2001年1月 5日(金)「しんぶん赤旗」

21世紀、日本共産党は確かな展望をもって迎えた

党旗びらきでの志位委員長のあいさつ


 四日の「二〇〇一年党旗びらき」で日本共産党の志位和夫委員長がおこなったあいさつ(大要)は次のとおりです。


 きょうは、新しい世紀のはじめての年という、歴史的な年の党旗びらきであります。私は、党本部のみなさん、CS通信をご覧になっている全国の支部と党機関のみなさんに、心からの二十一世紀の新年のごあいさつを申し上げます。二十一世紀、あけましておめでとうございます。

 わが党は、二十一世紀を、昨年十一月に開いた第二十二回党大会の決定という、確かな展望、確かな準備をもって迎えました。これは、森自公保政権と自民党政治が、外交でも、経済でも、あらゆる分野で行き詰まりを深刻にし、まったく無展望にこの世紀を迎えたことと、対照的であります。

 私は、新しい世紀の年頭にあたって、党大会決定によって明らかにされた二十一世紀にのぞむ日本共産党の立場について、いくつかの角度からのべたいと思います。

 

原則を貫きながら、現実政治に柔軟に切り結ぶ党

 まず第一は、わが党が、原則をつらぬきながら、現実政治に柔軟に切り結ぶ党であるということであります。

 マスコミは、わが党の路線をよく、「柔軟・現実路線」と言います。なかには、この「柔軟性」、「現実性」ということと、わが党の綱領路線の原則的な立場が、矛盾するものであるかのような論評もみられます。しかし、原則を貫いてこそ、現実政治に切り結ぶ思い切った柔軟性、弾力性を発揮することができる。この両者はもともと統一したものです。

外交――わが党の道理ある“野党外交”が現実に影響をおよぼしている

 たとえば、外交の問題です。わが党は、日米安保条約を廃棄することを目標とし、そのための国民的多数派を結集することを、綱領的課題の中心に置いている党であります。

 同時に、私たちは、日本の外交を、自主的で道理ある外交に切りかえていく仕事は、安保廃棄まで待つわけにはいかない、そういう立場から、独自の野党外交にとりくみ、アジア諸国をはじめ、世界各国との外交活動で、新しい境地を切り開いてきました。そのことは、党大会の決議にも、大会への多彩な海外代表のみなさんの参加にも、いきいきと反映されました。

 重要なことは、わが党のこうした野党外交が、日本外交にもさまざまな形で現実の影響をおよぼしつつあることです。

 たとえば、「北朝鮮との外交ルートを開くべきだ」という、一昨年の不破委員長(当時)の提言の果たした役割は、たいへん大きなものがありました。この提言にたいして、いろいろな筋から反応が返ってくるわけですが、はじめは、外務省には「外交ルートがもてないのはまずい」という気持ちはありつつも、「共産党にいわれてやるのもどうか」という抵抗感もあったそうです。

 しかし外国からの“打ち返し”があってあわてた。外国というのは、アメリカの国務省と韓国の政府だったそうです。両国から、対北朝鮮外交にしり込みする日本政府の対応にやきもきして、「ライト・ウエイ(当然の道筋)の提起が、国会で共産党からおこなわれているのに」、そういう一言があった。こういう流れのなかで、日朝国交回復交渉を開始する方向に、現実の事態が動きました。

 これは外交で、「ライト・ウエイ」道理の力がいかに大きなものかをしめす象徴的なできごとであると、私は思います。

 なぜ、わが党が現実政治に縦横に切り結ぶ外交が展開できるのか。それは、安保廃棄という目標をしっかりすえた党だからであります。そういう党だからこそ、アメリカの意向に左右されず、自主・独立の外交を展開できるのであります。

 元外交官で東アジアの専門家が、最近、つぎのような声をわが党によせてくれました。「アジア外交と対米外交の関係は、実に表裏一体、密接な関係にある。東アジア諸国ではアメリカの意向に左右されない外交が常識になっている。対米関係を正常化、普通の国なみにしたとき、アジア外交もうまくいくようになる。この太い根幹では、日本共産党の主張は明快だ。二十一世紀に日本をまともな国にするように存分の力を発揮してほしい」。こういう声であります。

 アメリカに堂々ともののいえる党でこそ、アジア外交でも積極的な役割を果たせるという期待がよせられているわけであります。

憲法と自衛隊――22回党大会決定を「平和実現する大きな贈り物」という投書が

 いま一つ、憲法と自衛隊の問題でも、大会決定の立場は、原則を貫くことと、現実政治への柔軟な対応とを統一したものであります。

 わが党は、憲法九条を将来にわたって守り抜くという点で、もっとも確固とした憲法擁護の原則的立場に立つ党であります。いかなる明文改憲はもとより、解釈改憲もゆるさず、九条の完全実施をもとめるただ一つの党が、日本共産党であります。

 そういう党だからこそ、この課題についてせっかちな態度をとらず、現実をふまえて一歩一歩解決する立場を、堂々としめすことができます。

 大会では、現実に違憲の自衛隊が存在し、現実にはまだ国民の多くがそれを必要と考えている、その事実から出発して、国民とともに、国民の合意で、自衛隊問題を段階的に解決する道筋を、全面的に明らかにしました。

 このわが党のアプローチにたいして、内外で多くの注目と共感が広がりました。ある地方紙に、「平和実現する大きな贈り物」と題する投書がのりました。この投書では、わが党の自衛隊政策について注目して、つぎのようにのべています。

 「人間は戦争も生み出したが、それをなくす勇気もある。……日本共産党が日米安保条約をなくしたあと、国民の合意を待って自衛隊を解消し、憲法九条との矛盾を解決するという政策を打ち出した。……勇気と良心を突き付けたものとして歓迎したい。……その政策を遂行する過程で、自衛隊の活用もあるとしたことなど大したことではない。……ローマからの解放の前には納税などにこだわるな、とするイエスの知恵にも似て、現実的で賢明な選択といえよう。こうして自衛隊が解消されるなら、それは二一世紀の世界に軍隊も戦争もない新しい国際秩序を打ち立てる大きな贈り物になろう」

 外交の問題でも、自衛隊の問題でも、どの問題でも、大会が明らかにした方針は、わが党が民主的政権を担ったさいにそのまま通用するものであり、政権への準備そのものであります。どんな分野でも、原則を貫くとともに、常に現状に安住せず、現実政治の進展にそくして、自己改革をはかる勇気と知恵を発揮して、新世紀にのぞもうではありませんか。

 

日本国民の現実と未来に責任をおう「国民の党」

 第二に、わが党が、日本国民全体の現在と未来に責任をおう「国民の党」だということであります。

 大会で改定された新しい規約では、わが党の性格について、「労働者階級の党であると同時に、日本国民の党」とのべています。これは、労働者階級の党としての先進的役割とともに、民主主義、独立、平和、国民生活の向上、そして日本の進歩的未来の探求という国民的課題のもっとも積極的で、徹底的な推進者としての役割を果たすことを、党の基本的性格としているということです。

 大会決定で明らかにしている「日本改革」の提案には、どの分野でも「国民の党」という精神がつらぬかれていることが特徴であります。

日本経済の民主的改革――大会決定の正しさを追認した経企庁文書

 いくつかお話をしたいのですが、たとえば、日本経済の民主的改革の提案もその一つであります。

 大会決定が明らかにしたわが党の経済提言は、ただ国民の切実な要求にこたえた提案であるだけではありません。国民生活全体、日本経済全体の健全な発展に責任をもった政策的提言であります。だからこそ、心ある財界人や経済人からも、注目と共感が広くよせられているのであります。

 その先駆性は異常な大企業中心主義を特徴とする自民党政治の経済政策のゆきづまりと比較しますと、いっそう鮮明になります。

 大会決議では、日本経済が「高度成長」から「低成長」に移行する間に、大きな構造変化をおこしていること、そういうもとで大企業を応援する政治をおこなっても、国民生活の向上にはつながらず、経済全体の発展の道も開かれないという特徴が明りょうになっていることを解明しました。

 昨年末、経済企画庁が発表した「日本経済の現況」と題するリポートがあります。『ミニ経済白書』といわれるものですが、これを読みますと、大会決定を裏付ける興味深い分析を行っています。このリポートではいまの経済の局面を分析して、大企業はバブル経済に近い収益をあげていること、しかし雇用不安、所得の減少、将来不安の増大などで家計消費は極端な冷え込みがつづいていること、こういう事実をしめして、「企業収益が家計にむすびつかない」、こうはっきり指摘しています。そして「企業が収益をあげれば、いずれは家計におよぶという議論はなりたたない」と結論づけました。

 この議論は、いわゆる日銀の「ダム論」といわれた議論で、企業収益という「ダム」に水がいっぱいたまれば、あふれだしてきて家計におよぶという議論でした。前の経済企画庁長官の堺屋さんも、「川上に水がたまれば川下の方におよんでくる」という同じ議論を展開しました。しかし、およぶわけがないのです。川下から吸い上げて川上に水をあげているわけですから。この議論はそういうでたらめな議論だったわけですが、この議論の間違いを政府の公式文書としてはっきり認めました。これを私は、大会決定の正しさを、経済企画庁が追認したものとして、興味深く読みました。

 ただし、診断は正しいのですけれども、処方せんはまったく矛盾しています。来年度予算案を見ても、相変わらず、ゼネコンと大銀行に税金をつぎこみ、大企業のリストラ応援をつづけ、他方で社会保障の連続切り捨てや増税計画などで国民生活を痛めつづけるレールをひた走る。これが特徴です。こういう道では、景気の低迷がつづき、来年度末には六百六十六兆円にもおよぶ巨額の財政赤字が累積するだけだということは、現実が証明していることであります。

 大会決議がのべているように、「国民の暮らしを直接応援する政治」に転換してこそ、日本経済全体のまともな発展も可能になります。経済でも、真に国民的立場にたっている党が日本共産党だということが、こんなに明りょうな時はないということを強調したいのであります。

子どもと教育の問題――大会の提起が広く社会的問題に

 いま一つ、大会決定が、子どもと教育の問題について、「学力の危機」を打開しようという問題提起を行ったことは、大きな反響を呼び起こしました。

 大会後、学力の国際比較の調査が発表され、日本の子どもが「勉強が嫌い」と答えていることが問題となり、マスコミでも、「読売」「日経」「産経」など主要紙が相次いで、「学力の低下」を問題にする社説を発表しました。経済界からも現状を憂い、打開を求める提言が出されています。これらは、「学力の危機」がもはやだれも否定できない深刻な社会問題になっていることを裏付けるものであります。

 大会決定は、この国民的課題に真正面からとりくみ、「すべての子どもに基礎・基本の学力を保障する学校教育を」という、この問題を打開する国民的道筋を明らかにしました。これは大きな国民的意義をもつ提起であり、この提起にそくした具体化と実践を大いにはかりたいと考えています。

 ただそのなかで、ただ一人、深刻な現状への認識もなければ、それを生んだ教育行政のゆがみへの反省もなければ、打開の意思もないのが自民党政府であります。首相の私的諮問機関の「教育改革国民会議」が、年末に「最終報告」を出しました。しかし、それを読んでみましても、肝心の「学力の危機」という問題からは逃げ回っています。そこには、公教育というものを事実上放棄し、「強制で子どもをおさえつけ、先生をおさえつける」という貧しい発想しかありません。自民党政治の競争主義、管理主義の教育が、「学力」でも、完全なゆきづまりにきていることの無残な自己告白の文書として、私は読みました。この分野でも、だれが国民全体の現在と未来に責任をおう党であるかは明りょうです。

 二十一世紀を大きく展望して、どんな分野でも、国民的課題にたいする国民的解決策をしめし、日本国民の現在と未来に責任をおう「日本国民の党」として、私たちがいかんなくその真価を発揮するために、力をつくそうではありませんか。

 

世界史の本流にたち、本流を促進する党

 第三に、わが党が、世界史の本流にたち、本流を促進する党であるということであります。

 大会決定が、二十世紀に人類がかちとった偉大な世界史的進歩を概括し、二十一世紀の展望――ことし始まった世紀が資本主義をのりこえる新しい社会への条件が世界的規模で成熟する世紀になるだろうという壮大な展望を明らかにしたことも、広い共感を呼びました。どこが共感を呼んだのか。二つの点があげられると思います。

「世紀」の単位で見れば逆流に未来はない――新春対談から

 一つは、長い視野にたってこそ、歴史の本流、逆流を見極めることができるということです。

 歴史の一断面だけを見たら、戦争と抑圧の流れが、万能の力をふるっているかのように見えることもありますが、「世紀」という単位で見れば、何が本流で、何が逆流かが鮮やかに浮かびあがります。

 私は、お正月の「しんぶん赤旗」企画で、ジャーナリストの大谷昭宏さんと対談する機会がありました。このなかで大谷さんが、戦争法から盗聴法につらなるような連続した反動立法の危険性を指摘して、いまの極端な右傾化の流れをどう見るのかという問いかけをしてきました。私は、それに対して、その危険性を正面からとらえて、正面から立ち向かう必要があることは当然だけれども、同時に、「世紀」という大きな流れで見れば、いま起こっている事態というのは、逆流であって、逆流には未来がない、という話で応じました。そうしましたら、大谷さんは、「そう言われるとわれわれもほっとします」。そして、大会決議を読み上げて、大谷さんいわく、「『歴史の本流が、いよいよたしかな流れとなって、地球的規模に広がり、定着し、花開く』と」、「しかもそこに、『その流れを促進する先頭にたって奮闘する』党と。こいつは春から縁起がいい」、という話になりました。大きな歴史の大局に立てば、未来は洋々と開けている。ジグザグはあっても、本流が歴史を動かす大きな力となって必ず働く。こういう展望では一致しました。

「20世紀の総括は核心をついている」――著名な評論家の大会決議へのうれしい感想

 二つは、ここで大谷さんも評価してくれたように、日本共産党という党が、世界史の本流に立った党であるということです。

 そこでいま一人紹介したいのは、ある著名な評論家が大会決議を読んでくださって、「全体について大いに賛成である」としたうえで、次のようにその感想を語ってくれたということです。

 「非常に多岐にわたる問題について、その一つひとつについて、実に無駄がなく、ち密な分析に裏付けられた、そして読みやすいように十分に工夫され、配慮された内容と文書になっている。だからそれは、読みやすいが、読めば読むほど次々と新しい発見がある。……二十世紀についての総括は核心をついている。特に私は、『世界史の本流・逆流と日本共産党』という部分に強く共鳴する。『日本の政党のなかで、今世紀をふりかえって一貫した歩みをもち、新世紀を展望できる政党は、わが党のみである』というフレーズは、とりわけ私自身の実感でもある。その意味でも決議が『日本共産党という党名を高くかかげて』でしめくくっているのは、非常によい。私は、貴党がこの党名を誇らしく高くかかげて二十一世紀の日本の改革に挑み、必ず大きな成果をあげると信じてやまない」

 たいへんうれしい評価の言葉であります。もちろん、歴史の本流というのは、自動的にすすむ、自然現象ではありません。諸国民のたたかいが歴史の本流をつくるのであります。そして、そのたたかいを日本で「不屈さと先見性」をもって促進してきた七十九年の歴史をもち、未来を改革する展望をもつ党が日本共産党であり、そこにこそわが党の存在意義がある。ここに誇りと確信をもって、われわれは二十一世紀にのりだしたいと思います。

 

22回大会決定の真価が試される参院選、東京都議選――

「政党選択を土台に」をつらぬいて

 さて、大会決定の真価がためされる最初の政治戦は、参議院選挙とそれに先立つ東京都議会議員選挙です。これらの政治戦で、前進と勝利をかちとることは、全党の最重要の仕事であります。方針は、大会決定で全面的に明らかです。ここではいくつかの点にしぼって訴えたいと思います。

自公保政権への厳しい審判とともに、「政治をどう変えるか」の中身の議論が大事

 一つは、参院選では、比例代表選挙でも、選挙区選挙でも、「政党選択を土台に」の立場をつらぬくということであります。すなわち、日本共産党の政策、路線、歴史、理念を語り、党躍進の大波をつくることを、選挙戦全体の土台にすえるということがなによりも大事であります。「非拘束名簿式」に改悪された比例代表選挙でも、この立場を堅持した訴えを行うことが重要であります。

 党躍進の大波をおこすうえでは、この政治戦の対決軸がどこにあるかを浮き彫りにする政治論戦が重要であります。

 この選挙で自公保政権への厳しい審判をくだすことは当然ですが、最大の焦点は、自民党政治のどこをどう変えるのか、この政治に代わってどういう新しい政治をおこすのか――この政治の中身をどう変えるかにこそ、この選挙戦の最大の焦点があります。

 自公保の側は、首相の年頭の会見を見ても、みずからの政治の中身の問題を抜きに、「政治の安定」をスローガンに、選挙をのりきろうという作戦のようです。国民にとって、悪い政治の「安定」ほど迷惑なことはありませんが、私は、政権党をつづけたいというなら、二十一世紀の日本が直面している具体的な諸課題――安保、外交、憲法、社会保障、消費税、財政、教育など、あらゆる具体的な問題で、現状の具体的打開の方策をしめし、政治の中身の論戦に堂々と応じるべきだということをいいたいのであります。

 野党にも、自民党政治をどう変えるのかの政治の中身が問われます。中身抜きで「政権交代さえすれば万事よくなる」という立場では、国民の期待にこたえられないということは、かつての「非自民」政権の経験が証明ずみのことです。わが党は、自公保政権の延命を許さないという野党の共通の立場に立って、国会共闘の発展に誠実に力をつくしつつ、選挙では野党間でも大いに政治の中身の論争を行い、競いあうという立場でのぞみたいと思います。

 こうした政治論戦を全有権者の規模で展開し、この政治戦の対決軸が、自公保による自民党政治の継続か、それとも日本共産党の前進による政治の民主的改革への新たな一歩か――ここにこそ対決軸があることを、国民的規模で浮き彫りにするたたかいを行っていこうではありませんか。

党勢拡大の上げ潮のなかで――民主的政権を根本的に準備するロマンあるとりくみ

 二つめは、党勢拡大の上げ潮のなかで、選挙をたたかうということであります。大会決定では、二〇〇五年までの五年間で、「五十万の党」をつくるという目標を決めましたが、ことしはその最初の年であります。

 「五十万」という目標を、そもそもなぜ決めたのか。それは、昨年の総選挙での後退、さらに、一九九〇年代全体の活動の到達点に、真剣な自己分析のメスを入れ、その教訓のうえに確認した目標でした。さらに、民主的政権への道を根本から準備する国民的意義をもった目標であるという点も重要であります。

 この目標をやりとげれば、どういう党になるか。私は、新しい党活動発展の条件がどの分野でもひらけ、民主的政権が手のとどく距離に近づいてくる、そういう状況が広がるだろうと思います。違った地平線が見えてくる、そういういちだんと高い峰を築くことになるでしょう。まさにロマンあるとりくみです。これをみんなの力でやりとげたいと考えます。

 党大会でも、海外代表が共通して注目したのは、「草の根」での国民と結びついた活動でした。どんな時でも、党員拡大を党建設の「根幹」、機関紙活動を党活動の「中心」と位置付けた大会決定を握って離さずに、政権を担う力量を持った党をつくりあげる努力を強め、党勢拡大の上げ潮のなかで選挙をたたかおうではありませんか。

全党の知恵と気持ちの結晶である22回党大会決定をすべての同志が身につけて

 最後に三つめですが、すべての同志のみなさんが、大会決定を身につけ、政治戦をたたかおうではないかということを呼びかけたいと思います。

 もう一人、別のかたですが、ある著名なジャーナリストが、決議案の原案と補強された決議を読み比べて、次のような感想をよせてくれました。

 「私は、これらの補強を読んで、いかにこの決議が、党員一人ひとりの疑問、意見、提案などを尊重し、必要なものは取り入れ、一定の長さの限界のなかで、これをいかに大胆に、かつ思慮深い立場で補強を加えているか、その心くばりとち密な分析がなされているかという印象を強く持った。そしてこれらの補強によって、まさにこの決議は全党の討議、大会の討議で練り上げられたものになったと思う」

 このかたは、他党の大会の様子などとも比べまして、“他党の大会では、いろいろ議論は出ても、決議案の修正などということはやったことがない、ところが共産党の大会は、ほんとうに全党の意見をくまなくくみつくして、そして適切な形でこれを練り上げている”といって、ここに大きな注目の一つをよせてくれました。

 この決定を読み、討議したところでは例外なく、前進への活気がわきおこっています。それは、この決定そのものが全党の知恵、全党の気持ちを結集して練り上げた“結晶”というべき歴史的な文書だからであります。読了の遅れを一気に取り戻し、この歴史的決定を、すべての同志が一刻も早く読み、討議し、縦横に活用して目前の政治戦に立ち向かおうではありませんか。

 同志のみなさん。新しい世紀のはじめの年に、わが党の新たな前進が記録できるように、心を一つにして奮闘しようではありませんか。以上をもって年頭のあいさつに代えるものであります。(拍手




著作権:日本共産党中央委員会
151-8586 東京都渋谷区千駄ヶ谷4-26-7