2004年11月5日(金)「しんぶん赤旗」

新潟中越地震

冬に向って生活不安 希望もてるゆき届いた支援を

志位委員長、市田書記局長に訴え

被災者や、自治体と懇談


 「冬に向かって生活が不安」「希望がもてるゆきとどいた支援を」――四日、新潟県中越地震被災地を訪れた日本共産党の志位和夫委員長、市田忠義書記局長に、被災した住民や懸命の支援を続ける自治体、ボランティアなど関係者から切実な訴えが次々寄せられました。余震や雨による二次災害、やがてくる豪雪期をどう乗り越えるかと、不安が尽きない被災地で、生活再建へゆきとどいた支援を求める声が相次ぎました。


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避難所で被災者の要望を聞く志位委員長(左から2人目)、市田書記局長(同3人目)。左端は安保寿隆市議、右端は尾身隆一市議=4日、新潟・十日町市

 新潟県中越地方はこの日、雨。午前九時前には、再び震度5強の余震がありました。

 志位さん、市田さんは最初に訪れた旧六日町(南魚沼市)の日本共産党救援センターで、忙しく立ち働く党員、ボランティアの人たちと交流。「みなさんの活動は『国民の苦難のあるところ日本共産党あり』、国民の命を守る党という、私たちの立党の精神に立った奮闘です。被災者の要望をよくお聞きし、国政の場で全力をあげて対策をすすめ、党としての独自のボランティア活動もいっそう強めたい」と激励しました。

 横浜市からボランティアに来ている男性(61)は、「勇気づけられました。ほんとうに大変な生活をしている被災者を、元気よく励ましながら、がんばりたい」と語りました。

 十日町市では、いまも百五十人余が避難する同市学校町の市公民館へ。避難生活の苦しさを訴える被災者の話を、志位さんはメモをとりながら聞き入りました。同市役所では、滝沢信一市長らと懇談し、大きな被害を受けた地域医療の拠点病院の再建、個人の住宅の改修・再築への公的支援など多くの項目にわたって要請が出されました。

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日本共産党の魚沼救援センターで救援活動に励む党員、ボランティアたちと懇談、激励する志位委員長(正面右から2人目)と市田書記局長(右端)=4日、新潟・南魚沼市(旧六日町)

 志位さんは、ちょうど同じ時間に、参院の厚生労働委員会での質問、小池晃政策委員長が同市の病院問題をとりあげていることも紹介しながら「力を合わせて、実情に合った対策をすすめていきたい」とこたえました。

 最初の地震で最大の震度7を観測した川口町へ。川口町役場近くの信濃川河川敷に自衛隊が設置したテント村に避難した住民に、河川の増水のために新たな避難命令が出された緊迫の現場を訪問。「お願いします」「助けてください」という声を次々受けました。

 長岡市では、避難場所となっている石坂小学校では、不安な一夜を前にする被災住民の訴えをきき、激励しました。

 長岡市内に日本共産党が設けた中越地震・党救援センターへ。志位さん、市田さんは、不眠不休で支援にあたる日本共産党議員、党支部、ボランティアの人たちと夕食をともにしながら交流。緊急に求められている支援策、実情や課題を具体的にききました。



避難所の石坂小を訪問

 日本共産党の志位和夫委員長と市田忠義書記局長は四日夜、新潟県中越地震で被害を受け、長岡市立石坂小学校体育館の避難所で避難生活を続けている被災者を訪問・激励しました。

 毛布をひざに掛けたりして寒さをしのぐ被災者らが、志位さん、市田さんを温かい拍手で迎え、両氏は一人ひとりと握手を交わし、声を掛けました。

 「ありがとうございます」「共産党の人には本当によくしてもらって…」と多くの人が答え、涙を流して志位さんの手を握る人もいました。

 七十九歳と七十七歳の夫婦は、「農業をしているが、作業小屋が全壊した。中には、トラクター、耕運機、脱穀機などがあり、全部だめになった。新しく買う金がないから、百姓をやめるしかない。これからの生活を考えると地獄だのう」と語ります。

 最後にマイクをとってあいさつした志位さんが、「住宅を再建してこそ、くらしの再建ができます。個人財産の補償を実現するため全力を尽くします」とのべると、避難所全体から大きな拍手が起こりました。