2002年1月5日(土)「しんぶん赤旗」

激動の時代の本流にたち
党の真価発揮、「大運動」成功を

党旗びらきでの志位委員長のあいさつ


 四日の「二〇〇二年党旗びらき」で、日本共産党の志位和夫委員長がおこなったあいさつは次の通りです。


 党本部のみなさん、CS通信をごらんの全国の党支部、党機関の同志のみなさん、二〇〇二年、新年あけましておめでとうございます。

 二十一世紀に入っての、二年目のこの年は、世界でも日本でも大きな歴史的激動のもとで幕をあけました。

 私は、激動の時代には、何が歴史の本流で、何が逆流なのかを、しっかり見きわめることが大切だと思います。

 一断面だけでみますと、逆流が猛威をふるい、本流が見えにくくなることもあります。しかし、歴史の大きな流れの中でみれば、何が本流で、何が逆流かは、明りょうとなってきます。

 そうした立場で、いくつかの問題を考えてみたいと思います。

報復戦争で犠牲となったものは何か−−罪なき人々の命、平和のルール

 世界では、同時多発テロと、報復戦争が起こりました。

 アフガニスタンにたいするアメリカの報復戦争は、ある人が「疲れ切ったアリ数匹にたいし、勢い盛んな象数千頭で襲いかかったような戦争」と形容したような、米軍の圧倒的な軍事力を世界に見せつけるものとなりました。

 報復戦争の結果、タリバン支配は崩壊し、暫定政権が樹立されました。タリバンの圧政の崩壊を喜ぶ人々の声も伝えられていますが、戦争による犠牲がはかりしれないものであることも事実であります。

 この報復戦争によって、犠牲となったものは何でしょうか。

 第一は、数千人におよぶ、罪のないアフガンの市民の命であります。アメリカのある研究者が綿密な試算をしていますが、それによりますと、空爆の犠牲となった市民の数は、昨年十二月六日までに少なくとも三千七百六十七人にもおよぶとされ、その後も市民の犠牲は増え続けています。

 現地のカブールに入った「しんぶん赤旗」の竹下岳特派員から、きのう私に、こういう電話での報告がありました。

 「空爆によって家族を失った人たちは、深い悲しみで心を病んでおり、一家の働き手を失ったことで経済的困難に直面しています。そして共通してこう訴えています。『アメリカはきちんと謝罪し補償をすべきだ』」。

 このアフガンの人々の訴えは、あまりにも当然で、また最小限の要求ではないでしょうか。

 第二に、犠牲とされたのは、国際社会の平和のルールであります。米軍の報復戦争は、世界の平和秩序――戦争の違法化、国際紛争の平和的解決、民族自決権の尊重、国際テロにたいする法と理性による解決など、二十世紀に人類が二つの世界大戦をはじめとする甚大な犠牲をへてかちとった世界の平和秩序を、乱暴に傷つけ、壊すものとなりました。

 「テロへの対抗」を看板にすれば、何でも許されるかのような無法が、いま世界に持ち込まれつつあります。

 いったいどれだけの民間人の犠牲者があったのか、国際法と平和のルールのどのような侵害がおこなわれたのか――私は、そのことをいま検証し、責任を明らかにし、教訓を引き出すことが、国際社会に強く求められていると考えるものであります。

戦争の拡大−−「テロへの対抗」を看板にした新しい覇権主義を許してはならない

 それでは、これだけの犠牲を払って肝心のテロは根絶されたでしょうか。ビンラディンの消息は依然として不明です。ビンラディンが逮捕されたとしても、世界に広がったテロ組織のネットワークを戦争で破壊することは不可能です。ところが、アフガンでの戦争の「勝利」に酔いしれたアメリカは、世界中に戦争を拡大することを公言しています。

 私は、昨年末おこなわれたブッシュ大統領の二つの重大な言明に注目しました。

 一つは、昨年十二月二十一日にロイター通信などとのインタビューで、ブッシュ大統領が、「二〇〇二年は戦争の年になる」という物騒で不吉な宣言をしたということであります。テロ組織は、世界に散らばっている。だから、「二〇〇二年はほかの場所でも捕そくを続けるので、戦争の一年になるだろう」というのであります。

 もう一つの重大な言明は、ブッシュ大統領が昨年十二月十一日におこなった演説で、「核兵器や生物・化学兵器をテロリストに提供する可能性の高い国」は「ならず者国家」であり、このような国は「責任を取らされるだろう」とのべたことです。

 「ならず者国家」とアメリカが一方的に決めつけ、これを「脅威」とみなして軍事攻撃の対象にする。この戦略はクリントン政権のもとで一時期、手直しを余儀なくされ、「ならず者国家」という言葉自体が放棄され、「懸念国家」という言葉に置きかえられたことがありました。ブッシュ大統領が、これを公然と復活させ、攻撃対象となりうるとのべたことは、きわめて重大であります。

 いったい、どこに、戦争を拡大しようというのか。イラク、ソマリア、スーダンなど、さまざまな国ぐにがあげられていますが、アメリカが一方的に「テロリストをかくまっている国」、「大量破壊兵器を開発している国」と決めつければ、一方的に軍事攻撃をおこなう――こんな無法は許されるものではありません。

 「テロへの対抗」を看板にした新しい覇権主義が、いま世界に横行しようとしています。これを絶対に許すわけにはいきません。今年を「戦争の年」にさせてはなりません。私は、今年を「平和にむかう年」とするための国際的な連帯を、心から呼びかけたいと思うのであります。

世界史の逆流と、その追随者に未来はない

 無差別に市民を殺りくした同時多発テロは、人類文明を否定する、最悪の歴史の逆流でありました。しかし、それにたいして報復戦争に訴えたことも、歴史の大きな流れにてらしてみれば、二十世紀に人類がかちとった世界の平和秩序の流れにさからう、逆流にほかなりません。

 私は、だいたい、アメリカが戦争の拡大を公言しなければならなくなったということ自体が、報復戦争という道を選択したことの一つの帰結であると思います。

 報復戦争という道にあくまで固執するならば、戦争ははてしなく拡大し、終わりはなくなります。それは、新しい憎しみを生み、テロの温床を拡大する結果となるでしょう。すでに、NATO(北大西洋条約機構)諸国からさえ、戦争の拡大にたいしては厳しい批判の声が集中しているように、アメリカの国際的孤立は避けられなくなるでしょう。私はここに、報復戦争という道のはらんでいる深刻な自己矛盾、自己破たんがあると思います。世界の平和秩序にさからう逆流には決して未来はありません。

 いま日本に問われているのは、こうした逆流へのみじめな追随者の道をつづけていいのか、という問題です。

 年末に『ニューズウィーク』の日本語版が、「属国ニッポン アメリカ追従の『思考停止』から抜け出せるか」という特集を組みました。そこでは、「日本の外交官は、アメリカとの間に波風が立たないようにすることに五〇年間を費やし、他の地域のことはなおざりにしてきた」「より自立した外交姿勢を示さないかぎり、他国の尊敬は得られない」とのべています。立場は、私たちと違いますが、「属国ニッポン」への痛烈な批判として、興味深く読みました。

 「国旗と顔の見える支援を」――アメリカのアーミテージ国務副長官にいわれて、まさに「思考停止」のまま、憲法を破壊して海外派兵に走った日本。イギリスも含め他の同盟国さえ、イラクなどへの戦争拡大に反対しているのに、主要国のなかで唯一、アメリカとの間にわずかな「波風」ひとつたてようとしない日本。いま、こういう日本からの脱却がもとめられているのではないでしょうか。

 日本共産党は、この国際危機にさいして、二度にわたって各国政府に書簡をおくり、報復戦争でなく、国際法にもとづく制裁と裁きによる解決を訴えました。パキスタンに調査団を派遣し、飢餓と戦禍に苦しむアフガンの人びとの現状を世界と日本に訴えました。こうした人類の理性にそくした平和への努力をおこなうことこそ、憲法九条をもつ日本の責務であり、ここにこそ世界史の本流にたって二十一世紀に日本が生きる道があるということを、私たちは確信するものであります。

小泉内閣−−「ゆきづまりの産物」が、ゆきづまりつつある

 国内政治では、昨年四月に小泉内閣が発足し、「小泉旋風」といわれた政治的突風が吹き荒れました。あたかもこの流れこそ、日本を根底から変える未来ある流れであるかのような錯覚が、ひろくばらまかれました。

 しかし私は、自民党の総裁自身が「自民党をぶっこわす」と、言葉のうえだけでも過激な「自己否定」を公約にしなければならないという、そのこと自体のなかに、自民党政治のゆきづまりが、一つの歴史的な限界点に達していることが示されていると思います。まさに自民党政治の「ゆきづまりの産物」として生まれたのが、小泉内閣であります。

 現在の特徴は、その「ゆきづまりの産物」としての小泉内閣が、ゆきづまりをあらわにしつつあるというところにあります。

 内閣発足から八カ月たったいま、小泉内閣への支持率はなお六割台から七割台と高いものがあります。しかし、NHKが昨年十二月におこなった世論調査では、医療での健保本人負担を二割から三割に引き上げるなどの政府・与党案にたいして、「評価しない」と答えた人は61%で、「評価する」と答えた30%を大きく上回りました。医療にたいする不安は非常に深いものがあります。また、住宅金融公庫を五年以内に廃止する政府の方針についても、「反対」が46%で、「賛成」の36%を上回りました。

 内閣支持率を一般的に問えば、まだそれは高く出るわけですが、その内容は「空洞化」しつつあるのが現状ではないでしょうか。

 いま私たちは「大運動」に取り組んでいます。そこで国民との対話がさまざまにおこなわれていますけれども、具体的に、医療の問題、リストラの問題、中小企業の経営の問題、切実な話題から入ると、どこでも対話がはずみ、そして党の値打ちが浮き彫りになってくるという報告が、全国で共通しています。

 自民党の総裁が、「自民党をぶっこわす」と叫び、パフォーマンスだけに頼って、古い流れをあたかも未来ある流れであるかのようにいつわる、綱渡りのような曲芸は、決して長くは続くものではない、こう私は考えるものであります。

体験したことのない経済危機へのかじ取り不能

 小泉・自民党政治のゆきづまりの最も深刻な現れの一つは、経済危機へのかじ取り不能というところにあります。

 いま、日本経済は、景気の悪化と物価の下落が同時に進行する、いわゆる「デフレスパイラル」、「デフレの悪循環」と呼ばれる、戦後の日本でも、他の先進国でも経験したことのない危機的状況に陥りつつあります。未体験、未知の領域に足を踏み入れつつあります。

 このところ、物価下落が続いているわけでありますが、これは決して国民にとってよいことではありません。働く人の所得が減り、所得が減ったことから、消費が減り、社会全体の需要が不足する中で、物価下落という現象が起こっているのであります。

 消費が減れば、企業の生産も減り、企業の生産が減れば、さらに所得が減る。こうして、所得、消費、生産が、連鎖的、らせん状に落ち込んでいることは、これまで見られなかった危機的状況といわねばなりません。

 こういう状況のもとでは、需要を活発にする政策が必要であることは、理の当然です。ただしこれまで自民党政治がやってきたような「悪い需要対策」――「景気対策」と称して浪費型の公共事業の積み増しにばく大な財政支出をおこなうような、破たんが証明ずみの対策でなく、「よい需要対策」――需要の六割を占める家計消費を活発にするために、雇用の確保と拡大、社会保障の充実など、庶民の暮らしから経済をたてなおす方策が必要であります。日本共産党が提案している経済政策は、国民の暮らしにとってだけでなく、日本経済の危機打開の方策としても、唯一の道理ある道なのであります。

 ところが、小泉内閣がすすめる「構造改革」とは、これまでの自民党政治による「悪い需要対策」――浪費型の公共事業の積み増し政策が破たんしたことから、一足飛びに「需要対策」を一般的に否定してしまい、もっぱら大企業の「供給」の力を強めることに熱中するというものです。

 そのために邪魔になる障害はすべて破壊する。これを「創造的破壊」などといっていますが、国民生活には破壊だけがおしつけられる。その中身を具体的に見れば、不況で苦しんでいる中小企業を無理やりつぶす「不良債権の早期最終処理」をすすめる。大企業のリストラを応援するために、持ち株会社づくりから大企業減税までいたれりつくせりをやる。「自立・自助」の名で社会保障の負担増をおしつける「財政構造改革」をすすめる。これが中身です。

 これらは、倒産、失業、負担増となって、どれも庶民の家計に襲いかかり、需要不足をいっそう深刻にする悪循環をつくりだしています。

 ある著名な経済学者が、「小泉改革」を「真っ暗やみで飛び降りるような危険な行為」とのべましたけれど、いますすめられているのは、日本経済をまさに「デフレスパイラル」の「真っ暗やみ」に突き落とす、自殺的な経済政策というほかないものであります。

 しかし、どんなに威勢のいいスローガンを小泉首相が叫んでも、経済の実体の危機的状況は止められません。そのなかで、“右往左往”が始まっている。

 去年の暮れに奇妙なことが起こりました。同じ日に二つの予算案が決定されました。一つは、来年度予算案ですが、ここでは「緊縮財政」と称して公共事業費が一兆円削減されました。ところが同じ日に決定された今年度予算の第二次補正予算案では、公共事業費を二・五兆円積み増す従来型の対策を決めています。一方で一兆円削って、一方で二・五兆円増やす。まさにゆきづまりの果ての“右往左往”、“支離滅裂”にほかなりません。

 私は、この経済危機へのかじ取り不能を見ても、小泉・自民党政治に未来がないことは明りょうだと思います。

 今年を、庶民の暮らしを元気にして経済をたてなおす、私たちの日本改革の提案を大きく対置して、国民的たたかいによってこのまやかしの流れを正面から打ち破る年にしていこうではありませんか。(拍手)

どんなにゆきづまっても、それにかわる担い手が育たなければ政治は変わらない

 ただみなさん、ここで強調したいのは、古い支配勢力がどんなにゆきづまっても、それだけでは新しい政治は生まれないということです。古い政治の担い手に代わって、新しい政治を担う勢力が、主体的な力を大きくしなければ、自動的には政治は変わりません。変革の主体的条件が弱ければ、どんなに古い支配勢力がゆきづまっても、彼らの支配の枠内での延命策によって、生き延びる道を許すことにもなります。

 いま、日本共産党が、あらゆる分野で「たたかいの組織者」としての役割を縦横に発揮して奮闘するとともに、「大運動」に取り組み、党を強く大きくする事業を成功させることの国民的意義は、ここにあります。

 政権党の中枢にいるある人物が、「小泉政治と共産党」についてつぎのようなことをのべていることが伝わってきました。

 「小泉政権が挫折して、自民党保守政権が崩壊するような事態になった場合、いまある政党のなかでやはり恐れるのは日本共産党だ。組織政党として地道に組織を積み上げている共産党の組織と存在に注意をむけないわけにいかない。自民党として日ごろから注意を向けなければならないのは、日本共産党だ」

 小泉政権がやがて挫折するだろうということ、そのときは自民党保守政権そのものの危機であるということ、そしてそのときに一番の「脅威」となるのは日本共産党であること、とくに地道に草の根で結びついていること、それを積み上げていることが、一番の「脅威」であること――相手もなかなかよく見ていると思いました。

 ただしこの人物は、それにつづけて「幸いなことに日本共産党は、まだ国民政党になっていない」、そういうことも付け加えています。

 支配層にとって、私たちの力量が本当の「脅威」とうつるところまで、国民からみれば、ほんとうに「頼もしい党」とうつるところまで、私たちの草の根での国民との結びつきを強めることが、いまの情勢を、主導的に、攻勢的に、前向きに打開する決定的なカギであるということを強調したいのであります。

「大運動」の到達点−−この事業を成功させる条件はおおいにある

 そこで、「大運動」の問題でありますが、三中総が呼びかけた、「党員と読者拡大の大運動」は、十一月、十二月の取り組みを通じて、前進の一歩を開始しました。

 党員拡大は、十二月の入党決意者数が約三千七百人となり、十一月と十二月をあわせた入党決意者数は約五千九百人となりました。私は、新しく同志となったみなさん、かけがえのない人生を、社会進歩の党とともに歩むことを決意されたみなさんに、心からの歓迎のあいさつをおくるものです。(拍手)

 読者拡大では、十二月は、年末最後までの奮闘によって、二千四百十九人の読者を増やしました。三十五の都道府県と、二百六十八の地区委員会で、読者増をかちとりました。十一月、十二月を合計すると、八千二百七人の読者増であります。

 「大運動」が開始された十一月、十二月というのは、全国で都道府県や地区の定期党会議が開催され、年末の財政の課題もあるなど、ある意味では難しい条件もありました。そのなかで、前進の一歩を開始することができたのは、全国のみなさんが、新しい情熱と創意をもって奮闘した結果であります。私は心からの敬意を申しあげるものです。

 とくに、中央と地方、都道府県委員会と地区委員会、地区委員会と支部、あるいは支部相互の間で、“双方向・循環型”で学びあい、互いに心を通わせ、“二十一世紀型の新しい大運動”を編み出そうという探求と実践が各地で進んだことは、たいへん重要であると思います。

 この「大運動」を成功させる条件は大いにある――このことを、二カ月間の生きた経験から、全党の確信にしようではありませんか。

 同時に、運動の前進はまだ端緒であり、それぞれがたてた目標からみれば、それに届かない状況です。十二月をみても、入党を働きかけた支部は、広がりつつありますが、ほぼ二割、読者を増やした支部は、ほぼ五割でした。

いかにして文字通りの全党運動にしていくか−−二つのことについて

 どうやって、「大運動」を、「支部が主役」の文字通りの全党運動にしていくか。その基本の方針は、三中総にあります。しかし、くわしいマニュアルがあるわけではありません。これも、ひきつづく“双方向・循環型”の探求と実践で切り開きたいと思います。

 私は、ここでは、二カ月の取り組みの教訓、そして私たちが全国各地にうかがって、一緒にこの運動に取り組み、感じたことから、二点にしぼってのべたいと思います。

 第一は、やはり「大運動」に取り組む意義を、それぞれの都道府県、地区委員会、支部の政治任務とのかかわりで明らかにして、それにふさわしい目標と計画をたて、自覚的に足を踏み出す――「自分たちの大運動」にしていくということであります。これがひきつづき、私は、要(かなめ)のなかの要だと考えます。

 三中総が呼びかけた「たたかいの組織者」になろうという提起を受けて、多くの職場支部が活力を発揮しています。職場を変えるためにも強い党をという取り組みが、全国各地で広がっていることは、たいへんうれしいことです。

 職場支部が多くを占める神奈川県の川崎南部地区委員会では、リストラとのたたかいで、「ここで怒らなかったら共産党ではない」と立ち上がって、労働者の権利を守るためにも職場に大きな党が必要だ、ということがみんなの共通の自覚になり、党勢拡大に取り組む支部が大きく広がり、十二月には八割を超える支部が成果をあげています。

 職場でも、居住でも、学園でも、それぞれが責任を負っているところで、国民のたたかいのよりどころになる党、国民の多数者を結集する党、そして民主的政権を担いうる党をつくる、こうした大志を持って運動を自覚的に発展させようではありませんか。

 第二は、「量とともに質を」という見地を一貫してつらぬくことです。

 入党運動を本格的に発展させようと思ったら、入党決意者のみなさんにたいする審査と承認、教育の援助はもちろんですけれども、支部生活そのものを「入党してよかった」と心から思えるようなものに改善していく仕事を、同時並行ですすめることが不可欠です。

 とくに、週一回の支部会議の定例化が、全党的に二割しかおこなわれていないのは、党活動の最大の弱点の一つであり、この弱点の克服は困難があるからと妥協してはならないことだと思います。

 一週間は七日、時間になおすと百六十八時間です。そのなかのだいたい二時間ぐらいの時間を同志とともに過ごす会議にあてる。それは、その気になればできないことではないと思います。党員の生きるよりどころ、心のよりどころとなる温かい人間集団としての支部を、週一回の支部会議を軸に建設することは、一つひとつは小さいようにみえても、やりがいのある大事業ではないでしょうか。私は、これが大勢になれば、党が生まれ変わったような力を発揮することが必ずできると思います。「大運動」の取り組みのなかで、ぜひ全党にこれを定着させようではありませんか。

 読者拡大でも、これを末広がりに発展させようと思えば、支部が読者のみなさんにたいする配達・集金に責任をもつことはもちろん、読者との関係でも温かい人間的な結びつき、人間的なネットワークをつくることが大切だと思います。十二月の取り組みでも、長期にわたる未集金などによる後退もあったことも直視し、改善をはかりたいと思います。

 紙面の魅力と、人間的な結びつき――この両面で「読者になってよかった」、そう実感をもってもらえるような党活動の改善をぜひはかりたいと思います。

 みなさん、十一月、十二月の「大運動」の取り組みから、確信と教訓を引き出し、この一月は、月初めから目標を本気でやりあげていく大きな波をつくり出し、その波を二月、三月、四月と末広がりに発展させ、「大運動」の目標の総達成を必ずかちとろうではありませんか。(拍手)

党創立80周年−−党の新たな躍進をかならず

 今年は、党を創立してから八十周年の記念すべき年であります。わが党の歴史の誇りは、なによりも、平和、民主主義、自主・独立など、社会進歩の促進の立場に立った正確な政治路線と、それにもとづく不屈の闘争のなかにあります。

 同時に、その路線を現実のものとするために、全国津々浦々に、草の根で国民と結びついた、党組織のネットワークをつくりあげたことも、他党の追随を許さない、わが党の歴史の誇るべき伝統であります。

 この記念すべき年に、わが党が、激動の時代の本流に立つ党としての真価を、政治的にも理論的にも大いに輝かせるとともに、「大運動」を必ず成功させ、つぎの政治戦では必ず勝利者となることを誓い合って、年頭にあたってのごあいさつといたします。(拍手)