2010年8月5日(木)「しんぶん赤旗」

日本共産党創立88周年記念講演会

“探求の時代”――綱領を手に 展望を語り、未来を語り合おう

――参議院選挙のたたかいから深く学んで

志位和夫委員長の講演


 3日の日本共産党創立88周年記念講演会(東京・日比谷公会堂)で志位和夫委員長がおこなった講演を紹介します。

写真

(写真)講演する志位和夫委員長

 記念講演会に参加していただいたみなさん、こんばんは(「こんばんは」の声)。インターネット中継をご覧の全国のみなさん、こんばんは。ご紹介いただきました日本共産党の志位和夫でございます。きょうは、ようこそお越しくださいました。

 まず、私は、参議院選挙で日本共産党を支持してくださった有権者のみなさん、奮闘してくださった党支持者、後援会員、党員のみなさんに、心からのお礼を申し上げます。本当にありがとうございました。(大きな拍手)

 きょうは、私は、「“探求の時代”――綱領を手に展望を語り、未来を語り合おう 参議院選挙のたたかいから深く学んで」と題してお話をさせていただきます。

参議院選挙での日本共産党の結果について

 参議院選挙での日本共産党の結果は、比例代表選挙で改選4議席から3議席に後退し、得票数では3年前の参院選の440万票(7・5%)から356万票(6・1%)に後退しました。議席の絶対確保をめざした東京選挙区では、東京と全国のみなさんの熱い支援をえて、小池晃さんが大奮闘しましたが、当選をかちとることができませんでした。

 多くのみなさんが、猛暑のなか、また風雨のなか、大奮闘してくださったにもかかわらず、それを議席と得票に結びつけることができなかったことは、私たちの力不足であり、私は、党の責任者としておわびを申し上げます。

 私たちは、選挙後、党内外のたくさんの方々から、電話、メール、ファクス、手紙など、さまざまな形で、ご意見、ご批判、叱咤(しった)激励をいただきました。その総数は現時点で3千通をこえ、これまでにない多数の意見が寄せられています。私たちは、その一つひとつを読み、政策論戦、選挙活動、党建設など、さまざまな面で、私たちの活動の問題点、活動の改善方向について、多くのことに気づかされました。

 私は、ご意見を寄せていただいた多数の方々に対してもお礼を申し上げるとともに、そこにたくされた思いを深く受け止めて、しっかりとした総括をおこない、いっせい地方選挙、つぎの国政選挙では、必ず巻き返しをはかる決意を、まずはじめに表明するものです。(大きな拍手)

政治論戦――「探求にこたえ」「展望を語る」という点でどうだったか

 参院選の結果を受けて、「後退したのは一体どうしてか」という多くの声が寄せられています。私たちは、総括の途上にありますが、きょうは、まず私たちが選挙戦でとりくんだ政治論戦にかかわって反省点をのべたいと思います。

“探求の時代”のもとでたたかわれた参議院選挙

 この間、日本の政治では大激動が進行中です。国民は、2007年の参議院選挙で「自公政治ノー」の審判をくだし、つづいて2009年の総選挙では「自公政権退場」の審判をくだしました。

 こうした数年間の日本の政治を、私たちは、「国民が、自民党政治に代わる新しい政治を探求する大規模なプロセスが進行している」ととらえてきました。すなわち、国民は、長年つづいた自民党政治に退場の審判をくだしたわけですが、それに代わる新しい政治とは何かについては、まだ答えを出していない、探求の途上にあるということであります。

 そういうもとで、私たち日本共産党はどういう役割をはたすか。今年1月に開いた第25回党大会で、私たちは、いまの情勢にのぞむ基本姿勢として、「新しい政治への国民の探求のプロセスを後押しし、促進する」姿勢を堅持しようということを確認しました。さらに、4月13日に開いた参議院選挙勝利をめざす全国会議では、「自民党にもどるのはダメ、でも民主党にも失望した」という状況が広がり、国民の政治への閉塞(へいそく)感が強まるもとで、「『日本共産党は日本の政治をこう変える』という展望をさししめす」ことが重要だと確認してきました。

 こうした“探求の時代”のもとでたたかわれた参議院選挙。私たちの訴えが、国民の新しい政治への「探求にこたえる」ものになっていたか。閉塞感を打ち破り、「展望をしめす」という点でどうだったのか。

消費税論戦にあらわれた私たちの政治論戦の弱点について

 ふりかえってみますと、この点で弱点があったと思います。国民の「探求にこたえ」、「展望を語る」という姿勢を、最後の最後までつらぬくべきだったにもかかわらず、弱点が生まれました。とくに、6月17日に菅首相が「消費税10%」を宣言したあとの私たちの消費税論戦にその弱点はあらわれたと、私たちは考えています。

 それを私に気づかせてくれたのは、選挙直後に寄せられた数々のメールでした。その一つを紹介したいと思います。

 「今回の議席減の原因と次はこうした方がいいという意見を述べさせていただきます。消費税に関しては、民主党のたくらみをくじくことができた面があると思います。共産党の反消費税(法人税減税の穴埋めにつかわれる)は、一定有権者に浸透したと思います。しかし、『反対』は伝わっても、日本共産党がなにをしてくれるのか、についての具体的なメッセージが十分届かなかったと思うのです」。

 同じ趣旨の意見は次々に届けられました。「ここに問題があった」と気づかされたというのが、私の率直な気持ちでありました。

 私たちがとりくんだ消費税論戦について、私は二つの面があったと思います。

 第一に、消費税増税反対の論戦それ自体は、「大企業減税のための消費税増税」という問題の本質を明らかにし、増税勢力を追い詰め、世論調査で増税反対が多数になるなど国民世論に変化をつくり、「増税ノー」という国民の審判につながりました。そして、来年度にも消費税増税法案を強行するという増税スケジュールをくるわせるうえでの貢献となりました。私は、このことは確信にしてよいし、また確信にすべきだと思います。(拍手)

 第二に、しかし同時に、それは日本共産党の前進には結びつきませんでした。その大きな原因は、「生活からいえば反対、でも……」という人々にたいして、「消費税増税反対」の主張と一体に、「政治をこう変える」というわが党の建設的提案を押し出すことが弱かったことにあったと思います。

 多くの国民のみなさんは、目の前の生活の問題だけでなく、将来の日本の大きな進路はどうあるべきかについて真剣な探求をおこなっていました。「日本の経済をどう立て直すか」、「借金財政をどうするのか」などについての解決の展望を求めていました。ところが、私たちの論戦は、とくに6月17日以降、「消費税増税反対」が前面に押し出され、国民の新しい政治への探求にこたえ、展望をさししめす建設的な提案は、語ってはいたのですけれども、後景に追いやられる結果となりました。そのため、多くの国民には、「反対」というメッセージだけが伝わることになりました。

 昨年の政権交代で、国民は、自分の一票で政治は変わるということを体験し、その体験を通じて、意識を大きく変化させていると思います。民主党政権には失望したけれども、自民党にはもどりたくない、「自分の一票でさらに政治を変えたい」と願い、その願いにこたえる政党を求めていると思います。ところが私たちから伝わったのは「反対」のメッセージだけになりました。「反対」自体は正論であっても、それだけでは、「自分の一票でさらに政治を変えたい」と願っている広い有権者の心には響かなかった。消費税問題での私たちの訴えが、わが党の前進に結びつかなかった一つの原因はここにあったのではないかと思っております。

どんな問題でも、建設的メッセージが伝わってこそ、国民の心に響く

 それでは、どういう訴えが必要だったか。消費税増税問題が一大争点として浮上した以上、私たちがこれに反対する攻勢的論陣をはることは当然の責任でありました。ただそのさい、「消費税増税反対」と一体に、「大企業応援から暮らし最優先」への転換というわが党ならではの経済政策の基本姿勢が伝わり、この立場にたってこそ財政危機打開の道も開かれるという展望が伝わるような、建設的なスローガンを提起すべきだったと思います。しかもこの問題では、一言でいえるスローガンが大事だったと思います。それにもとづいて国民の探求にこたえる豊かな論戦を展開する。こうして消費税問題と一体に、日本の経済と財政をどうするかについての私たちの積極的展望を大きく語り、建設的メッセージが伝わる論戦が必要だったのではないか。これが私たちの率直な反省であります。(拍手)

 どんな問題でも、批判と同時に、国民の探求にこたえ、打開の展望をしめす、変革者の党ならではの建設的メッセージが伝わってこそ、国民の心に響く訴えとなります。私たちは、このことを今回の教訓として胸にしっかりと刻み、今後に生かしていきたいと思います。(大きな拍手)

 こうした角度からの総括もふくめて、私たちは、ひきつづき内外の方々のご意見に真剣に耳を傾けつつ、9月に予定している第2回中央委員会総会に向けて、政治論戦、選挙活動、党建設などあらゆる角度からの総括をすすめる決意であります。

消費税問題と比例定数削減問題――教訓を生かし当面のたたかいに力つくす

 消費税増税反対のたたかいは、これからがいよいよ大切です。民主党政権は、国民のきびしい審判に打撃を受けながらも、増税のための与野党協議をおこなうという姿勢をくずしていません。自民党は、増税計画を独自に具体化する作業をすすめ、民主党にたいして、「選挙の審判に懲りずにがんばれ」(笑い)と、増税を迫っております。参議院選挙の教訓を、すぐに今後のたたかいに生かし、日本の経済と財政をどうするかについての建設的展望を明らかにしながら、消費税増税反対の多数派をつくるために、あらゆる知恵と力をつくす決意を申し上げたいと思います。(拍手)

 さらに、菅首相は、昨日の国会答弁で、国会議員の定数削減について「年内に実行できるテンポで議論をすすめてほしい」とのべました。削減の中心が衆院比例代表であることは、マニフェストで明らかであります。衆院の選挙制度のなかで比例代表は民意を反映する唯一の民主的な部分であり、その削減で切られるのは「国民の民意」にほかなりません。しかも、この民主主義破壊のくわだてを、消費税増税にむけた地ならしとして利用しようなどというのは、最悪の党略的やり方と言わなければなりません(拍手)。私は、衆院比例定数削減反対の一点で一致する、すべての政党、団体、個人に、日本の議会制民主主義を守るための共同のたたかいをおこなうことを、この場で心からよびかけたいと思うのであります。(「よし」の声、大きな拍手)

 そして、この問題は、議員定数をどうするかだけを問題にする狭い議論ではなくて、選挙制度全体をどうするかを根本から論じ合う議論こそが求められていると、私たちは考えます。小選挙区制という、民意をゆがめ国民多数の声を切り捨てる選挙制度、すでにその害悪がさまざまな形であらわれている選挙制度をつづけていいのか、国民の声を反映する民主的選挙制度とは何か、これを正面から議論すべきではないでしょうか。わが党は、小選挙区制の廃止、比例代表など民意を反映する選挙制度への改革、政党助成金の撤廃(「そうだ」の声、拍手)、こうした抜本的提案を掲げ、奮闘する決意をあわせて表明するものです。(大きな拍手)

「二大政党」の全体に国民的不信――新しい日本への旗印をいよいよ高く掲げて

「二大政党」がつくられたと思ったら、そのはなから崩れ始めた

 さてつぎに、参議院選挙の結果全体をみてみたいと思います。

 国民は、この参議院選挙で、昨年の総選挙に続いて重要な審判をくだしました。昨年の総選挙では、国民は、自公政権を退場させ、戦後のほとんどの時期に政権についてきた自民党を政権から追い落としました。この政権交代から10カ月たった今回の参議院選挙では、国民は、今度は、民主党政権に厳しい審判をくだしました。同時に、国民の審判が自民党政権への復帰を求めるものではなかったことも明らかです。参議院選挙では、民主党、自民党ともに得票を大きく減らしました。

 この十数年来、財界が主導して、国民を「二大政党」の枠組みに無理やりはめこみ、この枠組みのなかでの「政権交代」によって、国民の暮らしや平和を壊す政治を強行しようというくわだてがすすめられてきました。旧民主党と自由党が合併した2003年におこなわれた総選挙以降の6回の国政選挙の結果を見ますと、自民党と民主党は、両者の議席数の変動はありましたが、比例得票率では合計して7割前後を占めるという状況が5回連続しました。しかし、今回の参院選では、民主党、自民党がともに得票を大幅にへらし、合計の得票率は55%にまで一気に落ち込みました。選挙直後にNHKが放映した「時事公論」は、選挙結果を分析して、「二大政党による政権交代というあり方そのものに、重大な疑問がつきつけられた」と指摘しました。「二大政党」の全体に国民的不信がつきつけられたのが、参議院選挙の結果であります。「二大政党」がつくられたと思ったら、そのはなから崩れ始めているのであります。

 わが党は、この十数年来、財界主導の「二大政党づくり」とのきびしいたたかいをつづけてきましたが、今回の参院選の結果は、この枠組みに国民を閉じ込めることができないことをしめしました。その結果として、日本共産党の躍進という状況がつくられているわけではまだありませんが、財界の思惑通りに事がすすまなくなっていることは重要だと考えるものであります。(拍手)

「二つの異常」に縛られては世界と日本の現実にもはや対応できない

 なぜ「二大政党」の全体に国民的不信がつきつけられたのか。

 私たちは、その根本には、私たちが「二つの異常」と呼んでいる日本の政治の深刻なゆがみ――「異常な対米従属」「大企業・財界の横暴な支配」に縛られた政治のゆがみがあると考えております。「二大政党」が共通の土俵としている古い政治の枠組みでは、世界と日本の現実にもはや対応できなくなっているのであります。この古い政治の枠組みのなかでは、誰が政権の担い手になろうとも、米軍基地問題でも、経済危機や財政危機の打開でも、日本が直面している問題を解決することはできません。誰が首相になろうとも、短期間のうちに政権の投げ出しが続きます。「二つの異常」に縛られているかぎり、閉塞状況を打ち破る展望をしめすことはできません。

 このことは、昨年の総選挙後の民主党政権の迷走と裏切りという事実で証明されているのではないでしょうか。鳩山前政権の8カ月は深刻な矛盾の8カ月でした。普天間問題でも、労働者派遣法改正でも、後期高齢者医療制度の問題でも、公約を実現しようとすれば、「二つの異常」から抜け出す方向にすすまなければなりません。私は何度かの鳩山さんとの党首会談で、「抜け出す方向にすすみなさい」ということを率直に求めました。ところがそこにすすむ勇気も立場もこの政権はもてなかった。右往左往した結果、次々と公約を投げ捨て、退陣に追い込まれました。

 後を引き継いだ菅政権は、「辺野古移設」の「日米合意」の実行を米国に誓い、日本経団連の方針書にしたがって「消費税10%」を法人税減税とセットで打ち出す――米国への忠誠と財界への追随の道に後戻りすることで、政権の「安定」をはかろうとしました。しかし、この道は、国民との矛盾をいよいよ大きく広げました。菅政権の支持率はまたたく間に急落し、参議院選挙でのきびしい審判にさらされました。

 みんなの党など新党とよばれる勢力も、その目標は「政界再編」です。つまり、古い政治の担い手のなかで“組み合わせ”を変えようという話です。それを党の目標としていることがしめすように、古い政治から抜け出す立場があるわけではありません。

日本共産党の旗印――この立場でこそどんな問題でも展望をしめすことができる

 こうした状況の中で日本の政治のゆがみを「もとから変える」という志を持っている政党が、私たち日本共産党であります。(大きな拍手)

 日本共産党が、一貫して目標にしている日本変革の旗印は、「二つの異常」をただし「国民が主人公」の新しい日本をつくるという旗印であります。

 「国民の暮らしと権利を守る『ルールある経済社会』」をつくろう、「憲法9条を生かした自主・自立の平和外交」を築こう――これが私たちの綱領がめざす新しい日本像であります。

 国民が直面し、日本が直面しているどんな問題をとっても、この立場にたってこそ、国民の願いにかなう解決策がしめせるし、閉塞感を打ち破る展望をしめすことができる。ここに深い確信をもって、国民の探求にこたえ、私たちの変革の旗印、新しい日本像を、いよいよ高く掲げて奮闘していきたいと思います。(大きな拍手)

 きょうは、具体的に二つの大問題をとおして、私たちの綱領の持つ意味をご一緒に考えてみたいと思います。

財政危機打開――暮らし犠牲でなく、暮らし最優先の政治に転換してこそ

巨額の財政赤字――国民の暮らしのあらゆる問題にかかわる大問題

 一つは、財政危機をどう打開するかという問題です。この問題にいま、多くの国民が不安を感じています。2010年度の国と地方での単年度財政赤字は44・8兆円(GDP〈国内総生産〉比9・4%)に達し、年度末の長期債務残高は862兆円、対GDP比で181%にもなろうとしています。

 選挙中に、菅首相は、「あと1、2年でギリシャのような財政破たんに陥る」とのべ、消費税増税の合理化をはかろうとしました。こうした主張が、国債の7割を外国に買われていたギリシャと、国債の9割を国内で購入している日本とを同列においた、国民を脅しつける不当な危機あおりであることは、私たちが批判してきたとおりです。

 同時に、今日の財政危機をこのまま放置することが許されないこともいうまでもありません。巨額の財政赤字は、国民の政治と社会への閉塞感の大きな要因にもなっています。社会保障や暮らしの願いはいよいよ切実になっているにもかかわらず、それを実現しようと考えると、借金と財政破たんへの不安が重くのしかかってくる。消費税増税をめぐっても巨額の借金を前にして「子や孫に借金を残すから仕方がないのではないか」という思いも広がっていると思います。すなわち、暮らしにかかわるあらゆる問題が、この問題とかかわってくるのであります。それでは、どうやって打開していくか。

財政危機をつくりだした根源――公共事業バラマキと軍事費の膨張

 私は、この問題の打開策を考えるうえで、財政危機をつくりだした根源は何か、どうして歴代内閣が「財政再建」を叫びながら失敗し、逆に財政危機が深刻化の一途をたどったのかを、きちんと明らかにすることが重要だと思います。きょうは、この問題を、歴史をたどって検証してみたいと思います。

 この点で、私がまず強調したいのは、財政危機をつくりだした原因は社会保障ではないということであります(「そうだ」の声、拍手)。それは日本の長期債務残高がGDP比で180%と世界の主要国で最悪である一方で、日本の社会保障への公費支出は主要国で最低水準であるという一事をもっても明らかであります。GDP比での社会保障への公費支出は、イギリスが13・5%、イタリアが11・0%、ドイツが10・8%、フランスが9・4%に対して、日本はわずか6・1%にすぎません。こんな貧しい社会保障で、どうしたらあんな巨額の借金をつくることができるのか(笑い)、誰が考えても説明がつかないではありませんか。(「そうだ」の声、拍手)

 かつて「朝日訴訟」という、憲法25条を根拠に、生活保護の抜本的改善を要求した裁判闘争がたたかわれたことがあります。1960年の東京地裁判決には、つぎのような画期的な理念が刻み込まれました。

 「憲法25条にいう『健康で文化的な生活』は、国民の権利であり、国は国民に具体的に保障する義務がある。それは予算の有無によって決められるのではなく、むしろこれを指導支配しなければならない」。

 「指導支配」とは平たく言いますと、国民のみなさんからいただいた大切な税金は、まず優先して社会保障のために使う、そのうえでもろもろの予算を決めていく、これが憲法25条の精神だということであります(拍手)。社会保障に借金財政の犯人の濡れ衣(ぬれぎぬ)を着せるというのは、憲法25条を無視した暴論といわなければなりません。

 財政危機をつくりだした根源は、1990年代につづけられた大型公共事業のバラマキと軍事費の膨張にあります。

 公共事業をめぐっては、1990年に日米構造協議がおこなわれ、アメリカの圧力によって10年間で430兆円を公共事業に使うという「公共投資基本計画」がつくられ、それは村山内閣になって、630兆円の「公共投資基本計画」にふくれあがりました。これがテコとなって、1980年代中ごろまでは年間二十数兆円の水準だった公共事業費が、異常膨張し、1993年から95年には年間50兆円に達しました。

 全国に無駄な巨大開発があふれかえりました。海を見れば港を掘りたくなる(笑い)、川を見ればダムでせき止めたくなる(笑い)、海峡を見れば巨大な橋をかけトンネルを掘りたくなり、空を見上げれば空港をつくりたくなる(笑い)――こういう“ゼネコン病”が全国を覆いました。

 その後、さすがにこんな浪費はつづけられなくなり、公共事業費は縮小しましたが、いまでも巨大開発の負の遺産は全国いたるところに残されています。「1メートル=1億円」の東京外郭環状道路に象徴されるように浪費政策はなお温存されています。巨大開発の負の遺産を国民負担を最小限にして解決し、なおつづく浪費政策は中止し、生活・福祉・環境型の公共事業に転換することは、ひきつづき国と地方政治の大問題であるということを私は訴えたいと思うのであります。(拍手)

 いま一つは、軍事費であります。日本の軍事費は膨張をつづけ、1990年代の終わりには、年間5兆円という規模に達しました。私たちが「軍事費の削減を」といいますと、「日本の防衛は大丈夫か」「非現実的ではないか」というご心配もあるかもしれません。しかし、膨張した軍事費のなかには、「日本の防衛」ではまったく説明のつかない、軍需産業をもうけさせるためだけのものとしか説明がつかない、文字どおりの無駄づかいもたくさんあるのであります。

 その典型の一つが戦車です。1990年度から2009年度まで購入がつづいた戦車に「90式戦車」というものがあります。「90式戦車」は、ソ連軍による北海道への上陸侵攻を想定して開発された戦車でした。当時ソ連で新型の大型戦車が開発された。そこで「ソ連の大型戦車に負けないもっと大型の戦車をつくろう」(笑い)ということで、「90式戦車」がつくられました。1両約10億円、そしてたいへん重い戦車です。1両50トンもある戦車をつくりました。日本の国道の重量制限は通常40トン(笑い)、橋は25トン(笑い)であり、いったいこの戦車で国内の道路や橋を移動できるのかがたびたび問題になりましたが、政府は、「橋を渡れない場合は水の中も潜れる」(笑い)、「分解すればトレーラーで運べる」(笑い)などと強弁して導入を推進しました。

 ところが、実際の配備が始まったのは、ソ連が崩壊した1991年以降でありました(どよめきの声)。ソ連軍がなくなったのに、ソ連軍に対抗することを目的につくられた「90式戦車」の購入をなぜつづけるのか。「非現実的」といえば、これ以上「非現実的」なことはないではありませんか。(「そうだ」の声、拍手)

 私は、いまから15年前の1995年の衆院予算委員会で、「どういう使い道がこの戦車にあるのか」と聞いたことがあります。私は、「陸上自衛隊のシナリオは、上陸してきた『敵』戦車を戦車で迎え撃つというものだ。しかし、現代戦では、『敵』戦車が上陸してくる時は、徹底的な爆撃で日本を焼け野原にした後になる。そんなことをやる国がいったいどこにあるのか」と質問しました。「戦車の使い道は何か」などという単純な質問をしたのは、国会でもこれが初めてかとも思います(笑い)。軍隊に戦車があるのは当たり前と思い込んでいたのか、当時の防衛庁長官は答弁がまったくできなくなり、「もし第3次世界大戦があったとすれば」(爆笑)などとのべ、委員会室が爆笑につつまれたことを思い出します。

 この浪費は、今なお続いているのです。政府は、答弁不能になってもお構いなしに、「90式戦車」をその後も購入しつづけ、1990年度から2009年度までに341両を調達、約3千億円が投入されました(どよめきの声)。それだけではありません。「90式戦車」の調達は、昨年で終わりましたけれども、2010年度、今年度から新たに「10式戦車」の調達が開始されました。今年度予算では13両124億円が計上されました。「この戦車の使い道は何ですか」と聞いても、菅首相は同じように答えられないでしょう。

 「日本の防衛」では説明できない買い物は戦車だけではありません。ほかにもたくさんあります。政府は、軍事費を「事業仕分け」の「聖域」にしておりますが、私たちは、ここにこそ徹底したメスを入れるべきだと決意しているしだいであります。(「そうだ」の声、大きな拍手)

15年間の三つの失政――国民生活犠牲では経済も財政も共倒れになる        

 公共事業の異常膨張、軍事費の拡大がつづくなかで、借金がどんどん増えていきます。そうしたなかで、政府は、1995年11月に、国と地方の長期債務残高が400兆円、対GDP比で80%を超えるとして「財政危機宣言」をおこないました。同年12月に発表された財政制度審議会の「財政の基本問題に関する報告」では、日本の財政状況について「現状は、例えて言うならば、近い将来において破裂することが予想される大きな時限爆弾を抱えたような状態」とまでのべました。

 その後、歴代政府は、「財政再建」なるものをすすめました。しかし、1995年から今日までの15年間も借金は拡大をつづけ、とりわけ対GDP比での借金残高は世界最悪水準にまで悪化しました。どうして歴代内閣が「財政再建」を叫びながらことごとく失敗し、逆に財政危機が深刻化の一途をたどったのか。その原因は、それまでにつくられた浪費の構造が温存されたことにくわえて、つぎの三つの失政によるものだと考えます。

 第一の失政は、1997年に橋本内閣が強行した消費税増税、医療費負担増など総額で9兆円の国民負担増です。わが党は、この負担増政策を強行したら、国民の暮らしに深刻な打撃をあたえるとともに、当時弱々しい足取りながらも回復しつつあった景気を、不況のどん底に突き落としてしまう、とくに家計の底が抜けてしまう、このことを具体的にしめし、こういうやり方は経済も財政も破壊するとして強く反対しました。結果は、その通りとなりました。巨額の国民負担増が、大不況の引き金を引き、増税したにもかかわらず、大幅な税収減をまねきました。さらに、その後、小渕内閣・森内閣のもとで「景気対策」の名でとられた公共事業のバラマキ、大企業減税のバラマキによって、借金はいよいよ膨らみました。小渕首相が「世界一の借金王」と自らを呼んだことは、記憶に新しいところです。

 第二の失政は、小泉内閣がすすめた「構造改革」の政策です。この時期には、「痛みにたえよ」の掛け声のもとに、国民生活を徹底的に痛めつける政策が強行されました。社会保障予算が毎年2200億円削減され、医療・介護・年金・障害者福祉・生活保護などの大改悪がつづきました。配偶者特別控除廃止、年金課税強化、定率減税廃止、消費税の免税点引き下げなどの連続的な庶民増税が実施されました。労働者派遣法など労働法制の規制緩和によって、「働く貧困層」が大きく広がりました。こうして、暮らしを削る政策をずっとやっていったわけです。一部の大企業や大金持ちは富を増やしましたが、国民の所得は低下し、家計は冷え込み、経済成長は止まり、結局、財政危機は解決されず、いよいよ深刻になりました。こうした「弱い経済」の矛盾が、2008年秋のリーマン・ショックによって、巨額の税収減・借金増という形で一気に噴き出しました。そうしますとまたバラマキが始まるのです。麻生内閣は、「景気対策」の名で、総額15兆円にのぼる空前の浪費とバラマキの予算をくみ、財政危機に拍車をかけました。

 第三の失政は、一方で、国民に痛みをしいる政治をつづけながら、他方で、大企業・大金持ち減税が、この15年間についても、一貫して続けられたということであります。法人税の引き下げ、所得税・相続税の最高税率の引き下げなど、大企業・大資産家への減税のバラマキがどんどんやられました。さらに、研究開発減税、証券優遇税制など、不公平税制が拡大されていきました。これらは税収に大穴を開ける結果となりました。

 大企業の負担を減らし、国民生活を犠牲にする「財政再建」の15年は、どういう事態を招いたでしょうか。収支決算をやってみたいと思います。

 ――1995年度から2010年度までに、国と地方の長期債務残高は410兆円から862兆円へと2・1倍に膨れ上がりました。

 ――同じ時期に、日本のGDPは、497兆円から475兆円へと、15年かかってもまったくふえず、逆に縮小し、日本は「成長の止まった国」になってしまいました。

 ――その結果、15年間で、対GDP比でみますと、長期債務残高の比率は、82%から181%へと危機的水準に達しました。

 国民の暮らしを犠牲にする政治では、経済も財政も共倒れになり、財政危機をいよいよひどくしてしまう。このことは歴代内閣による「財政再建」なるものが、ことごとく失敗に終わったという事実が証明しているではないでしょうか(拍手)。破たんが証明ずみの政策の根本的転換がいま必要だということを私は心から訴えたいと思うのであります。(「その通り」の声、大きな拍手)

危機打開の展望――「暮らし最優先の経済成長」、歳出・歳入のゆがみの是正

 財政危機の根源、それが深刻化した原因と責任がどこにあるかを見てまいりましたが、これによって危機打開の道筋もはっきり見えてまいります。大企業応援の政治から、暮らし最優先の政治に転換し、安定した経済成長を実現してこそ、財政危機を打開する道を開くことができる――これが私たちの展望であります。

 そのために日本共産党はつぎの二つの柱が大切だと考えております。

 第一の柱は、「暮らし最優先の経済成長戦略」を実行することであります。私たちは、参議院選挙で、「経済危機から国民の暮らしを守るために政治は何をなすべきか」という立場から、「五つの提言」をおこなってまいりました。

 「人間らしい雇用のルールをつくる」、「大企業と中小企業との公正な取引のルールをつくる」、「農林水産業の再生にむけた政策転換をはかる」、「社会保障の削減から本格的充実への転換をはかる」など、国民の暮らしにかかわる切実な要求を実現する。そのために大企業の過剰な内部留保と利益を社会に還元させるとともに、国の予算を暮らし最優先にくみかえる。こうした「ルールある経済社会」への改革をすすめることによって、日本経済の危機を打開し、家計・内需主導の安定した経済成長をかちとろう、これが私たちが提案している「暮らし最優先の経済成長戦略」であります。

 そして、財政危機との関係では、こうした健全で安定した経済成長を実現すれば、税金も入ってきますでしょう。新たな税収増をはかることができます。そして、日本経済が安定した成長の軌道にのりますと、対GDP比での長期債務残高を抑える道を開くことができます。これが私たちの打開策の第一の柱です。

 第二の柱は、歳出と歳入の改革では、無駄づかいの一掃と、特権的な不公平税制の一掃に、「聖域」をもうけずにとりくむことです。

 私たちは、軍事費を「聖域」にすべきでないと訴えてきました。さきほどのべた「90式戦車」の例に象徴されるように、具体的中身を見ますと、「日本の防衛」では説明がつかない、文字通りの浪費としかいえないものがたくさんあります。米軍への「思いやり予算」や、グアムでの米軍基地建設費負担など、世界で他に類例のない費用負担もあります。それらを一つひとつ洗いざらい総点検し、大胆な軍縮のメスを入れることを、私たちは強く求めていくものであります。(大きな拍手)

 また、私たちは、大企業と大金持ちへの行き過ぎた減税を「聖域」にすべきではないと訴えてきました。そのさい、研究開発減税、外国税額控除などによって、巨大企業になればなるほど法人税負担率が軽くなっていること、証券優遇税制などによって、所得1億円をこえますと所得税の負担率が逆に下がることなど、誰が見ても特権的としかいいようがない大企業・大資産家優遇の不公平税制を是正・一掃することに最優先でとりくむべきだというのが私たちの考えであります(拍手)。不公平税制の是正・一掃を出発点にしながら、「負担能力に応じた負担という原則にたった税制と社会保障制度の確立をめざす」(党綱領)、これが私たちの基本的立場であります。

 「暮らし最優先の経済成長戦略」を実行しながら、歳出と歳入のゆがみに大胆なメスを入れる――この二つの柱を同時にすすめる。こうすればどうなるかといいますと、借金の総額はすぐには減らなくても、借金残高を対GDP比、経済の規模との関係で抑え、減少させていくことが可能になってまいります。借金の問題で一番問題なのは、対GDP比、経済の規模との関係で181%もの借金があることなのです。安定した経済成長と、歳出・歳入の改革で、これを抑え、減少する展望が見えてくれば、財政危機から抜け出す道が開け、財政破たんの危険を抑え込んでいくことができます。これが、財政危機を打開する日本共産党の展望であります。

 この改革を実行しようとすれば、大企業応援から「暮らし最優先」に、政治の姿勢を抜本的に転換することがどうしても必要となります。しかし、すでに見てきたように、国民生活を犠牲にする「財政再建」では、経済も財政も共倒れになり、財政危機をいよいよひどくしてしまうことは、歴史によって証明されているではありませんか。そうであるならば、財政危機を打開する道が日本共産党の提案以外にないことは明らかだと、私は確信をもって訴えたいと思います。(「そうだ」の声、大きな拍手)

「二つの異常」をただす党綱領の立場でこそ、財政危機打開の展望が見えてくる

 私たちの綱領の立場は、大企業の役割を「否定」したり、ましてや「敵視」するものではありません。ただすべきは「ルールなき資本主義」といわれるような「目先の利益第一の横暴」であり、めざすべきは大企業が社会的役割にふさわしい社会的責任――雇用、中小企業、環境、地域社会などへの責任をはたし、税金と社会保障で応分の社会的負担をになうことであります。「ルールある経済社会」のもとで、大企業に労働者・国民との共存のルールを守らせる――これが私たちの綱領がしめす当面の目標であります。そのことが日本経済の健全な発展につながり、大局的には大企業の発展の条件を開くことにもなるということが、私たちの考えです。

 財政危機打開にかかわっても、私たちが大企業に求めているのは、その力にふさわしい当たり前の社会的責任を、当たり前にはたすということであります。だいたい財政危機の大きな原因をつくったのが財界・大企業の身勝手にあることも明らかですから、そうした責任をはたすことはごくごく当たり前のことではないでしょうか。(「その通り」の声、拍手)

 「二つの異常」をただし「国民が主人公」の新しい日本をめざす党綱領の立場にたってこそ、財政危機打開でも展望が見えてまいります。消費税増税に頼らなくても、社会保障と暮らしを良くする財源をつくり、財政再建をすすめる道が見えてくるではありませんか。私たちは、ここに確信をもって、日本が直面するこの大問題を解決するために、政策的探求でも、国民のみなさんと共同してのたたかいでも、新たな知恵と力をつくす、その決意を申し上げたいと思います。(大きな拍手)

米軍基地問題をどう解決するか――軍事力でなく外交力こそが問われる時代

沖縄県民の総意を、いかにして日本国民全体の総意にしていくか

 米軍基地問題をどう解決するかも、日本の政治が直面する大問題です。

 5月28日、民主党政権は、沖縄県民の頭越しに、普天間基地の「辺野古移設」を決めた「日米合意」を結びました。しかし、沖縄県民との矛盾はいよいよ拡大し、参議院選挙に大敗するもとで、民主党政権は、行き詰まりと混迷を深めています。

 8月末までに予定されていた新基地建設の青写真づくりも、予定通りすすむ状況ではとうていありません。仲井眞知事は、「(移設先の)名護市長の反対を押し切ってやるには『ブルドーザーと銃剣』と言われた(米軍による戦後の土地強制収用の)方法しかない。今の日本でそんなことがやれるとは、ゆめ思わない」と言明しました。「県内移設」では沖縄県民の合意は絶対に得ることができないことは、あまりにも明らかです。

 7月9日、沖縄県議会では、「辺野古移設」の「日米合意」見直しを求める決議が全会一致で採択されています。決議では、「日米合意」についてこう糾弾しています。「『県内移設』反対という沖縄県民の総意を全く無視するもので、しかも県民の意見を全く聞かず頭越しに行われたものであり、民主主義を踏みにじる暴挙として、また沖縄県民を愚弄(ぐろう)するものとして到底許されるものではない」。こうしたきびしい言葉で「日米合意」を糾弾し、その見直しを強く求めています。

 普天間基地の閉鎖・撤去、「県内移設」反対という沖縄県民の総意は、いよいよ強固なものとなっています。

 わが党は、普天間基地問題の解決の方法は、移設条件なしの撤去――無条件撤去を求めてアメリカと本腰の交渉をおこなう以外にないと一貫して主張してきましたが、この声が沖縄県民のなかで多数の声となりつつあるのも心強いことであります。

 問題はどこにあるでしょうか。それは、「基地のない沖縄」を願う沖縄県民の総意を、いかにして日本国民全体がわがこととして支持し、日本国民全体の総意にしていくか。ここに問題があるのではないでしょうか(拍手)。沖縄と本土が心を通わせ、連帯したたたかいを発展させることが、いま強く求められているし、そのために頑張ろうではないかということを、訴えたいと思うのであります。(大きな拍手)

「抑止力」でなく、 東アジアに平和的環境をつくる外交力こそ必要          

 私は、そのカギとなるのが「海兵隊は抑止力として必要」という議論を、国民的に打破していくことにあると思います。すでに沖縄では、この議論は通用しません。これを国民的に通用しない議論にしていく必要があります。

 私たちは、選挙戦での論戦でも、沖縄の海兵隊の実態は「日本を守る抑止力」などではなく、その展開先がイラクやアフガニスタンであることが示すように、日本と沖縄を根城に海外に攻め込む「侵略力」にほかならないと批判してきました。北朝鮮問題や中国の「脅威」なるものを、「抑止力」の根拠にする議論にたいしても、これらに「抑止力」という戦争手段で対抗するのは、危険きわまりないだけでなく、まったく現実的でもないと批判してきました。これらの論戦は、真実をつく論戦だったと思います。

 選挙直後に、アメリカから新しい動きが伝えられました。米紙「ウォール・ストリート・ジャーナル」7月12日付は、「普天間基地の追い出しを模索する沖縄の人々に著名で新たな助っ人がワシントンに現れた」という書き出しで始まる記事を掲載しました。この記事によりますと、米下院の大物議員、バーニー・フランク下院金融委員長が、テレビやラジオの番組で、こう語ったといいます。「海兵隊がいまだに沖縄にいる意味がよくわからない」、「沖縄の海兵隊が今後、中国本土に上陸して、何百万もの中国軍とたたかうことになるとは誰も思っていない」、「沖縄に海兵隊は必要ない。海兵隊は65年前に終わった戦争の遺物にすぎない」(笑い)、いいことをいうじゃありませんか(拍手)。フランク議員の名前は、日本語では“率直”という意味になります(笑い)。この記事では、“その名の通りの率直な発言で知られる議員”と書かれていましたが、アメリカにも気骨のある方がいるなと思って、この記事を読んだしだいであります。

 私たちは、「海兵隊は抑止力」という議論が虚構であることは明らかだと考えています。同時に、それでもこういう声があるかもしれません。日本のまわりの北東アジアの情勢、北朝鮮の行動などをみると、「沖縄の人たちには気の毒だが、やはり日本の平和のために海兵隊は必要なのではないか」、「撤去といっても現実性がないのではないか」。こういう声もあるのではないでしょうか。

 私は、これらの不安をもつ方々にさらに訴えたい。いま日本に求められているのは、「抑止力」というきな臭い戦争手段でなくて、東アジアに平和的環境をどうやってつくるかという外交戦略であり、それを実行する外交力ではないか、そのことを訴えたいのであります。(「そうだ」の声、拍手)

 東南アジアではすでにASEAN(東南アジア諸国連合)という平和の共同体がつくられ、紛争の平和解決のために現実に大きな力を発揮しています。ASEANが中心になってつくられた東南アジア友好協力条約(TAC)には、今年、カナダ、トルコが加入し、EU(欧州連合)の加入によって、加入国は54カ国、世界人口の約7割が参加するまでに広がります。しかし、北東アジアを見ますと、なお紛争と緊張の要因が残されていることも事実であります。東南アジアで起こっている平和の流れを、いかにして北東アジアに広げるか。そのための外交戦略として、私はつぎの三つの視点が大切ではないかと考えます。

 一つは、「軍事には軍事」という軍事的緊張の拡大と悪循環は、いかなる形であれきびしくしりぞけるということです。たとえば韓国の哨戒艦沈没事件にたいして、米韓は大規模な合同軍事演習をおこなうという対応をとり、日本の自衛隊が初めて米韓軍事演習にオブザーバーという形で参加しました。こうした「軍事には軍事を」という緊張の悪循環はきびしくいましめ、紛争の平和的解決に徹するという態度をとるべきではないでしょうか。(「よし」の声、大きな拍手)

 二つは、対話と信頼醸成、紛争の平和解決のための枠組みを発展させるということです。私たちは、困難はあっても「6カ国協議」を再開、成功させ、核、拉致、ミサイル、歴史問題などの諸懸案の解決をはかり、この枠組みを北東アジアの平和と安定の枠組みに発展させることが重要だと主張しています。

 くわえて、ASEAN地域フォーラム(ARF)という枠組みが、いま興味深い発展をしています。これは対話と信頼醸成の枠組みなのです。7月23日、ハノイで、北朝鮮も含めて27カ国・機構の代表が参加して、第17回ASEAN地域フォーラムがおこなわれました。中断している「6カ国協議」のすべての参加国が激しく意見をぶつけながらも同じテーブルについて話し合い、哨戒艦沈没事件の平和的解決などを明記した議長声明を発表しました。まずは信頼醸成を、つぎに予防外交を、そして紛争解決を、そのためにもみんながまず話し合いのテーブルにつこうというのがASEAN地域フォーラムの精神でありますが、こうした枠組みを発展させることも、大切ではないでしょうか。

 三つは、日中両国は「戦略的互恵関係」を確立し、米中両国も「戦略的パートナーシップ」を確立し、それぞれが経済関係、人的交流をいよいよ深化させています。中国は、米国債の最大の保有国ですし、日本にとっては最大の貿易相手国となっています。これらの国と国との戦争は決しておこしてはならないし、もはやおこせないことは誰の目にも明らかではありませんか(「そうだ」の声、拍手)。そうであるならば、その現実にたって軍事力で対抗する思考からの脱却をはかるべきではないでしょうか。(「その通り」の声、大きな拍手)

 日本政府は、「抑止力」という戦争手段の呪縛(じゅばく)から抜け出し、北東アジアに平和的環境をつくるこういう外交戦略をもち、そのための平和外交の努力こそはらうべきであります(「そうだ」の声、拍手)。日本はその羅針盤となるすばらしい宝物を持っているではありませんか。日本国憲法9条であります(拍手)。憲法9条こそ日本と東アジアに平和と安定を築く最良の力なのであります。(大きな拍手)

世界の大きな流れにたって ――日米安保条約の是非を正面から問うとき

 さらに、私は、日米安保条約改定から50年のいま、日米安保条約は未来永劫(えいごう)につづく枠組みなのか、そのことの是非を正面から問うべきときだと考えています。

 すでに沖縄では、この条約をつづけることの是非が県民的な大問題になっています。沖縄県民を対象におこなわれた世論調査では、日米安保条約について、「維持すべきだ」と答えた人はわずか7%にまで落ち込み、「平和友好条約に改めるべきだ」「破棄すべきだ」は合計で68%となりました。(拍手)

 アメリカからも注目すべき発言が伝えられました。今年4月15日にアメリカの上院外交委員会での公聴会で、ジョージ・パッカード米日財団理事長がおこなった発言であります。パッカード氏は、日米安保条約のこれまでの歴史には肯定的な評価をあたえつつも、つぎの五つの理由をあげ、「この条約が無期限の未来までつづくことはできない」ことを上院外交委員会に提起しています。

 「第一に、1952年のオリジナルな条約、旧日米安保条約は、戦争の勝者と敗者、戦勝国と被占領国との間の交渉で結ばれたものであって、二つの主権国家の間で結ばれたものではなかった」。

 「第二に、日本は、歴史を通じて一度も外国軍を自国に受け入れざるを得ない経験をもたなかったが、戦争終結から65年たった今日なお、10万人近い米軍、軍属、その家族の無期限の駐留を、カリフォルニア州より小さな国の中の85カ所の施設(基地)に受け入れざるを得ない状況に置かれてきた。米軍の75%は琉球列島の一部の小さな島沖縄本島に駐留している」。

 「第三に、米軍のこのような大きな駐留の継続は、環境破壊、市街地や歓楽街での犯罪、事故、騒音をもたらしている」。

 「第四に、米軍のプレゼンスは米軍地位協定によって規定されているが、この協定は日本の国会の(まともな)承認を受けたことはなく、心ある日本人の間では、19世紀のアジアにおける西洋帝国主義の特徴だった治外法権の延長だとますますみなされるようになっている」。(「そうだ」の声、拍手)

 「第五に、(駐留米軍へのコスト負担は)年間43億ドルに達し、(その一部は)『思いやり予算』と呼ばれているが、これは双方にとって気まずい思いをさせる言葉だ」。(笑い)

 そしてパッカード氏は、こう結論づけています。

 「日本の新しい世代が、自国に置かれた外国軍の基地を我慢しなければならないのか疑問を強めるであろうことは、まったく当然である。米国は、韓国、ドイツ、フィリピンで、駐留規模を縮小してきた。新しい世代の日本人がこのような状況で不満を募らせることは、驚くべきことでも何でもない」。

 みなさん。ここには、私たちが、1月の党大会決定で、日米軍事同盟の「他に類のない異常な特質」として告発した内容と、大きく重なり合う認識がのべられています。パッカード氏が日本共産党の大会決定を読んでいたわけでないと思いますが(笑い)、くもりのない目で見れば同じ結論に達するのではないかと思います。こうした発言が、アメリカの上院の外交委員会という公式の場でなされたことの意味は小さくないのではないでしょうか。

 さらに世界に大きく目をむけてみたいと思います。私たちが大会決定で明らかにしたように、この半世紀で、軍事同盟のもとにある国の人口は、世界人口の67%からわずか16%にまで激減しました。軍事同盟は、21世紀の今日の世界で、「20世紀の遺物」というべき、博物館入りの運命にある、時代錯誤の存在となっているのであります。

 私たちは、今年5月、ニューヨークで開催されたNPT(核不拡散条約)再検討会議に出席し、被爆国の政党として、「核兵器のない世界」にむけて会議が成功することを願って要請の活動をおこないました。そこで強く実感したのは、この会議で重要な役割をはたしているのは、いわゆる「先進国」や「大国」だけではないということです。

 会議成功の要として大きな役割をはたしたカバクチュランNPT議長はフィリピンの練達の外交官です。再検討会議で最も重要な核軍縮問題を担当した第1委員会のシディヤウシク委員長はジンバブエの外交官です。会議成功のために奔走したドゥアルテ国連軍縮担当上級代表はブラジルの外交官です。コスタリカという人口が約460万人の小さな国が提案している核兵器禁止条約が、世界に大きな影響をあたえていました。途上国や新興国といわれる国々の外交官が、実に生き生きと、また堂々と、核兵器大国を相手に、「核兵器のない世界」への決断を迫って渡り合い、歴史的な国際会議成功のために奮闘する姿に接し、私たちは強い感銘を受けました。

 世界は大きく変わっているではありませんか。軍事同盟は過去のものになりつつあります。そして、21世紀の世界は、もはや少数の「大国」が動かす世界ではありません。すべての国々が対等・平等の資格で、世界政治の主人公になる。それが21世紀の世界であります。こういう世界にあって重要なのは、国の大小ではありません。経済力の大小でもありません。ましてや軍事力の大小ではありません。その国がどういう主張をしているかによって国の値打ちがはかられます。世界の道理にたった主張を貫くならば、国の大小にかかわらず尊敬されます。自分の主張のない国は相手にされません(笑い)。軍事力でなく、外交力こそが何よりも大切になっている。これがいま私たちが生きている21世紀の新しい世界の姿なのであります。(大きな拍手)

 こういう世界にあって、わが日本政府はどうでしょう。政権が代わってもあいかわらず軍事同盟を神聖不可侵な存在として絶対視し、何かというとすぐ軍事で身構え、外交の主張はありません(「はずかしい」の声)。こんな日本でいいのかが、根本から問われているのではないでしょうか。(「その通り」の声、拍手)

 みなさん。日米安保改定50年の今年、世界の大きな流れに立って安保条約の是非を正面から問いなおす国民的議論を大いにおこそうではありませんか(「そうだ」の声、大きな拍手)。東アジアに平和的環境をつくりあげていく平和外交と一体に、日米安保条約廃棄の国民的合意をつくりあげていくために、ともに力をつくそうではありませんか。(「よし」の声、大きな拍手)

 日本共産党のアメリカに対する態度は、けっして「反米」ではありません。ただすべきは、「異常な支配・従属関係」であり、日米安保条約を廃棄し、それに代えて、日米友好条約をむすび、「対等・平等・友好の日米関係」を築く、これが私たちの目標であります。それはイギリスの植民地支配からの解放を求め、革命によって独立をかちとったアメリカ合衆国の建国の精神とも深く響き合うものがあるというのが、私たちの確信であります。(拍手)

どんな波乱のもとでも革新的未来への確信にたって

 みなさん。日本共産党の88年の歴史には、たんたんと成長したという時期は一つもありません(笑い)。いつのまにかどんどん大きくなっていたという時期はないのです(笑い)。そこには大小無数の波乱や曲折があります。しかしどんな波乱や曲折のもとでも、私たちの先輩は、革新的未来への展望と確信をもって奮闘してきました。歴史の開拓者としての気概をもち不屈にたたかいつづけてきました。ここにわが党の誇るべき歴史と伝統があります。

 1922年に創立された日本共産党は、生まれた最初のときから、当時の資本主義の国ぐにのなかでも最も苛烈(かれつ)な抑圧にさらされました。多くの先輩たちが弾圧によって命を落としました。その抑圧のなかでも、私たちの先輩たちが命がけで掲げ続けた国民主権と反戦平和の旗印が、戦後、日本国憲法の土台となり、今に生きる生命力を発揮していることは、私たちの大きな誇りとするところであります。(大きな拍手)

 戦後、ソ連、中国による干渉によって党が分裂させられ、その苦難を乗り越えるなかでわが党が自主独立の路線を確立し、綱領路線の土台を築き、さらにソ連、中国・毛沢東派という覇権主義の勢力による乱暴で野蛮な干渉攻撃をはねのけて、日本の運動の自主性を守りぬいたたたかいも想起したいと思います。1950年代から60年代にかけてのこれらのたたかいは、世界に類をみない、勇敢で理性的なたたかいであり、今日の私たちはこの時代の先輩たちの苦闘と開拓の歴史によって支えられていることを、決して忘れてはならないと思います。(大きな拍手)

 さらに、1970年代の日本共産党の躍進を恐れた反動派が、陰謀的な反共大キャンペーンをおこない、それをてこに1980年に「社公合意」――社会党と公明党の合意、安保肯定、日本共産党排除の協定が結ばれたときにも、わが党は、革新の旗を高く掲げ、全国革新懇という無党派の方々との共同の道を切り開きました。「社公合意」は、わが党以外のすべての政党を、「二つの異常」を特徴とする自民党政治の土俵に組み込む一大転機となり、国会は、「日本共産党をのぞく」という体制で覆われました。日本共産党以外のすべての政党が「二つの異常」の土俵に乗っかってしまったのが30年前です。しかし、それから30年たったいま、さまざまな延命措置をほどこしても、この古い土俵そのものがいよいよ行き詰まり、深い閉塞状況に包まれているではありませんか(「その通り」の声、拍手)。いま日本は、歴史の大局から見れば、新しい政治を生み出す「前夜」というべき時期にさしかかっているのであります。(大きな拍手)

 そしてそのときに私たちは、幾多の波乱の体験をふまえ、21世紀の世界と日本社会の現状を根本からとらえてつくりあげた党綱領を持っています。未来に向かっての確固とした展望と方針を持っています。この展望が国民多数のものになるならば、それは必ずや日本の社会と歴史を動かす巨大な力となって働く。これが私たちの確信であります。この展望を国民みんなのものとして、「国民が主人公」の民主的政権――民主連合政府への道を開こうではありませんか。(大きな拍手)

 みなさん。多くの国民が、新しい政治への展望を真剣に求めている“探求の時代”に、綱領を手に展望を語り、日本の未来を語り合おうではありませんか。そのとりくみのなかで、この時代を前にすすめるにふさわしい強く大きな党を、私たちは何としてもつくりたい。そのことへのご協力も心からお願いするものです。(「よし」の声、大きな拍手)

 以上をもって講演を閉じさせていただきたいと思います。

 日本共産党創立88周年万歳(「万歳」の声、拍手)。ありがとうございました。(歓声、割れるような大きな拍手)