2006年10月2日(月)「しんぶん赤旗」

志位委員長のパキスタン訪問に同行して

代表団員座談会

相手の苦労を理解する努力が心の通い合いをつくった

イスラムの国で与野党問わず温かく 党の自主独立路線がパスポート


 志位和夫委員長を団長とする日本共産党代表団が九月十六日から二十一日までパキスタンを公式訪問しました。代表団員が語りあいました。


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(写真)小池晃さん

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(写真)緒方靖夫さん

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(写真)森原公敏さん

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(写真)広井暢子さん

出席者

緒方靖夫 幹部会副委員長・参院議員(兼司会)

小池晃 常任幹部会委員・政策委員長・参院議員

広井暢子 常任幹部会委員・女性委員会責任者

森原公敏 幹部会委員・国際局次長


野党外交の歴史的場面に立ち会えた

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(写真)イスラマバード郊外にある古代タキシラ遺跡を訪問、アマン・ウラ研究員の案内でシルカップ遺跡群を視察する代表団=9月17日

 緒方 パキスタン政府の公式招待という党の歴史で初めての訪問でした。

 小池 党の野党外交の歴史的場面に立ち会えて感激しています。五年前、アフガニスタンへの米軍の空爆のさなか、難民の状況を調べるため、パキスタンに事前のコンタクトなしにいきました。当時、緒方さんが外務省の局長と会うまでは、イスラマバードで電話帳をくって役所に電話をかけ続けたが、ほとんどシャットアウトでした。当時の対応と比べると今回は雲泥の差です。

 広井 党の国際的な代表団には初参加でした。志位さんとアジズ首相の会談に同席し、歴史をつくる緊張感に包まれながら、世界の平和の流れを確かなものにするという合意をつくる過程に感動しました。異なる文明を知ること、イスラム圏にふれたことも貴重でした。最初にガンダーラのタキシラ遺跡で仏像の話をきき、次に首都イスラマバードでイスラム教のモスクに案内されました。

 森原 仏像の評価については、イスラムは偶像を禁止しているから、肌合いが違うのではという声もあるかもしれませんが、そうではありません。タキシラの博物館で地元の高校生らしい若者の集団が真剣に見学していたのには感心しました。アフガニスタンではバーミヤンの仏像が爆破されましたが、それとは違いますね。

 小池 文明の十字路ということを大事に考えている感じがしました。

現実の国際政治にかかわる新たな局面

 緒方 政治会談も最初のタキシラ訪問が入り口となって話がはずみました。いい日程をつくってくれました。

 小池 パキスタン側がてきぱき日程を組んだので日本大使館の人が驚いていた。「日本共産党の訪問を重視しているのだろう」と。日本共産党とつきあうことで初めてわかること、本当の意味での日本とか、新たな世界の見方とかを発見する意味を感じたのではないかと思います。

 森原 「どうしてパキスタンに呼ばれるのか」と多くの人にきかれました。小池さんがいわれたとおりだと思います。政府間関係だけでなく新しい協力・交流の次元、展望を求めていること、日本共産党の訪問はそれにつながるものだと首相や上院議長から直接表明されました。もちろん、これまで二回の志位・アジズ会談を通じての日本共産党への評価がその基礎にあるわけですが。世界の仕組みが変化している。そのなかで日本共産党が現実の国際政治にかかわっていく。新しい局面がつくられてきたと強く感じました。

 緒方 訪問では相手を知ると同時に自分たちのことをいかに伝えるかという二つが大事で、会談では見事にやられた。“互いに他を知る”ことが一番です。パキスタンはサウジアラビアとならぶ最もイスラム的な国。人口も一億六千万人。イスラム諸国会議機構(OIC)の会議でパキスタンのムシャラフ大統領が「イラクに一兵たりとも送らない」と演説すると大きな拍手が送られる。そういう国と縦横な議論をして綱領の世界論がそのまま通用して大きな一致が見られたのです。パキスタンは“報われない国”といわれることがある。いくらテロ“対策”でがんばっても、アフガン政府からもアメリカからもまだ足りないといわれる。テロとのたたかいの最前線にあって、そのへんの苦労をわかって話をしていると相手に伝わった。それが心の通い合いをつくったという感じがします。

 小池 その点で、団全体でくりかえし、どうやって相手の立場を理解し、どうのぞむのかを議論してのぞみました。ねりあげて作った方針に、訪ねたタキシラ遺跡のことを入り口にして、アジズ首相との会談が成功した。この成功がその後の全体の基調をつくりました。

平和秩序の一致は理解の深まりの中で

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(写真)会談を終えた代表団。右から4人目はアジズ首相、その左が志位和夫委員長=9月18日、イスラマバード

 森原 首相との会談で、志位さんがアジズさんの最近の主要な演説をいくつも具体的にあげました。即座にどれだけの認識をもっているかを理解してくれました。志位さんと首相の会談が展開し、合意に向かっていく基礎になったと思います。

 広井 これまでの野党外交の蓄積・土台があって、国際局の人がかなり前からとりかかって党の知恵を結集して準備していました。相手の主張も深く研究したうえですから、対談するこちらの誠実さ、真剣さが相手に伝わっているようすがわかりました。

 緒方 志位さんの最初の訪問は四年前。この間に大きな発展と理解の深まりがありました。去年八月にアジズ首相が来日して、志位さんと会いました。世界平和秩序の話で一致した見事な会談でした。今回三つのテーマで一致がありましたが、第一の世界の見方はすでに議論済みの大前提。これが土台となって、第二のテロとのたたかいに進み、そして核兵器の議論。パキスタンは核兵器をもっている国だけれど、志位さんは被爆国の政党として問題提起した。地球的規模の核兵器廃絶のイニシアチブをという提起に、首相は「そうしましょう」と答えた。会談の醍醐味(だいごみ)でした。

 小池 上院外交委員長の歓迎夕食会で上院議員二十五人が参加したのは驚きでした。日本だと百人規模に相当します。日本の国会で外国代表を百人で迎えるなんて、どんな国が来てもありえない。しかも私たちは政府代表でなくて一政党ですよ。

 森原 しかも、常任委員長とか大臣だという人たちでしたね。

 広井 どこの会談でも女性の“能力の発揮”、政治・社会進出の問題が出されました。上院議員定数百のうち女性十七人の選出が義務付けられていました。全四州から四人ずつとイスラマバードから一人です。委員会の責任者にも女性がいました。「貧困や女性の教育で課題があり、努力してます」という話でした。港湾委員会の委員長も女性でした。織物工場をもつ女性企業家の人に会ったら「パキスタンでも若い女性がいろんな分野に進出しています」と。

 森原 上院議長主催の歓迎昼食会では野党の方々とも意見を交換しました。野党の意見も直接、われわれに届いているわけで、ある意味でパキスタン政府の自信の表れだと思います。

 小池 歓迎昼食会では議長の隣が志位さん、その隣に座っている人は、与党かと思ったら野党の人で、当然野党の立場からものをいう。ああいう雰囲気も民主的でした。医療では、欧米に肩を並べる水準のところもあるが、全体では非常にたいへんだと。とくに妊産婦の死亡率が高いということも聞きました。

 緒方 結局、野党も含めて幅広く迎えてくれたんですね。野党が政府不信任決議案を出して、それを否決したばかりの与野党対決で政局が緊迫したなかに行ったが、われわれをみんな温かく迎えてくれた。それは、イスラムの儀礼とともに、われわれに与野党超えた政策的幅があるということを示していて、うれしく思いました。

 小池 与党だけでなく野党の人と会っても反共の壁を一回も感じなかった。「ここにいるヤスオ・オガタがカブールに行って調査し、ソ連のアフガニスタン侵略の事実を突き止めた」と志位さんが紹介すると理解された。党の自主独立路線がなによりも強力なパスポートでした。

 広井 どこへいってもそれが党への信頼になっていましたね。パキスタンの政治家の方は曇らない目で日本共産党を見て、党の活動に共感するし、連帯感を感じてくれる。下院外交委員会でお会いしたムスリム連盟の国際委員会責任者の女性も、日本共産党の紹介文を見たらすぐ反応しました。草の根の活動はすごいと。核兵器廃絶は賛成しますと力強く発言をされていました。

 森原 もう世界はそうなっているのですね。日本の多くの人に伝えたいですね。

 緒方 印象に残るのは上院外交委員長のサイド氏。日本共産党についてよく頭に入っていて、党を知らない同僚に会うと、「自主独立の党」などときりだして説明してくれた。

 広井 サイドさんの日本共産党への信頼感、連帯感には感動しました。日本共産党を率先してみんなに知らせようと。

党員や支持者の支えがあってこそ

 小池 最終日に一年前の大地震の被災地にヘリコプターで行きました。がけくずれの跡、つぶれた家も見えました。七万人とも九万人とも言われる死者でした。日本のように住宅密集地でないけど、すさまじい被害だと実感しました。

 広井 浄水場が無くて下痢が深刻だと聞きました。

 小池 日本の援助で学校をつくっていました。私たちも街頭で募金も訴えましたね。私たちが訪ねると、青空教室で授業をやっていた子どもたちが、「ありがとう、いっしょうけんめい勉強します」といいました。その時のこどもたちの目は忘れられません。パキスタンがいろんな問題を克服して、子どもたちが幸せになってほしいと心から願っています。

 広井 私たちの帰国と同時にパキスタンの観光大臣でムスリム連盟の女性委員会責任者の方が日本に来られました。帰国のとき、飛行機が同じで、機中でもあいさつしました。埼玉で行われたパキスタンの音楽と文化の催しにも参加しました。こうした多面的な交流も、お互いの国と党を理解し、今回志位さんとアジズ首相が一致した内容を発展させていくうえでも、大切なことだなと実感しています。

 緒方 この七年間で野党外交は大きく発展しました。こういう活動ができるのは、なんといっても党員や支持者の日常的な支えがあるからで、遠い地から、そのことを思い、胸を熱くしました。