2001年8月8日(水)「しんぶん赤旗」

党国会議員団総会での志位委員長のあいさつ

(大要)


 日本共産党の志位和夫委員長が、七日の党国会議員団総会でおこなったあいさつ(大要)はつぎのとおりです。


後の政治的検証にたえうる奮闘をやったかどうかが肝心

 みなさん、参院選挙ごくろうさまでした。

 私はまず、この場をお借りして、ご支持をいただいた有権者のみなさん、猛暑の中で奮闘をしていただいた全国の党員、後援会員、支持者のみなさんに、心からお礼を申し上げたいと思います。(拍手)

 それから、再選をはたした東京の緒方靖夫さん、比例代表選挙の筆坂秀世さん、吉川春子さん、そして新しく議席をえた紙智子さん、井上哲士さん、心から歓迎を申しあげるものです。(拍手)

 今度の選挙は、「小泉旋風」という、私たちが体験したことのない政治的な突風の中でのたたかいでした。この「旋風」というのは、私たちの前進にとってたいへん大きな圧力になって作用しました。

 結果は、残念ながら、議席の後退ということになりました。その教訓については、今度の中央委員会総会で、党内外のみなさんの声も聞きながら、しっかりとした総括をおこないたいと考えています。

 ただ、今度のような「旋風」が吹き荒れた選挙を総括するうえで、なによりも大事なことは、後からこれが試されるときに、後の政治的検証にたえうるようなたたかいをわが党がやったかどうか、これがなによりも一番肝心な点だと思います。

 今度の選挙で、小泉政治に対して、勇気をもって正面から対決し、そして政治、経済あらゆる面で、「国民が主人公」の日本改革の展望を、どの分野でも堂々とさししめした政党は、日本共産党しかありませんでした。この政治的立場を貫いたことは、今後の政治の展開に必ず生きて働くということに確信をもって、つぎのたたかいにのぞみたいと思います。

経済悪化に打つ手なし――日本共産党の主張は生きて力を発揮する

 当面のいくつかの問題についてふれますと、まず、経済の問題ですが、選挙後、経済関係の指標があいついで出ました。個人消費、失業、倒産、どれをとっても、戦後最悪の事態がどんどんすすんでいます。「小泉不況」ということがいわれています。しかし、こういう深刻な事態になっても、いまの政権はまったく打つ手なしなのです。

 九〇年代に自民党政治がとってきた「景気対策」というのは、主に、二つの手段しかありませんでした。一つは、ゼネコン向けの公共事業積み増し。もう一つは、大銀行をうるおす金融緩和。だいたいこの二つしか政策手段をもってこなかったわけですが、両方ともいまはもう役に立たない。これは本人たちも認めざるをえないところまできています。そしていま彼らが“連呼”しているのは「構造改革」です。

 しかし、この「構造改革」を強行すれば、大倒産、大失業を招き、日本経済もたいへん深刻な悪化の悪循環に陥れてしまうというのは、すでに広く明らかになっています。このことは、「構造改革」推進論の側からも、「構造改革」一本やりではもう日本経済はダメだという声がたくさんあがっていることにも示されています。

 これまで自民党政治が、大企業中心でやってきたやり方がもう役に立たなくなって、いよいよ行き詰まって、打つ手なしになっているというのが、現状だと思います。

 私たちが選挙中に主張したのは、その転換です。大銀行、ゼネコン応援から、国民の暮らしを応援し、家計を応援する方向に転換しようではないか、そのために消費税の減税をおこない、雇用の拡大にとりくもうという、この大きな転換を主張したわけですが、この転換こそが、日本経済を救う唯一の道だということは、私は、経済の実際の進展、国民の要望、そのなかでおのずと今後生きて働く力を発揮すると確信するものです。

靖国参拝、教科書問題――従来の政府の公式な立場もくつがえすもの

 外交の問題についていいますと、小泉外交が“アメリカいいなり”とともに、“アジアそっちのけ”だということが問題になりました。

 とくに、いま一番問題になっているのは、首相の靖国神社参拝の問題と、歴史をゆがめた教科書の問題です。この二つは、ほんとうに出口なき袋小路のような深刻な事態にいま陥っています。

 私が重大だと思うのは、これがともかくもこれまで政府が公式に掲げてきた、戦争に対する立場を覆すものだということです。これまでの歴代政府というのは、あの戦争について、戦争全体の性格を侵略戦争と認めて反省したことはなかったわけですけれど、しかし、九五年の村山談話にあるように、「侵略と植民地支配への反省」まではのべてきました。これが、これまでの公式の政府の立場でした。

 ところがいま起こっていることは、歴史をゆがめる教科書にもあるように、まさに侵略戦争を「正義の戦争」と百八十度わい曲して描き出す、そういう潮流が台頭跋扈(ばっこ)し、そして政府自身がそういう潮流に事実上のお墨付きを与える。そしてみずからも靖国参拝においては同様の立場をとろうという動きです。

 ですから、これまで曲がりなりにも公式にいってきた「侵略への反省」とか、「植民地支配の反省」など、みずからの言明を覆すたいへんなところにきているというのが、いまの状況であります。

 このままいきますと、アジア諸国とも友好の道が断たれるというだけでなく、憲法にしるされた日本の戦後政治の立脚点の全体が崩されるというたいへんなところにきているわけです。

 私たちが選挙中、一貫していってきたように、侵略戦争と植民地支配への反省をきっぱり内外に明らかにする立場で、いま起こっている問題への是正や対処をしっかりはかるということが、唯一の解決の道です。このことが非常に鮮明になってきているし、非常に熱い問題になってきています。

 まもなく八月十五日がやってきますが、それにむけて大いに国会内外でのたたかいをやろうということで、いろいろな計画も組まれています。不破議長も、歴史をゆがめる教科書問題について、三回にわたる論文を執筆していますけど、これは大きな力になるものです。歴史をゆがめる潮流に対する正面からの堂々たる闘争を、われわれはやっていく責任があります。

この十年――自民党の延命作戦と日本共産党の立場

 いま立っている私たちの政治的立場を、長い視野でみてみるとどうでしょう。この十年を振り返ってみますと、私は自民党が、みずからの政治の危機の深まりのなかで、いろいろな延命策をやってきたと思います。この流れのなかで、今度の事態をみることが大事だと思います。

 第一の大きな延命策というのは、一九九三年の「非自民」作戦でした。「非自民」の旋風を起こして、政治の担い手をかえて、自民党政治の延命をはかるという作戦をとったわけです。

 このときに、私たちは、自民も「非自民」も、「自民党政治の継承」という点では、おなじカヤの中に入っている。日本共産党は「カヤの外」といわれたけれども、きたないカヤの中に入らないことが値打ちがあるんだといって、これにくみしないで、堂々とその流れを批判しました。このときは、批判をすると、逆に風圧がわれわれにかかってきて、一九九三年の総選挙では、一九七〇年代以来最低のところまで、得票も議席も落ち込みました。

 しかし、あのときに頑張って正論を主張したことが、逆に「筋をつらぬく党」という評価が、国民的に広がって、一九九六年、九七年、九八年の躍進につながった。これは大きく実りました。

 逆に、あのときに「非自民」の会派を構成した勢力、どういう会派があったか調べてみましたら、八会派ありまして、社会、公明、新生、日本新党、民社、さきがけ、社民連、民改連。ずいぶん懐かしい名前も並んでいますけれども、この中で党として名前を変えないで残っているのは公明党だけで、あとの七つは党名を変えるか、党としてなくなるか、そういう運命をたどりました。こういうものと比較しても、私たちがあのときにとった立場というのは、やはり非常に値打ちがあるものだったと、いま確認できると思います。

 今回の「小泉旋風」を起こした作戦というのは、いうならば自民党自身が「自民党を変える」というわけですから、言葉の上だけではありますけれども、自民党自身が自分で自分を否定する、“自己否定”する作戦なんですね。そういう延命作戦なんですけれども、これは考えてみますと、前回の作戦が、ともかく「自民党政治の継承」というのが旗印だった作戦に比べると、もっと捨て身の作戦といいますか、もっと後がない作戦であり、追い詰められた作戦です。しかし、「自民党を変える」といったって、その政治路線は変えようがないわけで、絶対不可能なことを、言葉の上だけでいって、支持を集めるというのが、今度の作戦でした。

 それだけに、逆にいえばインパクトも強くて、期待も集まった。しかし、それだけに、破たんした際の政治の激動も、非常に大きなものがあると思います。そのときに、日本共産党がこんどの選挙で頑張りぬいて訴えたことの意味あいが、広く国民のなかで、明らかになると思います。

 もちろん、それは自動的な過程ではありません。私たちが力をつくしてこそ、新たな変化をつくれるわけです。今度の後退から、深い教訓を引き出して、どんな突風が吹いても、それにゆるがず前進できる、質量ともに強い党をぜひつくりあげるという決意を新たにしたいと思います。

 そういう決意をもって、総選挙がつぎのたたかいになりますが、つぎの前進への道をみんなの力で切り開こうということを最後にのべましてごあいさつにしたいと思います。ともに頑張りましょう。(拍手)




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