2006年10月4日(水)「しんぶん赤旗」

志位委員長の代表質問

衆院本会議


 日本共産党の志位和夫委員長が、三日の衆院本会議でおこなった安倍晋三首相の所信表明演説に対する代表質問の大要は次の通りです。


首相の歴史認識を問う――靖国史観、「村山談話」、「従軍慰安婦」談話について

 日本共産党を代表して、安倍首相に質問します。

 まず、歴史問題への態度についてです。小泉前首相は、靖国神社への連続参拝に固執するなど、日本の過去の戦争への無反省の行動をつづけることで、アジア外交を八方ふさがりに追い込みました。安倍首相が、この誤りを継承せず、大本からの転換をはかることを、多くの日本国民が願い、アジアの諸国民も強くのぞんでいます。私は、首相の歴史認識について、端的に三つの点をただすものです。

 第一は、靖国神社がたっている歴史観――靖国史観にどういう態度をとるのかという問題です。靖国神社は、その境内にある軍事博物館――遊就館の展示が示すように、日清・日露戦争から、中国侵略戦争、太平洋戦争にいたる過去の戦争のすべてを、「アジア解放、自存自衛の正しい戦争」だとする歴史観、戦争観にたっています。首相は、この神社の戦争観を、是とするのか、非とするのか。

 私は、かりに首相が、靖国史観を是とするなら、戦後世界秩序の土台を否定するものとして、首相の職責をになう資格がなくなると考えます。反対に、首相が、靖国史観を非とする――「神社の立場と、自分の立場は違う」というなら、この神社への参拝は中止すると言明すべきであります。

 昨年七月、民放テレビでの安倍さんとの一対一の対論で、私が、この問題をただしたのにたいして、安倍さんの答えは「歴史が判断するだろう」というものでした。しかし、日本の過去の戦争が、領土拡張と他国支配をめざす侵略戦争であったことは、すでに六十一年前に世界史の審判がくだったことではありませんか。

 首相という地位についた以上、日本が国家として犯した誤りについて、「歴史が判断するだろう」などというごまかしをつづけることは許されません。明確な答弁を求めます。

 第二は、日本政府がこれまで公式に明らかにしてきた歴史認識に、首相がどういう態度をとるのかという問題です。日本政府は、戦後五十年にあたる一九九五年に「村山談話」を出しています。そこでは、「わが国は、遠くない過去の一時期、国策を誤り、戦争への道を歩んで国民を存亡の危機に陥れ、植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました」として、「痛切な反省」と「心からのお詫(わ)びの気持ち」をのべています。

 この談話は、私たちから見ますと不十分な点もありますが、政府の歴史認識の重要な到達点でした。ところが安倍首相は、これを継承すると明言せず、「歴史的な談話」とのべるにとどまっています。

 首相にうかがいたい。首相は、「村山談話」を継承し、首相自身の歴史認識にすえるのかどうか。とくに、「村山談話」で明記されている「国策を誤り、戦争への道を歩んだ」という認識を共有するのかどうか。明確に答弁していただきたい。

 第三は、「従軍慰安婦」問題についての日本政府の公式見解に、首相がどういう態度をとるのかという問題です。日本政府は、一九九三年の「河野官房長官談話」で、「慰安所の設置、管理及び慰安婦の移送については、旧日本軍が直接・間接に関与した」こと、「慰安所における生活は、強制的な状況の下での痛ましいものであった」ことを公式に認め、「心からのお詫びと反省」をのべるとともに、歴史教育などをつうじて、同じ過ちを決して繰り返さない決意を表明しました。

 ところが首相は、一九九七年の国会質疑で、「河野談話の根拠は崩れている」と主張し、「修正」まで要求しています。いまでも首相は、「河野談話の根拠は崩れている」という認識なのでしょうか。はっきりお答え願いたい。

 朝鮮半島などから本人たちの意思に反して集められた従軍慰安婦の問題が、旧日本軍が関与した非人道的な犯罪行為だったことは、日本政府自身の調査で明らかになったことです。それを覆すことは、絶対に許されません。

 私は、先月上旬、初めて韓国を訪問し、国会議長、与野党のリーダーなど、韓国政界の方々と広く交流する機会を得ました。日本帝国主義によって三十五年間にわたり植民地とされた屈辱と怒りは、たいへんに深いものがあると痛感いたしました。同時に、韓国の方々が、日本との本当の友好を強く求めている、そのためにも日本政府が歴史の事実をわい曲することはやめてほしいと切実に願っていることも痛感しました。

 たとえそれが目をそむけたくなるものであっても、日本は、過去に誠実に向き合い、誤りを真摯(しんし)に認めてこそ、本当に心通う友人をアジアに得ることができます。安倍首相が、その立場にたつことを、私は、強く求めるものであります。

憲法改定――「海外で戦争をする国」をつくることが目的か

 つぎに憲法改定についてうかがいます。

 首相は、所信表明演説で、現行憲法でも集団的自衛権が行使できるよう、「個別具体的な例に即して研究していく」とのべました。それはどういう内容なのでしょうか。首相は、今年八月の講演で、イラクでの自衛隊の活動にふれ、「一緒に活動している外国の軍隊にたいして攻撃がなされたら、その状況を黙って見ていなければならないのか」「真剣に考えなければならない」とのべています。

 最近の著作では、「軍事同盟というのは“血の同盟”です。……しかし今の憲法解釈のもとでは、日本の自衛隊は、少なくともアメリカが攻撃されたときに血を流すことはない」とのべています。そこで憲法解釈を変え、イラク戦争などでアメリカが攻撃されたときに、ともに血を流す、文字通りの“血の同盟”にする――これが首相のいう「個別具体的な研究」の内容なのですか。

 そもそも集団的自衛権の行使とは、日本が武力攻撃を受けていなくても、アメリカが戦争状態に入ったら、ともに戦争をたたかうということにほかなりません。首相は、「五年をめどに憲法改定を実現したい」とのべていますが、結局、首相がいう憲法改定の目的は、「アメリカとともに海外で戦争をする国」をつくることではないのですか。答弁を願いたい。

 日本共産党は、憲法を変え、日本を「戦争をする国」につくりかえる動きに断固として反対し、日本が世界に誇る憲法九条という宝を守り抜くために力をつくすものです。

教育基本法改定――首相の教育観の根本を問う

 つぎに教育基本法改定について質問します。

 政府の改定案は、「愛国心」を国民に強制し、憲法が保障した内心の自由を侵害するとともに、国家の教育への介入を無制限にし、憲法が保障した教育の自由と自主性を蹂躙(じゅうりん)するという、二重の問題点をもつものです。私は、今日は、首相の教育観の根本について、具体的にうかがいたいと思います。

 一つは、九月二十一日、東京地裁が、東京都でおこなわれている「日の丸・君が代」の強制について、違憲・違法であるとの判決を下したことについてです。東京都では、卒業式や入学式などで、常軌を逸した「日の丸・君が代」の強制がおこなわれ、それに従わない教職員を処分するという異常な事態がおこっています。

 東京地裁判決では、国旗・国歌を尊重することは当然だとしつつも、「日の丸・君が代」はその歴史的経緯から反対する国民も少なからずいること、日本国憲法は相反する世界観、主義・主張の相互の理解を求めており、一律に個々人に強制することは、思想・良心・内心の自由を保障した憲法一九条に反し、また教育への国家権力の「不当な支配」を排除した教育基本法第一〇条に反するものだと断罪しました。これは、良識ある当然の判決だと思います。

 政府はこれまで東京都でおこなわれている「日の丸・君が代」の強制について、「適切な判断」と擁護してきましたが、この態度をあらためるべきではありませんか。首相の答弁を求めます。

 いま一つは、首相のいう「教育再生」についてです。首相は、全国いっせい学力テストをおこないその結果を公表すること、学校選択制を全国に広げること、国が全国に監査官を配置して学校と教員を監視・評価すること、国が「良い学校」と評価した学校には予算を配分するが、「悪い学校」と評価した学校は廃校にするなどの方策を実行するとしています。

 ここに流れているのは、子どもたちをいっそう激しい競争に追いたて、いわゆる「できる子」と「できない子」にふるいわけをする。国が教育内容に無制限に介入し、教育を国家の統制のもとにおくという考えです。

 しかし、こうした考え方こそ、日本の教育を荒廃に追いやった元凶ではないでしょうか。国際的な学力調査で連続的に世界一になっているフィンランドでは、競争主義を教育から一掃したこと、学校と教師の自由と自律性を尊重していること、少人数学級など行政が本来なすべき分野で責任を果たしていることが、教訓とされています。この経験にこそ学ぶべきではありませんか。首相の教育についての見識をうかがいたいと思います。

格差社会と貧困の広がりに、政治がどう対応するか

 最後に、格差社会と貧困の深刻な広がりに、政治がどう対応するかについて質問します。首相は、所信表明演説で、「再チャレンジ可能な社会」を強調しましたが、その中身は何も見えませんでした。

 先日、NHKスペシャルでも特集をしていましたが、いま「ワーキングプア」――まじめに働いているのに生活保護水準以下の暮らししかできない人たちが、日本の全世帯の十分の一、四百万世帯ともそれ以上ともいわれるまでに広がっています。都会の若者の場合、二十代まではアルバイトなどで仕事が見つかっても、三十代になると働き口がなくなり、収入が途絶えたとたんに家を失い、路上生活を始めざるをえないという状況があります。

 「ワーキングプア」問題を取材したリポーターは最後にこういいました。「こういう人たちに対して『努力が足らない』という人がいます。しかし、取材に応じてくれた人のなかに、努力をしない人、意欲がない人は一人もいませんでした」

 首相は、こういう深刻な事態をいったい誰がつくったと認識しているのですか。派遣労働を自由化するなど、人間らしい労働のルールを破壊してしまった自民党政治の責任が問われていると考えませんか。その反省抜きに「再チャレンジ」というのは、まちがった政治の責任を、国民の自己責任に転嫁する卑劣な議論ではありませんか。

 こんな小手先のごまかしでなく経済政策の根本的な転換が必要です。人間らしい労働のルールをつくる。国民が誰でも安心して暮らせる社会保障の充実をはかる。庶民への増税・消費税増税を中止し、空前のもうけをあげている大企業にもうけ相応の負担を求めるべきです。首相の答弁を求めて質問を終わります。