2003年4月17日(木)「しんぶん赤旗」掲載

〔HP限定〕

教訓を生かし、後半戦での前進を必ずかちとろう

日本共産党全都活動者会議 志位委員長の報告(大要)(2003年4月15日)


 日本共産党の志位和夫委員長が、十五日の党全都活動者会議で行った報告(大要)は次の通りです。


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報告する志位委員長=15日、東京都内

 みなさん、こんばんは。私は、まず東京のみなさんの前半戦のたたかいに、心からの敬意と感謝を申し上げたいと思います。(拍手)

 また若林義春さんの候補者としての奮闘ぶりも、いまのあいさつも声をからしてのものでしたが、これは訴えの中身はもちろん、候補者として精魂傾けて立派にたたかいぬいたことを証明していると思います。若林義春さんの奮闘も、みんなで一緒にたたえあいたいと思います。(拍手)

 この選挙戦をともにたたかった一人として、都知事選をはじめ前半戦の結果からどういう教訓を引き出し、後半戦にどう生かすかという主題で、報告します。

 私は、つぎの三つの確信を、東京のみなさんの全体のものにして、引き続くたたかいにのぞむことが大事だと考えております。

都民にたいして政党としての責任を果たした唯一の党

 第一の共通の確信にしたいことは、日本共産党は、都知事選挙で政党として責任をもって候補者を擁立した唯一の党であり、都民の立場に立って堂々と論戦を展開した唯一の党であるということであります。私は、このこと自身が大きな値打ちをもつことに、しっかりと確信をもつことが大切だと思います。

首都東京で訴える立場をもち、言葉をもったのは日本共産党だけ

 それは、他の党のとった態度と比べると鮮明になります。たとえば自民党と公明党は、石原陣営を応援したわけですが、公然と推薦はできなかったわけです。石原氏からも、「推薦は必要ない」というふうにあつかわれたわけです。ですから、ああいう選挙結果が出ても、自民党と公明党にとっては、勝利感はないでしょう。むしろ「政党としての役割が問われる」ということを批判されているのが、これらの政党です。

 民主党と社民党は、樋口陣営を支援したわけですが、これも公然と推薦ができませんでした。「勝手連」と自称して応援をしただけでした。しかし樋口候補というのは、ともかくも、自分は石原候補の「対立軸」だということを売り物にして出た候補でした。そういう候補を、都議会では「石原与党」として石原知事と二人三脚で冷酷非情な都民いじめの政治をすすめてきた民主党などが推すということは、彼らの陣営に深刻な矛盾をきたすことになりました。

 たとえば民主党の代表が樋口候補の応援にきても、石原都政の批判ができないわけです。都政の中身のここが問題ということは、樋口候補も言えないし、民主党の代表も言えないわけです。せいぜい、「あと四年間、本当に知事をやるかどうか怪しいものだ」といった調子の「批判」しかできません。その矛盾は、選挙が終わったあと、石原氏本人からも、「民主党は筋の通らない対応をやった。このような党では崩壊するだろう」と痛烈に批判されるようなことにもなるわけです。

 このように今度の選挙というのは、「石原与党」――事実上の「オール与党」が二手にわかれて二人の候補を推したわけですけれども、両方とも政党の看板を出せなかった。ここに私は、この勢力が今日陥っている「政党の衰退」とよばれる状況が、まざまざとあらわれていると思います。

 こういうなかで、政党としてまさに旗幟(きし)鮮明に都知事選挙をたたかったのは日本共産党だけでした。私は、告示の第一声で若林さんと一緒に新宿で訴えたわけですが、各党の代表者のなかで、東京で第一声を訴えたのは日本共産党だけでした。他の党の党首は、東京で公然と訴えるべき立場ももてないし、訴えるべき言葉もないわけです。首都で堂々と訴えることができる政党が日本共産党だけだということについて、私も若林さんと訴えながら、たいへん大きな誇りを覚えたものでした。

訴えと論戦では、道理がどちらにあるかは明瞭となった

 日本共産党と若林さんが論戦で訴えた内容も、私は、都民の願いを代弁した、道理に立った内容だったと思います。石原知事に正面から対決して、イラク戦争に反対する平和の知事をという訴えをおこない、福祉や教育を切り捨てながら巨大開発に熱中する「逆立ち」都政の転換をという訴えをおこないました。真正面からの論戦を展開しました。これはすべて大きな意義をもつものです。

 樋口候補にたいしても、石原都政を中身で批判する足場をもてず、保育の問題、福祉の問題などで、同じ流れに身を置く人物であるということを、事実にもとづいて率直に明らかにしたことも、重要でした。

 わが党の論戦にたいして、石原候補は、逃げとごまかしに終始しました。たとえば戦争賛成知事という批判にたいしては、「戦争賛成なんて馬鹿(ばか)なことをいう人間がいるわけがない」と、戦争に賛成した事実そのものをねじ曲げる逃げに終始したわけです。また、福祉の切り捨てを若林さんが批判すると、「共産党は馬鹿の一つ覚えみたいに批判をしている」ということを言うだけで反論不能です。平和の問題でも、福祉の問題でも、事実にもとづく批判にたいして、必ず「馬鹿」という言葉をともなった漫罵(まんば)でこたえるというのは、作家としてもどうも語彙(ごい)が少ないのではないか(笑い)。そのくらいわが党の論戦にたいして、まともな弁明も反論もできなかった。これが石原陣営の特徴でした。

 それから樋口候補についていえば、私たちの批判を、選挙中のみずからの行動で裏づけたと思います。たとえば、選挙に入ってこの人物は、「外形標準課税の導入を、政府の審議会の一員として主張してきた」――中小企業増税の立場にたっているという趣旨のことを公然とのべました。「小泉構造改革」について「ある程度評価する」と答えました。「公共事業費の削減は」と問われ、「削減する」といえなかった。わが党の批判が、樋口候補みずからの行動によって、裏づけられたというのが経過でした。

 このように、訴えと論戦では、道理がどちらにあるかが明瞭(めいりょう)になったというのが、このたたかいだったということに、自信と誇りをもとうではないかということを、私はみなさんに訴えたいと思うのであります。(拍手)

若林候補の政策が伝わったところでは、共感と支持が広がった

 ですから若林候補の政策が伝わったところでは、どこでも大きな共感と支持が広がりました。訴えたところでは、伝えたところでは、どんどん広がるというのが、この選挙をたたかったみなさんが実感されていることではないでしょうか。ただ、東京の一千万の都民というのは、実に広大な人々でありまして、短い期間に都民全体に若林候補の政策を浸透させるにはいたらなかったことは事実です。しかし、訴えた、伝えたところでは、共感と支持が広がったというのは、きわめて大切なことです。これは私たちが道理と大義の旗をにぎっていたということをしめしています。

 日本共産党は、政党として真の都政改革の選択肢を堂々としめし、堂々とたたかいぬいた。つまり都民への政党としての責任を果たした唯一の党です。このこと自身が大きな意義をもっている。これは奮闘いかんでは後半戦に生きる力に必ずなる。まずこの点を、ここにいるみなさんの共通の確信にし、全都の党と後援会の共通の確信にして、後半戦にのぞもうではないかということを心から呼びかけるものです。(拍手)

全国でも、東京でも、「反転攻勢」への足がかりをつかんだ

 第二に報告したいのは、前半戦のたたかいを通じて、全国でも、東京でも、今後の前進の足がかりになる重要な結果を得ているということです。全体の結果は、私たちがめざすものからすれば、全国でも、東京でも、十分なものとは言えません。しかし残念な結果のなかでも、今後の前進につながる足がかりを、私たちは得ているということを、しっかりつかむことが大切であります。

一昨年の参議院選挙の水準からどれだけ押し返したか――これが一つの基準となる

 もともと今度のいっせい地方選挙を、わが党がどう位置づけていたかということをふり返ってみたいと思います。

 昨年十二月に開いた五中総の決定では、この選挙について、「議席増はもとより、現有議席を確保することも容易ではない課題」として、この選挙の難しさを直視した奮闘をよびかけました。なぜ「容易でない課題」か。それは政治の流れのダイナミズムのなかで今度の選挙を位置づけた場合に、前進するためには、よほどの構えと力がもとめられる選挙だからです。

 四年前の一九九九年のいっせい地方選挙で得た結果というのは、その前年の一九九八年の参議院選挙で、わが党が八百二十万票という史上空前の得票をえて、躍進の流れのいわばピークの状況のなかで得た結果でした。

 しかしそのあと、わが党の躍進に体制的な危機感を覚えた反共・反動勢力が、大規模な巻き返しに出てくるわけです。その巻き返しというのは、二〇〇〇年初頭に京都と大阪でおこなわれた政治戦で、公明党・創価学会が先兵となって反共謀略攻撃を大々的にはじめたところからあらわれました。そして二〇〇〇年の総選挙では、それが全国的な規模でおこなわれ、わが党は残念な後退をしました。二〇〇一年の参議院選挙では、反共攻撃に、「小泉旋風」という状況がかさなって、われわれは二度目の残念な後退をいたしました。二〇〇一年の参議院選挙では、比例代表の得票を、一九九八年の八百二十万票から四百三十三万票まで後退させました。

 こういう状況をふまえて、五中総では、今回のいっせい地方選挙について、「いったん押し込まれたところから、逆に押し返し、新たな党躍進の波をつくる――『反転攻勢』によって、新しい上げ潮の流れをつくりだしてこそ、勝利をつかむことができる」。そういうたたかいとして位置づけたのです。

 ですから、私たちが前半戦の選挙結果を分析するさいに、もちろん議席の増減が重要であることは論をまちませんが、それとともに得票をふくめた選挙戦全体の分析が必要になります。一昨年の参議院選挙で四百三十三万票まで押し戻された。この水準からどれだけの前進をかちとったか。どれだけ逆に押し返しているか。これが選挙結果を分析するさいの一つの重要な、基準となってくるわけです。

 昨日発表した常任幹部会の声明では、この見地から前半戦の結果について分析をしました。残念ながらわが党は、全国的には、道府県議選の議席を、百五十二議席から百十議席に後退させました。政令市議選でも百二十議席から百四議席(さいたま市もふくむ)に後退させました。私たちは有権者のみなさんの期待にそえる結果がだせなかったことに、責任を感じています。

 同時に選挙戦の全体の結果を、さきほどいった「反転攻勢」という見地から分析してみますと、前進に転じる足がかりを得ていることを、よく見る必要があります。

得票――議席増には至らなかったが、一歩押し戻したことは重要

 一つは、得票の面で「反転攻勢」への一歩を踏み出したということです。道府県議選でわが党が立候補したのは三百六十七選挙区ですが、この選挙区について、二〇〇一年の参議院比例票と今回えた得票の比較をしてみますと、得票の合計で、二百四十五万票から三百二十四万票へと32・2%の得票を増やしました。四百三十三万票という水準からみて、32・2%の得票を増やしたということです。

 立候補した三百六十七選挙区のうち、三百二十四の選挙区、88%の選挙区で得票増をかちとりました。得票をかなり伸ばしたけれども、なお当選にいたらなかったところもあります。現職区で、四年前よりさらに得票を伸ばしたけれども当選にいたらなかった選挙区も六つあります。全体として、議席の増にはむすびつかなかったものの、四百三十三万票という水準まで押し戻されたところから、一歩押し返したということが、全国的な結果からはっきりいえるということを、まず報告したいと思うのであります。

一〜三人区での「共産党落としのシフト」――奮闘いかんで打破できる

 二つは、定数削減と「共産党落としのシフト」にたいしても「反転攻勢」の一歩を踏み出す選挙になったということです。

 二〇〇一年の東京都議選を思い出していただきたいのですが、この選挙でもみなさんの大奮闘があったわけですが、一人区、二人区では残念ながら一つも議席を得ることができませんでした。その原因の一つとして私たちが分析したのは、「共産党落としのシフト」がしかれたことでした。これは大躍進をかちとった九七年の都議選とは、大きく違った条件でした。すなわち、公明党が、自分が立候補していない選挙区の場合に、自民党に票をまわしたり、民主党に票をまわしたりという動きに出て、なりふりかまわぬ「共産党落としのシフト」がつくられる。そういうもとで、それまでもっていた二人区での七人の現職の議席を、残念ながらすべて失ったのが東京都議選でした。三人区でも、議席を獲得できたのは、豊島区と北多摩一区にとどまりました。

 今度の選挙でも、全国的に同じような「共産党落としのシフト」がしかれました。公明党が立候補していない選挙区では、多くのところで公明党は自民党ないし民主党の候補に票をまわし、共産党落としのために狂奔しました。たとえば京都では、公明党が民主党に票をまわす。民主党も公明党にこびをうって、「民主党の正面の敵は共産党です」と叫ぶという状況がありました。これも四年前の選挙とは大きく違った条件でした。

 前半戦で、道府県議で現職候補が落選したのは五十六人ですが、そのうち三十一人が、一人区、二人区、三人区です。その多くでは、「共産党落としのシフト」がしかれ、奮闘をしたが打破しきれなかったことが、残念な結果の一因となりました。

 同時に、今回の全国の結果を分析するさいに重要なことは、そういう状況のもとでも、一連の少数定数の選挙区で勝利をかちとったことです。道府県議選挙での一人区でも、長野県の駒ケ根で新しい議席を獲得しました。大阪府の大正区も一人区の勝利ですが、ここでは告示ぎりぎりになって自民・公明・民主の「オール与党」陣営が候補者を一本化し、共産党落としの異常なシフトがしかれましたが、これを打ち破って、堂々と勝利をかちとりました。さらに、全国で九つの定数二の選挙区で勝利をかちとっています。全国で十七の定数三の選挙区で勝利をかちとっています。定数一、二、三という少数定数選挙区で、合計二十八の勝利をえているわけです。

 都議選では、残念ながら少数定数選挙区ではなかなか勝てなかった。しかし今度は、「共産党落としのシフト」などで残念ながらおよばなかった選挙区もありますけれども、「シフト」を打破して激戦を制した選挙区も生まれてきた。これは「共産党落としのシフト」を、一歩押し返した結果と言えると思います。

反共攻撃への「反転攻勢」の第一歩がふみだされている

 三つは、反共攻撃への「反転攻勢」への第一歩の選挙になったということです。

 今回の選挙でも、反共攻撃とのたたかいは激しいものがあります。口コミとビラによる物量でも、謀略的で卑劣な手法という点でも、激しい攻撃がおこなわれました。反共謀略本が発行され、中づり広告が出され、わが党は告訴・告発したわけですけれども、こうした卑劣な犯罪的な手口に訴えての反共攻撃もおこなわれました。

 ただ今回のたたかいで、私は全国を応援で歩いて実感したことですが、どこでも卑劣な攻撃に、積極果敢に反撃している。決して負けていません。反共攻撃を恐れずに立ち向かう気概が、全国でも、東京でもつくられつつあります。一人ひとりの党員や後援会員のみなさんが、宣伝でも、対話でも、堂々とこれを打ち破るたたかいを、どこでも展開している。これはひじょうに重要な前進であります。

 東京の文京区の女性で、「しんぶん赤旗」の読者の方のところに、脅迫めいた無言電話がかかってきた。それにたいして、江戸っ子の女性は、「卑怯(ひきょう)者、名を名乗れ」と一喝して撃退した。この女性の一喝は、全国にも伝えられ、励ましましたが、党員も読者も、こんな卑劣な攻撃に負けてたまるかと、勇気をもって打ち破っている。

 政治論戦では、私は、完全に反共勢力を打ち破ってきたと思います。公明党・創価学会の北朝鮮問題を使っての攻撃、医療事故・事件問題を使っての攻撃にたいしても、わが党は徹底的な反撃で打ち破りました。さらに、「平和の党」の看板ははがれ落ちた。「福祉の党」の看板もはがれ落ちた。こうした批判をおこないました。相手側を、まともな弁明すらできない状況に追い込みました。

 もちろん全有権者の規模で、本格的に反共攻撃を打ち破って、これを孤立させ、撃退するところまでいっているかというと、まだそこまではいっていません。しかし彼らの攻撃に果敢に、積極的に立ち向かう。日本共産党らしい気概をもって堂々とたたかい、おいつめる。こうした活動が全国的に展開されたということは、たいへん大事なことです。これは今後のたたかいに必ず生きてくると、私は思います。

日本共産党と無党派の共同が本格的に進んだところでは飛躍がおこっている

 四つに、道府県議選などで、残念ながら全体として後退したわけですが、前進・躍進したところがあります。日本共産党と無党派の人々との共同が本格的にすすんだところでは、われわれの予想をこえる躍進・飛躍がおこっている。

 たとえば徳島県では、県議二名から四名に倍増しました。昨年四月に大田民主県政がつくられ、それを自民・公明が不信任をするわけです。この不信任にたいして大田知事が敢然として再立候補をする。そして日本共産党は知事をささえる与党として、知事の姿勢を支持してともにたたかう。多くの市民のみなさん、無党派のみなさんとも協力してたたかうという流れがつくられるなかで、共産党の躍進がつくられました。徳島県には、私も応援に行きましたけれども、大田前知事は私と一緒に宣伝カーで並んで、日本共産党が立候補している選挙区名を全部そらんじてあげて、全員の必勝をということを熱烈に訴えてくれました。これは大きな感動をよびました。

 長野県でも、田中知事のもとで県政改革がすすんでいる。そういうなかで、前回五名当選だったのが、今回は七名の当選となりました。県政改革で果たしている日本共産党県議団の役割が、広い県民に支持されたのです。

 これは徳島と長野だけの特殊な現象ではないと、私は思います。徳島と長野でとりくまれている県政改革の方向というのは、巨大開発の無駄遣いをやめて福祉とくらしにまわすという改革です。さらに公共事業の中身も、浪費型の巨大開発をやめて、徳島の大田知事が「緑の公共事業」とよんでいるような環境型・福祉型にかえていこうという改革です。これはまさにわが党が、全国各地で、「自治体とはこうあるべき」として主張してきている改革の方向なのです。

 ですからこれらの自治体での変化と、わが党の前進は、特殊なものではない。「オール与党」政治には未来がない。自民党型の自治体には未来がない。これは崩れていくものである。それにかわって希望ある流れが広がらざるを得ない。このことをしめすものです。わが党がかかげている「逆立ち政治の転換」という主張は、現実を動かす道理ある主張であるということをしめすものです。

 全国のたたかいから、このような教訓がえられるということを、常幹声明ではのべています。残念ながら議席は後退したけれども、こういう「反転攻勢」の足がかりを得た。ここに確信をもち、教訓を生かし、後半戦では必ず勝利しようではないかということが、常幹声明の訴えであります。

東京ではどうか――都議補選・再選挙では全国と同じ傾向があらわれている

 全国ではそういう状況だったのですが、それでは東京ではどうか。さきほど二〇〇一年の参議院選挙でえた得票の四百三十三万票の水準からみてどうかが問われるということをのべました。

 都知事選の結果を見ますと、二〇〇一年の参議院比例票で東京で獲得した得票は五十四万六千七十三票であるのにたいして、若林票は三十六万四千七票です。これは残念ながら及んでいません。なぜ都知事選でそういう結果にとどまったかについては、あとでのべたいと思います。

 しかし私が、ぜひ注目してほしいのは、都知事選と同時におこなわれた大田区と文京区の都議補選、都議再選挙です。この結果をみますと、全国と同じような傾向が東京でもあらわれているということが、たいへんに重要です。

 大田区では、二年前の参議院比例票が三万五百六十五票だったのにたいして、今度の都議補選で得た票は三万八千九百十七票と、127%に増やしました。文京区については参議院比例票が一万七百九十四票だったのにたいして、今度の都議再選挙で得た票は二万五千四百十九票と、何と235%です。文京区では、あと一歩で小竹さん返り咲きというところまでいったわけです。

 ですから同時にたたかわれた党派選挙、議員選挙では、全国であらわれたのと同じ傾向が、東京でもあらわれていると、はっきり言えるのではないか。すなわち押し戻された二〇〇一年の参議院選挙の水準からの「反転攻勢」の一歩がここにあらわれているということが、はっきり言えると思います。

 このように、全国でも、東京でも、前半戦のたたかいを通じて「反転攻勢」の足がかりを私たちはつかむことができた。後半戦ではここに確信をもって、今度は足がかりにとどまらないで、現有議席を必ず確保し、前進をかちとるという結果に、必ず実らせようではないかということを、私は訴えたいのであります。(拍手)

都知事選挙の結果をどうみるのか

 さて第三に、それでは都知事選挙の結果をどう見るのかという問題です。この問題では、二つの点を私は強調したいのです。

石原候補の三百八万票――ここには自民党政治の深刻な危機のあらわれがある

 その一つは、石原候補が獲得した三百八万票をどう見るかという問題です。これはたしかに大量得票ですが、私は、ここには実は自民党政治の深刻な危機があらわれているということを、よく見る必要があると考えています。

 まずこれは決して自民党政治にたいする支持ではありません。石原候補は、自民党の推薦を受けないということを売り物にしたわけですから。

 またこれは石原都政のもとでおこなわれてきた福祉切り捨て政治への支持でもありません。石原候補は、この問題については論戦を避け、まったくの反論不能におちいったわけですから。「福祉は我慢してください。痛みにたえる一票は私に」と、石原候補が訴えたわけではありません。(笑い)

 さらに石原知事がくり返してきた戦争賛美発言、憲法否定発言、タカ派発言などの政治姿勢が支持されたと単純にみることもただしくありません。イラク戦争の問題でも、石原候補は、あれだけイラク戦争賛成の明確な発言をしながら、「戦争賛成と言った覚えはない」とごまかし続けたわけですから。石原氏が、異常なタカ派の政治家であることは明瞭ですが、彼はタカの爪(つめ)を隠して選挙をやりすごす作戦をとったわけで、タカ派を正面から売り込んで選挙をやったわけではない。

 それでは石原候補が訴えたのは何だったのか。彼がもっぱら訴えたのは、「国とたたかう」というスローガンでした。イメージとしてマスコミが流したのもこのスローガンでした。石原知事がやった仕事として何度もテレビで流されたのは、ディーゼル規制と大銀行への課税でしょう。まさにこれが石原都政がとりくんだ主な仕事であるかのように、大々的に流されました。

 この二つの問題は、もともと日本共産党が先駆的に提案したものでした。石原都政のなかでごく一部のまともな部分で、日本共産党も賛成したものでした。ところが、これが石原都政の姿のすべてであるかのようにマスコミは描いた。石原候補も、マスコミを利用しながら、「国とたたかう知事」だということを最大の売り物にして、このスローガンを連呼したわけです。

 私たちは、このスローガンは偽りだということを正面から批判しました。「国とたたかう」と言いながら、国がすすめている福祉切り捨てを一番冷酷にやっているのは石原知事ではないか。「国とたたかう」と言いながら、小泉首相のイラク戦争支持と同じ立場にたっているではないか。「国とたたかう」と言いながら、医療費値上げについても当然だといっているではないか。肝心なところは、「国とたたかう」どころか、「国いいなり」ではないか。私たちは、きびしく批判しました。しかし、それを全都民的な規模で浸透させるには、力が及ばす、時間も足らなかったというのが、今度の選挙でした。

 そういう状況のもとで、「国とたたかう」という偽りの「対立軸」への期待が集まったというのが、都知事選の結果の真相だと思います。

 石原都政の実態というのは、自民党型都政そのものです。その知事が自民党政治を「批判」してみせる。むしろ「批判」を唯一の売り物にしている。そうしなければ都民の支持が得られない。私はここには、自民党政治の危機の深さがあらわれていると思います。ここをよく見る必要があると思います。

 これはある意味では、かつての「小泉ブーム」と似たところがあります。「自民党をぶっこわす」と小泉首相が言った。その実態は従来の自民党政治をもっと悪くする政治であるにもかかわらず、「自民党をぶっこわす」と言って期待を集めた。これもやはり、そこまで自己否定をしなければ国民の支持をつなぎとめておけないという自民党政治の危機の深さの産物でした。石原知事も同じです。「国とたたかう」と言わなければ、支持をつなぎとめておけない。これは自民党政治が、もはや東京では通用しなくなっていることのあらわれです。

 これは、かつての知事選挙とは、ずいぶん様相が違うのです。かつての知事選といいますと、「中央とのパイプがあります」とか、「中央から予算をとってきます」というようなことが、売り物になったものでした。しかしもはや、そんなものはとてもではないけれども受け入れられない。ポーズだけでも「中央政治」の「批判」をしなければ、選挙にならない。私は、石原氏の得た三百八万票というのは、そういう意味では、自民党政治の危機の所産と見るべきだと思います。

 もちろん石原知事の異常なタカ派的政治姿勢の危険性は過小評価できません。しかし、三百八万票という数字を見て、東京ではとんでもない反動的流れがおこって、都民全体がタカ派一色で染めあげられてしまった(笑い)、こう見るのは間違いだと私は思います。むしろ、いま言ったように危機の産物として、とらえる必要がある。これは深い矛盾をはらんでいる事態です。私たちのとりくみいかんでは、石原氏を支持した人々もふくめて、広い都民のなかで日本共産党の支持を広げることは、おおいにできるということを、強調したいと思うのであります。

 残念ながら今度の選挙ではテレビ討論がやられませんでした。石原氏は、直前まで立候補宣言もしない。真の争点が都民に知らされないようにする暗闇選挙でした。テレビ討論がやられたら、私はたいへんおもしろい場面が間違いなく展開したと思います。若林さんは、「早くテレビがないかな」とつねに心待ちにしていたのですから(笑い)。テレビ討論がやられたら、私はことの白黒が相当わかったと思います。

 しかし、テレビ討論はやらない。論争からは逃げまわる。そういうなかで、期間も短いなかで、みなさんの奮闘はあったけれども、東京の一千万人は広大ですから、浸透しきれないで投票になった。そういう選挙での過渡的な結果が、今度の知事選の得票の結果だと思います。

 ですから、そういう難しい選挙で、若林さんが日本共産党公認候補として、堂々とたたかいぬき、三十六万票を得たというのは、誇りに思っていいのではないかと、私は考えるものであります。(拍手)

 三百八万票という数字は何ら恐れる必要はない。むしろ現状批判の声が屈折してあらわれているものです。われわれのとりくみいかんでは、いくらでも日本共産党の支持を、そのなかからも得ることができる。それが実体なのだということを、私たちはしっかりつかんで、後半戦に立ち向かう必要があります。

知事を選ぶ首長選挙と、議員を選ぶ党派選挙は、性格が違う別個のたたかい

 いま一つ、都知事選とのかかわりで強調したいことは、知事を選ぶ首長選挙と、議員を選ぶ党派選挙は、まったく性格の違う、別個のたたかいであるということです。

 さきほど私は、大田区と文京区でたたかわれた都議補選・再選挙の結果について、一昨年の参議院比例票との関係でどうだったかという話をいたしました。

 今度は角度を変えて、都知事選挙の得票と大田区、文京区の選挙の得票の比較をするとどうなるか。まったく違った様相があらわれてきます。大田区では、若林さんが都知事選でえた得票は一万八千六百九十三票です。都議補選でえた得票は三万八千九百十七票です。208%の票を得ているわけです。文京区では、都知事選でえた得票が六千六百十七票にたいして、都議再選挙でえた得票は二万五千四百十九票ですから、何と384%の票を得ているわけです。

 今回の都知事選挙で、日本共産党は公認候補の若林さんを擁立してたたかったわけですが、若林さんは日本共産党という政党を支持してくれと訴えたわけではないのです。政党選択を訴えたわけではないのです。つまり、これはあくまでも党派選挙ではなく、首長選挙としての性格をもった選挙でした。

 東京で、党派選挙がこの時期に並行しておこなわれたのは、大田区と文京区だけだったわけです。この大田区と文京区では、まさに政党選択の選挙がおこなわれたわけですが、ここではまったく違った結果が出るわけです。

 これは選挙の性格が、まったく違うことからきています。首長を選ぶ知事選というのは固有の政治力学が働きます。さきほど言ったような石原氏の偽りのスローガンが大量に流布されたこともあって、まったく違った力学が働く。同時にたたかわれた党派選挙では、まったく違った結果がでて、日本共産党は得票を大きくのばしている。性格が違う選挙なのだということを、しっかりつかむ必要があります。

 ただ、同時に強調しておきたいのは、選挙の性格、結果の出方は違うのですけれども、都知事選で日本共産党公認の候補への支持を訴えた、日本共産党としておおいに対話をくりひろげたことは、後半戦に生きてくるということです。

 都知事選の結果についても、以上のようなことをしっかりととらえて、意気高く後半戦にたちむかいたい。石原知事の三百八万票は、決して恐れる必要はない。党派選挙は、都知事選とはまったく様相と性格が違った選挙となり、おおいに日本共産党を勝利させるチャンスはある。ここをしっかりとらえて、後半戦のたたかいにのぞもうではないかということを、みなさんに呼びかけたいと思うのであります。全都民的に日本共産党支持の訴えを広げに広げて、勝利をつかもうではありませんか。(拍手)

後半戦で勝利をつかむうえで―二つの重要な問題について

 最後に、後半戦で勝利をつかむうえで重要だと考えることを、二つの点にしぼってのべておきたいと思います。

有権者にたいする働きかけの総量を増やす――とくに全有権者規模の対話の重要性

 第一は、有権者にたいする私たちの働きかけの総量を増やすということです。

 前半戦の全国の結果を分析すると、そこには、私たちの指導と活動の弱点もあります。全体の選挙戦の総括は、前半戦と後半戦が終わったところでしっかりやりたいと思いますが、ただちに後半戦に生かすべき教訓としては、宣伝と対話の総量が足りなかったという問題があるのです。ここが前半戦では十分とはいえなかった。

 たとえば対話をとりますと、四年前のいっせい地方選挙に比べて、全国的には75%にとどまりました。この間、「対面での対話」を重視しようということを呼びかけ、そのとりくみが全国ですすめられました。これは非常に重要な意義をもつ提起であって、これからも人と人との生きた人間としてのつながりを大事にした対話の活動は、おおいに発展させる必要があります。

 同時に、今度の選挙では電話もふくむあらゆる手段を使って、全有権者を対象にしてダイナミックに対話活動を発展させるという点では、指導と活動が十分とは言えませんでした。この活動も重視して、おおいにやろうということでとりくみましたが、全有権者規模での対話ということを見ますと、さきほど言いましたように到達点は四年前の75%なのです。この私たちのとりくみの不十分さが、議席と得票の結果にも反映したことは、否定できないことです。

 この教訓は、後半戦に必ず生かしたいと思います。まだ二週間近くあるわけですから、文字通り全有権者規模での宣伝と対話のダイナミックな飛躍が勝利にとって不可欠であるということを、前半戦からの教訓として引き出して、後半戦に生かそうではありませんか。

論戦の問題――住民の切実な要求から出発した身近な問題を中心にすえる

 第二は、論戦の問題です。前半戦は、イラク戦争が激しくたたかわれるなかでの選挙でした。日々、民間人の犠牲者が増えるという痛ましい事態が伝えられる状況のもとでの選挙でした。ですから平和の問題を、くらしや地方政治の問題とあわせて、正面から訴えたことは重要な意義があったと思います。もしわが党が、この重大な国際情勢のもとで、イラク戦争の問題についての正面からの訴えを欠いたら、それこそ歴史にたいする責任が問われたと思います。

 とりわけ都知事選というのは、国政に直接影響を与える選挙です。国際的にも影響を与える選挙です。そういう選挙で、「東京から平和の声を発信しよう」という訴えをやったことの意義は、私は大きなものがあったと思います。ですから前半戦で私たちが訴えた論戦の基本は、道理もあり、情勢にもかない、正確なものであった。ここにはしっかり確信をもつ必要があると思います。

 ただ後半戦は、同じ調子の論戦というわけにはいきません。市区町村の選挙では、住民にとって身近な問題を、訴えの中心にすえることがますます重要となってきます。都知事選と市区町村選挙では、住民にとっての身近さがずっと違ってきます。たとえば、介護保険にしても運営主体は市区町村です。国民健康保険も運営主体は市区町村です。保育所も運営主体は市区町村です。小中学校も市区町村立です。ゴミの収集だって市区町村の責任範囲です。こうした身近な問題が、みんな市区町村の問題なのです。

 ですから、後半戦の訴えの中心は、それぞれの自治体で、住民の要求から出発して、身近で切実な問題というのはいったい何なのか。そういう問題で行政の側の対応にはどういう問題点があるのか。党がどういう役割を果たしているのか。また党はどういう実績があるのか。そういう身近な要求から出発した訴えが、後半戦の論戦の中心になるということを、とくに強調したいと思います。

 そのなかで、自治体の現状の批判・告発とあわせて、党の実績を訴えることも大切です。この点では二月八日の武道館の演説で、不破議長が、東京の市区町村段階で党が実現した四つの実績ということをのべましたでしょう。乳幼児医療費の無料化、「ボロボロ校舎」の改善、介護保険の減免・軽減、五千四百八十五億円のムダ遣いの開発の凍結――この四つの実績をあげましたけれども、これもすべてが市区町村段階の実績なのです。後半戦では、そういうこともふくめて、身近な問題を前面に立てた選挙戦がうんと大事になります。論戦のトーンをそういうものにしていく必要があります。

 もちろんそういうなかで、わが党の押し出しとして、イラク問題をはじめとする平和の問題や、医療費の値上げなどの国政問題についても、情勢の発展にそくして、また必要で可能な範囲で、語っていくことが大切であることはいうまでもありません。

東京都党組織の底力を発揮して、必ず勝利をつかもう

 前半戦のたたかいで、全国的に議席を減らしたのは残念なことでした。しかし、残念な結果のなかからも、前進の足がかりになるものを、「科学の目」でつかみだして、そこに依拠してつぎのたたかいにたちむかってこそ、変革の党――日本共産党といえます。私たちの弱点についても、すぐにつぎのたたかいの教訓として生かすべき教訓は、はっきりとひきだして、勇気をもって改善してこそ、日本共産党といえます。そういうたたかいを後半戦では、みんなで力をあわせてやりぬきたいと思います。

 後半戦は二千三百十人の候補者を全国で擁してたたかいます。そのなかでも東京のたたかいは重要な意義をもつたたかいになります。東京都党組織は、全国最大の党組織です。この底力を発揮すれば、二週間にそうとうのことをやれるはずです。

 ぜひみなさんが、「東京の底力ここにあり」という力を発揮して、後半戦の市区町村選挙で、全員必勝のためにがんばりぬいていただきたい。私たち中央委員会も心を一つにしてがんばりぬく決意を最後に申し上げまして、私の報告といたします。ともにがんばりましょう。(拍手)




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