2008年9月6日(土)「しんぶん赤旗」

ロシアによるグルジアにたいする主権侵犯について

――主権と領土保全という国際法の原則にたった解決を

2008年9月5日 日本共産党幹部会委員長 志位 和夫


(1)

 グルジア領南オセチア自治州をめぐるロシアとグルジアの武力衝突からほぼ一カ月が過ぎた。この武力衝突は、グルジア政府による南オセチアへの武力行使から始まったものだが、ロシアはそれに対して南オセチアに駐留させていたロシア部隊と本国から新たに投入した軍隊を、南オセチア外のグルジア各地に軍事侵攻させるという行動をおこなった。ロシアとグルジアの間には、八月十三日、停戦合意が成立し、軍の撤退が開始されたものの、ロシア軍はいまなお南オセチア外のグルジア領土への駐留を続けている。さらに、八月二十六日、ロシア政府は、グルジアの領土である南オセチア自治州とアブハジア自治共和国の「独立」を一方的に承認するにいたった。

 ロシアの行動に国際社会の憂慮と批判が広がったことに対して、ロシアのメドベージェフ大統領は「新しい冷戦を恐れない」とのべるなど、この問題は、二十一世紀の世界秩序にかかわる重大な問題に発展している。

(2)

 ロシアによるグルジアに対する軍事侵攻、南オセチアとアブハジアのグルジアからの「独立」の一方的な承認は、国連加盟国の主権、独立、領土保全を尊重するという国連憲章、国際法の原則に反する行動である。

 ソ連崩壊以降、ロシアは、旧ソ連を構成した諸国に対して、主権、独立、領土保全の原則を尊重することを、繰り返し誓約してきた。

 一九九一年十二月、旧ソ連を構成した諸国でつくられた「独立国家共同体」(CIS)発足の際の宣言(アルマアタ宣言)では、ロシアをふくむ加盟諸国が、「互いの領土保全と現存する国境の不可侵性を承認し、尊重する」と誓約している。ロシアとグルジアとの関係では、民族紛争への対応として、南オセチアにロシア軍が平和維持部隊として駐留することが合意されたが、それはあくまでもグルジアの主権、独立、領土保全を尊重するということが前提とされていた。

 さらに、一九九三年以来二〇〇八年まで、累次にわたって国連安全保障理事会で採択されたグルジアにかんする決議のなかでも、「国際的に承認された国境内におけるグルジアの主権、独立および領土保全」の厳格な尊重が繰り返し確認されており、ロシアはそのすべてに賛成してきた。

 今回のロシアの行動が、自らが国際社会に誓約してきたグルジアの領土保全に反し、国連憲章、国際法の原則に反するものであることは、明りょうである。

(3)

 ロシアは、「独立」承認の理由として、グルジアによる南オセチアへの武力行使をあげている。グルジア政府は、「この地域全体での憲法的秩序を回復する」(国防相)ことを武力行使の理由としたが、民族問題の解決を軍事行動に求め、南オセチアの住民に多大な被害をもたらしたグルジア政府の態度は批判されなければならない。

 しかし、南オセチアはグルジアの領土であり、この問題は、合意に基づいて平和維持部隊を置いてきたロシアとのかかわりがあるとはいえ、基本的にはグルジア領土内でおこった内政問題という性格をもつものである。グルジア政府がおこなった軍事行動を理由に、ロシア軍が、両国の合意をえて駐留していた南オセチアを越えてグルジア各地に軍事侵攻したことを、合理化することはできない。

 くわえて、両国の軍事衝突後に、ロシアとグルジア間でかわされた停戦合意には、「アブハジア、南オセチアの安全と安定の手段にかんする国際協議の開始」が明記されていた。ロシアが、両地域の「安全と安定」についてグルジア側と協議することに同意したばかりであるにもかかわらず、一方的に両地域の「独立」を承認することは、道理がない。

(4)

 ロシアが、ソ連崩壊後初めて、他国の領土に軍事侵攻したこと、さらにCIS結成の際に「不可侵」とした国境線を一方的に変更しようとする「独立」承認をおこなったことは、国際社会に深刻な懸念と批判をよびおこしている。

 さらにロシアのメドベージェフ大統領が、八月十八日の演説の中で、「(帝政)ロシア、ソ連、そして新生ロシアが自分から軍事攻撃を仕掛けた例は実際上ない」と、帝政ロシア、スターリン以後のソ連がおこなった数々の領土膨張主義、軍事的覇権主義の歴史をゆがめ、それを美化する発言をしていることは看過できない。それは、これまで新生ロシア政府が、かつてのソ連によるハンガリー、チェコスロバキアなどへの軍事侵略に対して、一定の反省を示したこととも矛盾するものである。

 わが党は、スターリン以後のソ連がおこなった数々の覇権主義の暴挙とたたかってきた党として、新生ロシアの大統領がこうした発言をおこなったことを、深く憂慮するものである。

(5)

 日本共産党は、ロシア政府に対して、武力衝突がぼっ発する以前の地域へのロシア軍の撤退、グルジア領内の二つの地域に対する「独立」承認の撤回、グルジアの主権、独立、領土保全の厳格な尊重を要求する。

 この問題を、国連憲章と国際法の順守、当事者間の政治的・外交的な話し合いによって、平和的に解決することを、強く求めるものである。


用語解説

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 グルジア 黒海沿岸に位置し、国土面積は六万九千七百平方キロで日本の約五分の一。人口は約四百四十万人で、グルジア人が人口の約70%を占め、ほかにアゼルバイジャン人、アルメニア人、ロシア人、アブハジア人、オセット人、ギリシャ人など。ペルシャやオスマントルコなどの支配を経て、十九世紀に帝政ロシアが併合。ロシア革命後、共和国として独立し、一九二二年にソ連に加盟。ソ連崩壊後、九一年に改めて独立。米国で教育を受けたサーカシビリ現大統領が二〇〇四年に就任してからは、親米路線をとり、米国から軍事顧問団を迎え、北大西洋条約機構(NATO)に加盟を申請。

 南オセチア自治州 グルジア国内でペルシャ系のオセット人が多数を占める自治州。海抜千メートル以上の土地が大部分で、人口は一九八九年当時には約十万人いましたが、民族紛争などで七万人にまで減少。ロシアに帰属する北オセチア共和国と同じ民族ですが、旧ソ連の下で、ロシアに属する北と、グルジアに属する南に分断されました。一九八九年、グルジア語のみを公用語にしようとするグルジア政府と自治州が対立。グルジアが自治州を取り消したため、南オセチアは九二年に住民投票で「独立」を宣言し、グルジアと武装衝突、民族紛争に発展。同年六月にロシア、グルジア、南北オセチア四者によって停戦協定が結ばれ、双方五百人ずつの平和維持部隊が導入されました。

 アブハジア自治共和国 グルジア内の最西端に位置し、黒海に面する自治共和国。現在、人口は十六万人から十九万人と推計され、イスラム教徒のアブハジア人が多数を占めます。一九九二年にグルジアからの「独立」を宣言して以来、グルジア側との紛争が続いています。紛争以前はグルジア人が多数(人口五十二万人中48%)でしたが、グルジア人約二十五万人が難民として同地を離れました。九四年に和平協定が成立し、旧ソ連の国々で構成する独立国家共同体(CIS)が平和維持軍を配備。国連もグルジアの領土保全を認める決議をあげ、国連グルジア監視団(UNOMIG)を派遣しています。

 独立国家共同体 旧ソ連を構成した国々からなる国家連合体。一九九一年のソ連崩壊に伴い、十二の共和国が独立し、外交政策や軍事、経済問題などでの協調を目的に同年、結成。当初は十カ国でスタートしましたが、九三年にはグルジア、アゼルバイジャンも参加し、十二カ国に。今回、ロシアが南オセチアとアブハジアの「独立」を承認したことでグルジアが脱退し、十一カ国になりました。創設時のアルマアタ宣言では、「相互の領土保全ならびに現存国境の不可侵」や「内政不干渉」などが明記されています。

 グルジアとロシアが合意した6原則 グルジアとロシアが、フランスのサルコジ大統領の仲介で八月に調印した六項目の「南オセチア紛争解決のための和平合意」は次の通り。

 (1)武力不行使(2)あらゆる軍事活動の完全停止(3)人道支援活動の保障(4)グルジア軍は常駐地点へ戻る(5)ロシア軍は紛争前地点へ戻ることと国際メカニズムが導入されるまでのロシア平和維持軍の追加的な安全措置(6)南オセチア自治州とアブハジア自治共和国の安全と安定の手段について国際協議開始。