2010年11月10日(水)「しんぶん赤旗」

日ロ領土交渉

歴代政権の方針の根本的再検討を

志位委員長が政府に提起


 日本共産党の志位和夫委員長は9日、国会内で仙谷由人官房長官と会談し、日ロ領土問題の解決にむけ、歴代自民党政権の日ロ交渉方針の根本的再検討を求める菅直人首相あての申し入れ文書(全文)を渡しました。会談には、穀田恵二国対委員長が同席しました。


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(写真)仙谷由人官房長官(右)に申し入れる志位和夫委員長=9日、国会内

 会談で志位氏は、メドベージェフ・ロシア大統領の国(くな)後(しり)訪問と歯(はぼ)舞(まい)、色(しこ)丹(たん)訪問計画について、「日本の歴史的領土である千島列島と、北海道の一部である歯舞、色丹の不当な領有を将来にわたり固定化する新たな強硬姿勢であり、絶対に容認できない」と表明。こうした強硬姿勢を許した根本に、「歴代自民党政権が、国際的道理のない立場と方針で対応し続けてきた」ことがあると指摘しました。

 日ロ領土問題の根源には、第2次世界大戦終結時におけるソ連のスターリンの覇権主義的な領土拡張政策があります。スターリンは、ヤルタ協定を根拠に、「領土不拡大」という戦後処理の大原則をじゅうりんして千島列島を併合し、北海道の一部である歯舞、色丹まで占領しました。志位氏は、「この不公正を正すことこそ、問題解決の根本にすえられなければならない」と強調しました。

 志位氏は、「なぜ戦後65年たって日ロ領土問題が解決のめどすらたっていないのか」について、(1)1951年に締結したサンフランシスコ条約2条C項で千島列島に対する権利を放棄したこと(2)その「枠内」で「解決」をはかろうと、「国後、択(えと)捉(ろふ)は千島ではないから返せ」などという国際的に到底通用しない議論を持ち込んだ―という「二重の根本的な誤り」があると指摘。この立場に固執した結果、日本側だけの一方的な譲歩だけがくり返される事態になったとのべ、1993年の「東京宣言」以来の一連の「合意」の問題点を明らかにしました。

 志位氏は、日本共産党が、1969年に千島政策を発表し、南北千島列島全体の返還と、歯舞、色丹の早期返還を求めてきたとのべるとともに、民主党政権について、「自民党政権時代の二重の根本的な誤りを清算できるかどうかが問われている」と強調。(1)ヤルタ協定の千島引き渡し条項とサンフランシスコ条約の千島放棄条項を不動の前提とせず、条約そのものを根本的に再検討すること(2)日ロ間で平和的に画定された国境線は何だったかを歴史的に再検討し、交渉の土台とすること―を提起しました。

 会談で志位氏は、スターリンがおこなった領土拡張のうち、バルト3国の併合やポーランドの一部併合などほとんどが解決を見ており、残されているのは千島列島だけであることも指摘し、「政権交代したのだから、これまでの自民党政権による領土交渉を根本的に再検討することが必要だ」とのべました。

「スターリンの行動は『領土不拡大』という原則をじゅうりん」(仙谷長官)

 志位委員長の提起に対して、仙谷長官は、「スターリンのとった行動は、いわれる通りだ。『領土不拡大』という戦後処理の原則をじゅうりんするものだったと思う」とのべました。同時に仙谷氏は、「サンフランシスコ条約は戦後日本の出発点となるもので、それを覆すのは難しいと思う」とのべました。

 志位氏は、「サンフランシスコ条約のすべてを廃棄せよなどとはいっていない。2条C項を見直すべきといっている。沖縄の施政権を米国に渡した(同条約)3条は『立ち枯れ』になった。条約は変更できないものではない」とのべました。仙谷氏は、「(申し入れ書を)拝読し、勉強したい」「先日の尖閣諸島の見解は勉強になった」と答えました。