2005年5月5日付「しんぶん赤旗」

改憲反対―国民の心にとどけきろう

憲法集会での志位委員長の発言

大要


 憲法記念日の三日、東京・日比谷公会堂で開かれた「2005年5・3憲法集会」(同実行委員会主催)で、日本共産党の志位和夫委員長がおこなったスピーチ(大要)を紹介します。

 お集まりのみなさん、こんにちは(「こんにちは」の声)。ご紹介いただきました日本共産党の志位和夫でございます。(拍手)

 きょうは会場いっぱいの方に加えて、外では大型スクリーンでたくさんの方がたがご覧だとうかがいました。たいへん感激しております。私は日本共産党を代表してみなさんにごあいさつを申し上げるものであります。(拍手)

戦後六十年―侵略戦争への反省と真の「和解」への努力こそ必要      

 今年は、第二次世界大戦が終結して六十年目の歴史的節目の年です。私は、この年に迎えた憲法記念日は、とりわけ深い意味を持っていると思います。

 いま国際社会は、戦後六十年をどのように迎えようとしているでしょうか。

 昨年十一月、国連総会は、「第二次世界大戦終結六十周年を記念する決議」を、コンセンサス(総意)で採択しています。この決議では、ドイツの降伏記念日である五月八日と九日を「記憶と和解の日」と宣言し、つぎのようによびかけています。

 「すべての加盟国、国連システム諸組織、非政府組織、個人が第二次世界大戦のすべての犠牲者に敬意を表するために、適切なやり方で、この両日の一方もしくは両方を毎年祝うように勧奨する」

 なぜドイツの降伏記念日が、第二次世界大戦終結の記念日とされたのか。またなぜ戦争の「記憶」だけでなく、「和解」の象徴の日とされたのか。その背景には、ドイツが過去の侵略戦争にたいする徹底した反省によって、フランスをはじめ近隣諸国との間で本当の「和解」をなしとげ、それが国際社会全体に認められたという事実があります。

 それでは日本ではどうでしょうか。かつての日本軍国主義による侵略戦争でたいへんな犠牲と苦痛を与えたアジアの諸国と真の「和解」がなしとげられたとはとうていいえません。それどころか、この記念すべき年に、日中、日韓をはじめ、日本とアジア諸国との国民的関係が、これまでになく悪化するという事態におちいっていることは、胸が痛むではありませんか。

 その原因はさまざまですが、根本にはかつての侵略戦争を「正しい戦争だった」と肯定・美化する動きが、日本政府や一部政治家などのなかでおこっている、ここにあることは明りょうです(拍手)。こんなことが日本でまかりとおっていることは、国連総会決議にしめされた世界の姿からみて、まったく異常なことです。

 小泉首相は、四月にジャカルタで開催されたアジア・アフリカ首脳会議で、「反省とおわび」の言葉をのべました。しかし問題は、言葉と行動が矛盾していることではないでしょうか(「その通り」の声、拍手)。「反省とおわび」を口にするなら、靖国神社参拝や歴史をゆがめた教科書問題など、侵略戦争を肯定・美化する行動をやめるべきです(拍手)。そして過去の侵略戦争への真剣な反省にたって、アジア諸国との真の「和解」のために努力する――八月十五日もまた「記憶と和解の日」となるように力をつくすことこそ、戦後六十年の記念すべき年に、政治に責任を負うべきものの務めだと考えるものであります。(拍手)

 そして日本国憲法とのかかわりで考えますと、憲法九条というのは、あの戦争の反省のうえにつくられたものです。「二度と戦争はしない」「戦力は持たない」と世界とアジアに誓った国際公約≠ナあります。私は、九条を守りぬき、生かすことこそ、日本がアジア諸国と本当に心かよう「和解」をなしとげ、子々孫々にわたって平和・友好の関係を築くうえで、最もたしかな保障だと考えるものであります(拍手)。そのために力をあわせようではありませんか。(大きな拍手)

イラクのような戦争で米軍とともに武力行使を―改憲推進勢力の本音

 憲法改定の動きとのたたかいは、憲法九条を焦点として新たな重大な段階を迎えています。なぜいま改憲か、なんのための改憲か。それを進めている当事者たちの二つの発言を紹介したいと思います。

 一つは、一昨年十一月、自衛隊をイラクに派兵する決定を政府がおこなった直前に、当時の福田官房長官とベーカー駐日大使がかわしたやりとりであります。最近になって読売新聞がつぎのような生々しい内幕を報じました。

 「福田『自衛隊はできるだけ早く派遣するが、憲法の制約もある。現地の情勢次第では撤退もあり得る』

 ベーカー『米国は今、苦しい時だ。こんな時こそ日本には協力してほしい。日本はそんな変な憲法を持っているのか』(会場は爆笑)

 福田『もともと米国が作った憲法じゃないか』」(会場は爆笑)

 もう一つは、大野防衛庁長官の発言です。長官就任のさいのインタビューで、改憲をしないとどんな支障があるのかと問われて、大野長官はこう答えています。

 「イラクに自衛隊を派遣する場合、非常に制約がともなう。そこにいる他国の軍隊がテロリストに攻撃を受ける場合、手をこまぬいていていいのか」

 彼らのいうイラクでの「憲法の制約」とは何か。小泉内閣はイラクに自衛隊を派兵しました。しかし憲法九条があるおかげで「戦闘地域にはいきません」「武力の行使はいたしません」「人道復興支援です」「後ろの方で給水しているだけです」(笑い)。こういう言い訳をしなければならない。こういう「歯止め」ががっちりかかっているんですね。彼らはなんとしてもこの「歯止め」をとりはらいたい。つまり、イラクのような戦争で米軍とともに武力行使ができる自衛隊にしたい――ここに九条改憲の目的があることが、それを推進している日米両国の当事者たちの口から正直に語られているではありませんか。

 日本が戦争国家になっていったいだれが喜ぶというのか。喜ぶのはごく一握りのアメリカの戦争派だけです(拍手)。いま世界に目をむければ、「戦争のない世界」をめざす人類史上空前の波が起こっています。この二十一世紀に、世界に誇る日本の宝・憲法九条を投げ捨てることが、どんなに愚かな行為であり、それがどんなに日本の信頼を失墜させ、惨めな孤立に導くものとなるかは、火を見るより明らかではないでしょうか。(拍手)

「自衛軍(隊)」と書き込んだとたんに、海外での武力行使が可能になる

 ただみなさん。改憲勢力は、ベーカー大使や大野長官のように、その目的をあからさまに語ることはあまりないのです。彼らはこういうふうにいうのです。

 「憲法九条と現実との間に乖離(かいり)がある。だから九条二項を直して、自衛軍(隊)を保持できると書き込もう」

 これが改憲勢力の共通した主張となっています。もしもこれを許したらどうなるか。その結果は、「自衛隊の現状をただ憲法に書くだけ」ということにとどまりません。九条全体をだいなしにする、恐るべき結果になります。

 戦後、自民党政府は、憲法九条を踏みにじって自衛隊をつくり、世界有数の軍隊に育て上げました。そのさい、政府が考え出した理屈はこういうものでした。

 「自衛隊は、わが国の自衛のための必要最小限度の実力組織だから、憲法九条が保持することを禁じた戦力にあたらない」

 これがどの世界でも通用しない詭弁(きべん)であることは明らかです。しかしともかくも、「自衛隊は戦力ではない」という建前をたててしまったために、自民党政府はやりたくてもやれないことができてしまいました。

 国連平和協力法案が議論になった一九九〇年の国会で、当時の内閣法制局長官が、「自衛隊は戦力ではない」という建前から出てくる結論として、三つのことをのべています。

 第一。「いわゆる海外派兵、武力行使の目的を持って武装した部隊を他国の領土、領海、領空に派遣することは、自衛のための必要最小限度を超えるものであり、憲法上許されない」

 第二。「集団的自衛権は、憲法九条のもとで許容されているわが国を防衛するための必要最小限度の範囲を超えるものなので、憲法上許されない」

 第三。「国連の平和維持活動を行う国連軍についても、その国連軍の目的・任務が武力行使を伴うものであればこれに参加することは許されない」

 「自衛隊は戦力ではない」という建前をたててしまったおかげで、この三つのことが許されないということになってしまったわけです。

 逆にいいますと、憲法に「自衛軍(隊)を保持する」と書き込んだとたんに、いまの三つのこと――海外派兵、集団的自衛権の行使、国連軍への参加、どんな形であれ海外で武力を行使することが可能になってしまう。こういうからくり≠ノなっているわけです。

 憲法に「自衛軍(隊)を保持する」と書き込むことは、日本を「海外で戦争をする国」につくりかえることに道を開くものになります。このからくり≠しっかり見破ることが、私は、いまの憲法をめぐるたたかいの要(かなめ)になっていると考えています。(拍手)

 世論調査で「憲法九条を変えることに賛成ですか」と聞けば、賛否相半ばするような結果が出ているものもあります。しかし、もしこう聞いたらどうでしょう。「海外で戦争をする国にするために、憲法九条を変えることに賛成ですか」。こういう世論調査をやりましたら、私は、国民の圧倒的多数は「反対」と答えると考えます。(拍手)

 改憲の真の狙いを国民のみなさんが知れば、国民の多数は必ずこの企てに反対するでしょう。ここに確信を持って前進しようではありませんか。(拍手)

日本国民のなかには平和への熱い思いが「地下水」のように存在している

 改憲派は国会では多数を握っていますが、国民世論の中では違います。昨年六月、日本の良心を代表する著名人の方々が始めた「九条の会」の運動は、全国各地に広がり、草の根での「会」は千五百を超えました。『サンデー毎日』の最新号では、グラビアのページで、「全国に広がる『九条の会』」と報じています。(拍手)

 「九条の会」の「広がる」力はどこにあるのか。私は、「九条の会」を呼びかけた方々が、先日開いた記者会見で語った言葉を、印象深く読みました。ある方は「九条を守ろうという熱い思いが『地下水』のように多くの日本人の中にあることがわかった」と語っています。ある方は「『九条の会』の活動を通じて『鉱脈』にあたった」と語っています。

 私たち日本国民のなかには、あんな悲惨な戦争は二度とくりかえしたくないという平和への熱い思いが、「地下水」「鉱脈」のように脈々と存在しています(拍手)。その国民の心に響く訴えを私たちがとどけきれば、憲法改悪反対の国民的多数派を結集することは必ずできます。そのために、立場の違いを超え、共同を広げるために奮闘することをお誓いいたしまして、ごあいさつといたします。(大きな拍手)