2004年5月5日(水)「しんぶん赤旗」

「5・3憲法集会」での

志位委員長の発言

(大要)


 憲法記念日の三日、東京・日比谷野外音楽堂で開かれた「5・3憲法集会」(同実行委員会主催)で、日本共産党の志位和夫委員長がおこなった発言(大要)は次の通りです。

 みなさん、こんにちは(「こんにちは」の声)。日本共産党を代表して心からの連帯のごあいさつを申しあげます。(拍手)


「殺し、殺される」となればとりかえしがつかない――ただちにイラクから撤兵を

 私たちは、今年の憲法記念日を、戦後初めて自衛隊が、戦争状態の他国に派兵されているという、重大な事態のもとでむかえました。

 戦後日本では、憲法をやぶって自衛隊がつくられましたが、今日にいたるまで自衛隊は、他国の国民をただの一人も殺していません。自衛隊の戦死者も、ただの一人も出していません。これはみなさん、憲法九条があったおかげではないでしょうか(拍手)。平和を願う国民のみなさんのたたかいの成果ではないでしょうか(拍手)。私たちはそれを誇っていいのではないでしょうか。(大きな拍手、「そうだ」の声)

 それがいま、危機にひんしています。いまイラクで米軍がやっていることを、私たちは許すわけにはいきません。ファルージャでの、女性と子どもとお年寄りへの虐殺を、私たちは許すわけにはいきません(拍手)。そしていま、世界で大問題になっている身の毛もよだつようなイラク人への虐待を、絶対に許すわけにはいきません。(拍手)

 あの無法をはたらいている米軍を応援するために、自衛隊の派兵を続けるならばどうなるか。自衛隊とイラク国民が「殺し、殺される」という、とりかえしのつかない結果を招くことになります。

 みなさん、憲法記念日の今日、目の前で行われている最悪の憲法違反、イラクへの派兵をただちに中止し、撤兵せよという声をみんなであげようではありませんか。(大きな拍手、「そうだ」の声)

国民を改憲論の土俵にむりやりのせる悪だくみ

 こうしたなか、改憲論がいま横行しております。自民党も、民主党も、公明党も、改憲の競い合いです。

 いったい憲法のどこを変えるというのか。「憲法には、あれが足らない、これが足らない」――こういう議論がずいぶんやられていますね。憲法には「環境権」が書いてないということを、環境破壊を平気でやっている勢力が(笑い)、口にだしています。憲法には「プライバシー権」がないということを、盗聴法を強行した勢力が口に出すとは(笑い)、厚顔無恥も甚だしいではありませんか。(拍手、「そうだ」の声)

 これらの権利というのは、憲法一三条の幸福追求権などで具体化できるものであり、現に国民のみなさんのたたかいによって具体化し、前進させてきた権利ではありませんか(拍手)。改憲の理由などにはなりません。これらの議論というのは、「あれが足らない、これが足らない」といって憲法に因縁をつけて、国民のみなさんを改憲論の土俵の上にのせて、土俵の上にのったら九条改悪をむりやり押しつけるという悪だくみにほかならないのではないでしょうか。(拍手、「そうだ」の声)

憲法9条改悪のねらい――米軍とともに「戦争をする国」づくり         

 それでは憲法九条を変えるねらいはどこにあるでしょうか。戦後、憲法九条というのは、歴代自民党政権によって、踏みつけられ、粗末にされてきました。しかしそれでも、憲法九条が偉大な力を発揮し、大きな役割を果たしているということを、私たちはいま、目を向ける必要があると思うのです。

 自民党政権は、これまでいろいろな海外派兵法をつくってきました。PKO法からはじまり、周辺事態法、有事法制、イラク派兵法、つぎからつぎへと自衛隊を海外に出す法律をつくってきました。しかしどの海外派兵法でも政府が建前とせざるを得なかったことがあります。それは、「海外での武力行使はできない」「海外での戦争はできない」、こういう建前です。

 あの周辺事態法をつくったとき、政府は何と言ったか。米軍が海外で戦争を始めた。この米軍にたいして自衛隊は、「前の方まで出ていっての支援はできません。後ろのほうの安全なところで支援するんだったらできる」と言った。私たちはずいぶん国会で追及しました。戦争に前も後ろもない。道路標識は立ってない(笑い)。こう言って追及したものですけれど、ともかくそれが建前でした。

 今度のイラクへの派兵法でも、「戦闘地域へは行きません」「戦争には行きません」、耳にタコができるほど聞かされた。実際に行っているのは「戦闘地域」です。自衛隊は攻撃されたら、サマワの陣地から出てこれません。まわりすべてが「戦闘地域」だということを自分で証明する行動じゃありませんか(拍手)。しかしともかくもそれが建前とされているのです。

 しかしこの建前では、自衛隊がアメリカの気に入る働きができない。そこでこの建前を取り払おう。歯止めを取り払おう。「海外での戦争ができない」という歯止めを取り払って、米軍と一緒に「戦争ができる国」にするということが、憲法九条改悪の狙いであります。(「そうだ」の声、拍手)

 みなさん、これによって取り外される歯止めは、この問題だけじゃありません。憲法九条をよりどころにしているのは、武器輸出の禁止、非核三原則、徴兵制はできない、これらもみんな九条をよりどころにしたものです。

 九条が取り払われたら、武器をどんどん輸出する武器輸出大国の日本、核兵器の配備を平気でやる日本、そして青年を徴兵制によって無理やり戦場に送る日本への重要な歯止めを失うことになります。みなさん、こんなことは許すわけにいかないではありませんか。(大きな拍手)

「押しつけ憲法」というが――憲法改悪の動きこそ米国「押しつけ」の産物

 改憲派は、憲法改悪を押しつけるためにいろんなことを言います。

 一つは、いまの憲法は「押しつけ憲法」と言うんです。「自主憲法」をつくると言うんです。いつもアメリカ言いなりで(笑い)、ブッシュ大統領の言うことをうのみにしてオウム返しにする(笑い)、それしかやらない人たちが、憲法のことになるとにわかに「自主独立派」になるというのは(笑い)、何とも奇妙な光景じゃありませんか。(拍手)

 しかしみなさん、歴史をひもとけば、一番最初に憲法改定を言い出したのはアメリカです。憲法が施行された一九四七年の次の年の一九四八年には、すでに当時のアメリカのロイヤルという陸軍長官が「覚書」を国防長官に提出しています。「日本に二十万から三十万の軍隊をつくらせるべきだ。そのために新憲法の修正が必要だ」。ここから始まったんですね。

 今度の改憲論もそうじゃありませんか。アーミテージさんというアメリカの国務副長官が、二〇〇〇年に「集団的自衛権の採用をせよ」というレポートをつくったところから始まっている。

 昔も今も、“アメリカ発”が改憲論の真相であります。「押しつけ」というなら、憲法九条の改悪の動きこそアメリカの「押しつけ」ではないでしょうか。(拍手、「そうだ」の声)

 アーミテージ氏は、『文芸春秋』に書きました。「憲法九条は日米同盟の邪魔物だ」。たしかにこの両者は両立しません。それでは、考えてみてください。二十一世紀の日本国民にとって、憲法九条と日米安保条約、どっちが「邪魔物」か。私は、二十一世紀になくすべきは九条じゃない、日米安保条約こそなくすべきだということを、訴えたいと思うのであります。

(「そうだ」の声、大きな拍手)

「古くなった」のは自民政治――憲法のすぐれた値打ち生かす国づくりを

 もう一つ、改憲派はこうもいいます。「憲法は古くなった」。とんでもない。憲法は、九条だけがすばらしいんじゃありません。人権でも、民主主義でも、私は、世界にすすんだ値打ちを持っていると思います。憲法では三十条にわたって、豊かで先駆的な人権規定が書かれております。問題は、それが政治で生かされていないことではないでしょうか。(大きな拍手)

 憲法二四条には、「男女の同権、平等」が明記されています。しかし、賃金ひとつとっても、女性は半分。この現実こそただすべきではないでしょうか。(拍手)

 憲法二五条には、「国民の生存権」が書いてあります。ところが、社会保障の切り捨てがつづき、年金の大改悪をやろうとしている。こんな政治こそたださなければならないのではないでしょうか。(大きな拍手)

 憲法一九条には、「国民の思想と良心の自由」が、はっきり書いてある。ところが学校では、「日の丸・君が代」の強制がされ、従わない先生を処分する。こんな反教育的な暴挙は許すことができません。(「そうだ」の声、大きな拍手)

 憲法二〇条には、「信教の自由と政教分離」が書いてあります。ところが、小泉首相は毎年のように靖国神社の参拝を続け、とうとう福岡地裁では、憲法二〇条違反という画期的な判決がくだったではありませんか(拍手)。それなのに小泉首相は、「どこが悪いんだか、分からない」(笑い)。みなさん、憲法二〇条というのは、あの侵略戦争が国家神道と一体にすすめられた、この反省のうえにつくった条文であります。そんなこともわからない首相では、首相の資格なしと言わねばならないのではないでしょうか。(「そうだ」の声、大きな拍手)

 憲法が古くなったんじゃありません。古くなったのは、自民党の政治であります。(「そうだ」の声、大きな拍手)

 憲法の平和の原則を守ることとともに、これを生かした平和外交こそ必要であります。(拍手)

 そして、憲法の人権、民主主義、そのすばらしい値打ちをすべて生かした二十一世紀の国づくりを、ともにすすめようではありませんか。(拍手)

 以上をもって、連帯のあいさつといたします。ともにがんばりましょう。

(口笛や指笛の音、「がんばろう」の声、長く続く大きな拍手)