第1委員会(核軍縮分野)委員長など、再検討会議を運営する中枢の方と会談し、私たちの要請を伝えることができました。核保有国、非同盟諸国、新アジェンダ連合、北大西洋条約機構(NATO)諸国など幅広く各国代表団のみなさんと要請・会談ができました。一連の要請・会談のなかで、「核兵器廃絶のための国際交渉の開始」という私たちの主張は、国際社会の大勢ともなっていることが確認できたことはうれしいことです。

 いま一つは、「基地のない沖縄」、「対等・平等・友好の日米関係」を願う、沖縄県民、日本国民の声を、直接、米国に伝えるということです。ワシントンでの活動の主要なテーマはこの問題となりました。沖縄問題が国政の重大な焦点となっているなかで、米国政府との会談、米連邦議会議員との懇談、全米法律家協会主催の講演会などでの発言をつうじて、沖縄県民の総意がどこにあるかを伝え、普天間問題の解決方法は「移設条件なしの撤去=無条件撤去」しかないことを伝えるという仕事をおこないました。

 「核兵器のない世界」、「基地のない沖縄」という二つの大きな問題で、日本国民の声を国際社会、米国に伝えることができたと思います。

米国政府・議会関係者との会談―「今後も意見交換をつづけよう」

 米国政府との会談では、とくに日米関係・普天間問題については、意見が対立するわけですが、最後に米側から、「見解が違っても意見交換するのは有益であり、民主主義の基本です。これからもつづけましょう」との発言がありました。私も、「それは重要なことです。今後も意見交換をつづけましょう」と応じました。

 わが党と米国政府の間では、核兵器問題では交わるところもありますが、日米関係では立場が真っ向から違います。しかし、意見交換は重要です。そのことで両者が一致し、今後も意見交換を続けていこうということになったのは重要です。初めての訪米で、こういう話し合いが始まったこと自体が、大事なことだと考えています。

 それから、私たちは、米連邦議会の議員と懇談の機会を持ちました。ビック・スナイダー下院議員(民主党)、ドナルド・マンズーロ下院議員(共和党)、トーマス・ピートライ下院議員(共和党)の3氏です。私から、核兵器問題、日米関係についての日本共産党の立場について話すとともに、率直で多面的な意見交換をおこないました。米国の建国の問題、歴史の問題も話題となりました。リンカーンとマルクスの交流のことなども私から話しました。立場の違いはあっても率直に意見をのべあう会談となり、今後も意見交換を続けましょうということになったことも重要だと思います。これも第一歩ですが、今後、発展させていきたいと思います。

〈一問一答〉

「抑止力」という考えをどうみるか

 問い 普天間問題で米側は「地元合意尊重」といっていた。この問題についての米政府側から反応はどうでしたか。

 志位 私が、「(県内移設では)住民合意は絶対に得られない」と伝えたのに対して、先方が強調したのは、「日米安保の重要性」と「海兵隊の抑止力の重要性」でした。(「住民合意」が得られないことについての)直接の答えはありませんでした。

 問い 海兵隊が北朝鮮や中国への抑止力となっているという考え方について、どうお考えになりますか。

 志位 「抑止力」というのは、いざとなったらその軍事力を使うことが前提となって、はじめて成り立つ議論です。「核抑止」についても、「海兵隊による抑止」についても、いざとなったら使うということが前提です。それでは、いったい朝鮮半島に海兵隊を出すことがありうるのか。中台の紛争がかりに起こったとして、そこに海兵隊を出すということがありうるのか。そんなことを考えている国はありません。米国も考えていない。悪夢のような話です。

 結局、海兵隊がなんのために沖縄にいるかといえば、事実が示しています。この部隊が展開している場所は、イラクでありアフガニスタンです。この部隊が、日本や、北東アジアにとって、平和のための「抑止力」だというのは、まったく根拠のないことです。

 沖縄県民にとっては、「抑止力」という言葉によって、長年にわたって基地を押し付けられ続けてきたわけです。「抑止力」さえいえば、住民の命を危険にさらすような事態を続けることが許されるのか、というのが沖縄県民の気持ちだと思います。私は、もはや、「抑止力」という抽象的で空疎な3文字で県民を「説得」することは、到底できなくなっていると思います。

訪米実現の背景に米国の変化

 問い 委員長の訪米が、なぜこれまで実現できなかったのでしょうか。なぜ、今回、実現したのですか。

 志位 直接には、5年ぶりにニューヨークでNPT再検討会議がおこなわれ、それに参加し、要請・交流をおこなうということが、訪米を計画した目的でした。

 同時に、この機会に、米国政府、議会関係者との意見交換も計画しました。それを可能にしたのは、やはり米国社会の変化だと思います。つまり、過去に存在した入国さえ難しかった反共の壁が崩れたということです。さらに、日本共産党というだけで、意見交換の対象から排除することはなくなったということです。

 くわえてオバマ政権の誕生は、わが党と米国との関係にも新たな条件をつくったと思います。もちろん、大きな立場の違いが多くの問題であります。同時に、核兵器問題などで一定の共通の方向も生まれてきた。そして、私が、この間、米国政府との関係で実感しているのは、この政権が、異なる意見であっても「聞く耳をもっている」政権だということです。

 私たちは、米国という国について、太平洋をはさんだ大事な隣国だと考えています。ですから、本当の友好関係を築きたいと考えています。そのためには、いろいろ立場の違いはあっても、なんでも話し合える関係になっていくことが大事だと思います。その第一歩を踏み出せたことも、大きな収穫だと思います。

新しい綱領のもつ生命力

 問い 今回の訪米の実現にあたって、米国社会が変化しただけでなく、日本共産党も変化した部分もあるのでしょうか。

 志位 私たちは、2004年の党大会で綱領改定をおこない、21世紀の新しい世界の分析にたって、帝国主義論を理論的に発展させました。すなわち、20世紀の最初の時期は、独占資本主義の国は、帝国主義の国になることが、当たり前の時代でした。独占資本主義の段階になったら、多くの国が、領土の分捕り合戦をやり、植民地の奪い合いをやるという帝国主義になるのが当たり前でした。ところが、戦後、植民地体制が崩壊し、植民地を許さない体制がつくられる。そのもとでは、独占資本主義の国だから帝国主義の国になるとはいえない、それはその国がとっている政策と行動の内容によって判断すべきだというように、帝国主義論を発展させました。それは新しい世界の変化に即した、私たちの理論の発展でした。

 そのとき、米国については、米国がとっている世界政策を分析して、その世界政策はまぎれもなく帝国主義であるとの判断をしました。同時に、その米国も固定的にみないということを確認しました。すなわち、そうした米国であっても、世界のさまざまな平和や進歩の動きにおされて、前向きの態度を部分的にとることもありうるだろう、変化もありうるだろう、そうした変化が起こったときには、きちんと「複眼」でとらえ、覇権主義の政策と行動は批判するけれども、前向きに変化した部分はしっかりとらえて対応するということを綱領改定のさいに確認しました。

 私たちはそういう目で米国をみてきました。ブッシュ政権の時代でも、2期目に入って、たとえば北朝鮮の核問題をめぐる「6カ国協議」で、米国が積極的な役割を果たすという場面がうまれたときには、それに注目して評価することもしました。

 それがオバマ政権になって、「核兵器のない世界」ということを公式に米国が国家目標とした。これは明らかに前向きの変化です。そこで私たちは、歓迎と要請の書簡を送り、先方からも返書が来る。こうして、私たち自身も世界の変化に即して、理論を発展させ、それを実践に生かしてきた。それが今回の訪米を可能にしたと思います。

 問い 今後、引き続き、米側との意見交換を続けるというが、具体的にはどういうことですか。

 志位 それは情勢の進展に即してやっていきたいと思います。駐日米国大使との関係でも、米国政府との関係でも、立場は違っても話し合いを続けようとなったのは、たいへん重要ですから、それを大事に発展させていきたいと思います。

 米側にとっても、日本にいろいろな意見があるということを知るのは有益だと思います。私たちにとっても、日本国民の声を代表して、米国に伝えるということは重要な活動になります。

鳩山首相の政治責任について

 問い ところで日本の内政問題になりますが、普天間問題にかかわって鳩山首相は辞任すべきでしょうか。責任問題をどうお考えになりますか。

 志位 結局は、自らの公約を裏切り、沖縄県内に新基地をつくる。この政治姿勢こそ、深刻な責任問題です。これは国会で追及していきます。(辞任要求については)今後の展開いかんです。鳩山首相として、正式に具体的な案(「移設案」)を提示しているわけではありません。漠然と、「沖縄に負担をお願いする」という言い方ですから、これが今後どう明らかにされていくかが問題となります。私たちは、それがいかに無謀なものであるのか、国会で追及していきます。

 私は、訪米の前に、鳩山首相と党首会談をおこない、核兵器問題での私たちの立場とともに、沖縄問題についても話しました。いまからでも遅くないから、無条件撤去という立場に立つべきだ、その立場に立てば日本共産党は党をあげて応援するということも言いました。しかし、結果は、ご覧のとおりです。とりわけ沖縄県民は、「県内につくらない」という鳩山・民主党の公約に期待をして投票したのです。期待が大きかっただけに、裏切られたときの怒りは激しい。いま沖縄は怒りの炎につつまれていると思います。

歴史的スケールで今日の事態をとらえる

 志位 さきほど、米国務省との会談のなかでも話しましたが、いまの沖縄の事態を歴史的なスケールでみますと、本土復帰闘争に匹敵するものです。本土復帰闘争では、文字通り島ぐるみの大闘争によって、本土復帰を勝ち取りました。それと同じような深い怒りが広がり、同じような歴史的局面にたちいたっていると思います。

 1969年の沖縄返還合意にいたる米国務省、国防総省、在日大使館などとのさまざまなやりとりの文書をみますと、ある時点で、「ポイント・オブ・ノー・リターン」という言葉が出てきます。もはや後戻りできない限界点をこえたということです。沖縄の問題をこのまま放置したら、もはや日米関係はもたないということを国務省側はいうわけです。国防総省の方は抵抗しますが。結局、返還という方向にいくわけです。

 私は、きょうの米国務省での会談で、今日の事態はそれと同じような歴史的岐路だといいました。「ポイント・オブ・ノー・リターン」――後戻りできない限界点をこえていると、そういう認識をもたなければこの問題に対処できない、いろいろな理屈をいっても通じないという話をしました。そういう歴史的視野での認識を持つべきだと思います。

“二つの抑止力”にとらわれ、世界にも米国にもモノがいえない政府でいいのか 

 志位 訪米の全体をふりかえって感じることは、私たちが主張し、行動したようなことは、本来、日本政府がおこなってしかるべきことではないかということです。

 「核兵器のない世界」をめぐっては、日本は唯一の被爆国です。世界の大勢は、核軍縮のための個別の部分的措置とともに、核兵器廃絶の国際交渉を始めようという動きとなっています。これをなぜ、被爆国・日本の政府がいわないのか。それは米国の「核の傘」=「拡大抑止」という呪縛(じゅばく)にとらわれているからだということを、率直にいわなければなりません。

 普天間基地の問題で、日本政府が、なぜ沖縄県民の立場に立って米国にモノがいえないのか。普天間を撤去しなさいということを正面からいえないのか。こちらもまた「海兵隊は抑止力」だという呪縛にとらわれているからです。

 核問題では「核抑止力」にとらわれ、沖縄問題でも「海兵隊の抑止力」ということにとらわれ、この“二つの抑止力”に縛られて、世界にモノがいえない、米国にモノがいえない、こういう政府でいいのか、ということが問われていると思います。