2002年11月2日(土)「しんぶん赤旗」

新しい革新共闘の力ひろげ
あらかき候補を知事におしあげよう

沖縄県知事選那覇市街頭演説

志位委員長の訴え


 十月三十一日告示された沖縄県知事選で、同日午後、那覇市の県民ひろば前で、あらかき繁信候補の支持を訴えた日本共産党の志位和夫委員長の演説の大要はつぎのとおりです。


住民とともに県政を動かす立派な仕事
 
 沖縄のみなさん、こんばんは。日本共産党の志位和夫でございます(拍手、指笛)。みなさんの指笛を聞きますと、ああ沖縄にやってきたと思いますが、いよいよ県知事選挙が始まりました。

 いまお話しされた、あらかき繁信さんは、学生時代から祖国復帰運動のリーダーとして活躍され、沖縄にもどってからは医師として県民のみなさんの命と健康のため献身され、そして久米島病院を創設するなど、住民とともに県政を動かす立派な仕事をされてきた方です(拍手、指笛)。わが革新陣営が、あらかきさんという、素晴らしい候補をえたことを、喜びあいたいと思います。(拍手)

 こちらにうかがいますと、あらかき勝利への共同の輪が広がっていることを、心づよく感じます。沖縄たんぽぽの会の元会長の安里光子さんから、八十六歳とは思えないお元気な激励をいただきました。社会大衆党の心ある方々からの支援の輪も広がっています。ことし二月の名護市長選で統一候補で出られた宮城康博さんからも、あらかきさんの演説会に激励のメッセージが届けられたと聞きました。みなさん、ここに新しい沖縄の革新共闘の姿がはっきりとあるのではないでしょうか。(大きな拍手、指笛)

 みんなの力でこの共闘を広げに広げて、あらかきさんを必ず知事におしあげようではありませんか。(大きな拍手、指笛)

沖縄の21世紀の未来がかかった選挙
 
 みなさん、こんどの選挙は、二十一世紀に入ってはじめての県知事選挙です。沖縄の二十一世紀の未来がかかった選挙です。

第一の争点――

基地のない平和の道か、基地永久化の道か

 私は、その第一の争点は、やはり、「基地のない平和な沖縄」をつくる道か、新基地建設と基地永久化の道か、ここにあると思います。

 ことしは、祖国復帰三十周年の節目の年です。みなさんが祖国復帰を願った原点は、どこにあったのか。当時の琉球政府が日本政府にあてた「復帰措置にあたっての建議書」を読みますと、「復帰にあたっては、やはり従来どおりの基地の島としてではなく、基地のない平和の島としての復帰を強く望んでおります」。これが、祖国復帰の原点だったのではないでしょうか。(指笛と拍手、「そうだ」の声)
訴える志位和夫委員長=31日、那覇市

 しかし、現実は復帰三十年たって、基地の重圧にいまなお苦しめられています。

 私は、こちらにうかがうさいに、最近、県内で起こった米軍の事故・事件を調べてみましたら、命を脅かす深刻な事件が最近も次々とおこっています。七月には、名護市で、新聞の見出しですが、「パイン畑に銃弾 作業男性まで2メートル」、こういう事故が起こりました。九月には、嘉手納町で、「公園に金属片飛来 清掃作業員らヒヤリ」、こういう事故が起こりました。そして十月には、伊江島で軍用機から給水タンクが落下した。「『ドン』 不気味な破裂音 『万一直撃なら…』 恐怖に震える住民」、こう報じられました。伊江島では、物を落とす訓練はやめてほしい、せめて人間の降下訓練だけにしてほしい、こう住民のみなさんがいっても、米軍は物を落とす訓練をやめようとしない。みなさん、基地と共存しては、二十一世紀は生きていけないというのが、県民のみなさんの声ではないでしょうか。(大きな拍手、指笛)

歴史上はじめて基地を自ら受け入れようとしている現知事

 こんな現実のうえに、名護への新基地建設を許していいのかどうかが、大争点です。

 これまでの沖縄の米軍基地というのは、すべて米軍が力ずくで奪いとったものでした。戦争直後に住民のみなさんを収容所に囲い込んでの基地建設もそうでした。銃剣とブルドーザーを使っての基地拡張もそうでした。米軍が無理やり、県民から奪い去ったものばかりです。県民が自ら許した基地は一つもないではありませんか。

 それを、現知事は歴史上はじめて自ら受け入れようとしている。名護・辺野古の美(ちゅ)ら海を壊し、さんご礁を壊し、ジュゴンのすみかを壊し、ばく大な税金を投入し、二千メートルもの滑走路をつけた最新鋭の基地をつくる――こんなことを二十一世紀の、戦後半世紀以上たったこの時期に許していいのか、絶対に許すわけにはいかないではありませんか。(拍手、指笛)

「十五年期限」――二度も同じごまかしが通用するものではない

 現知事は、四年前と同じように、「十五年期限」を公約にもちだしているようですが、二度も同じごまかしが通用するものではありません。

 米国はなんといっているか。もともと、「耐用年数二百年」の基地をつくれというのが、米国の要求です。ことし六月の日米首脳会談でも、ブッシュ大統領は「期限設定は困難だ」と、はっきりいいました。ロッドマン国防次官補は「運用期限を求めること自体が間違い」だといいました。米国は基地の「期限」は論外だという立場です。

 では、政府・自民党はどうか。麻生政調会長がいいました。「十五年の期限なんかして一兆円も使う話なんか、他の国民に言わせたら『冗談いうな』となる」、「知事選で(「十五年期限の」)ごまかしがまた通用するのか」。

 自分で「ごまかし」といってるんですから、これほどはっきりしたごまかしはないではありませんか。そんなごまかしは通用しないという審判をあらかきさんへの一票でくだそうではありませんか。(大きな拍手)

元副知事の「本土移設」論は「ちむぐりさ」の心とあいいれない

 元副知事の候補者は、「岩国へ移設を」ということをいっているそうです。しかし山口県知事は「これ以上基地の機能強化は認められない」といっています。

 さきほど「革新県政の会」の代表の方から、沖縄には「ちむぐりさ(肝苦しい)」という言葉があるということをお話しされました。他の人の痛みを見ると、自らの痛みに感ずるという思いやりの気持ち、やさしい気持ち、これが沖縄県民の気持ちだというお話でした。沖縄県民が望んでいるのは、基地の苦しみを本土に押しつけることではないと思います。日本全国どこでも、こんな苦しみはもうごめんだというのが、みなさんの願いではないでしょうか。(拍手)

 沖縄の基地問題は、本土との心の通った連帯があってこそ解決します。祖国復帰運動も、沖縄県民の島ぐるみのたたかいと、本土での、私たち日本共産党をふくめた民主勢力の固い固い連帯があってはじめて、実を結ぶことができたのではないでしょうか。「本土移設」論は、この大事な連帯を大本から壊す有害無益な議論だということを、私ははっきりいわなければならないと思います。(大きな拍手、指笛)

無条件撤去で県民が団結してこそ

 みなさん、沖縄の基地問題の解決の道はただ一つです。

 あらかきさんが言っているように、普天間基地は、県内であれ、本土であれ、「たらいまわし」ではなく無条件撤去を、ここで団結しようではありませんか。(拍手)

 無条件撤去について、「現実的ではない」という声があります。しかし、それは違います。私は、「たらいまわし」こそ、現実的でないと思います。それは、那覇軍港の現実が証明しているではありませんか。那覇軍港を移設条件付きで返還するという日米両国の合意は、二十八年前に決まりました。しかしいっこうに軍港は動かない。「たらいまわし」では基地問題は解決しないのです。

 反対に那覇市では、革新市政のもとで、無条件の基地撤去を求めつづけてきた結果、復帰時には米軍基地が市内面積の30%をしめていたが、いまでは1・5%にまで縮小した。みなさん、無条件撤去で沖縄県民が固く団結し、本土とも固く団結してこそ、沖縄の基地問題を解決できる。これがもっとも現実的な道だということを、私は訴えたいのであります。(指笛、大きな拍手)

第二の争点――

県民の福祉と暮らし守る県政か、国いいなりで県民そっちのけの県政か

 みなさん、こんどの選挙の第二の争点は、県民の福祉と暮らしを守る県政か、国いいなりで県民そっちのけの県政か。ここにあると思います。

 いま小泉内閣は、医療費の値上げをはじめ社会保障だけで三兆円を超える負担増を押しつけようとしています。福祉を壊すだけでなく、経済を底無し沼に沈めるとんでもない暴挙です。こういうときだからこそ、国の悪政から住民のみなさんの暮らしを守る自治体の役割が求められているのではないでしょうか。

高すぎる国保税――冷酷な保険証とりあげ

 たとえば、高すぎる国保税の問題がたいへんです。高すぎて払えないご家庭が急増しています。滞納している世帯が全県で八万三千四百五世帯、国保に加入している世帯の三分の一です。全国最悪の水準です。

 そして滞納されている方からの無慈悲な保険証とりあげがやられています。国保の加入世帯にたいする国保証のとりあげ――短期保険証あるいは資格証明書発行割合は、沖縄県は全国ワースト3位であります。

 これはもちろん国の責任が大きい。同時に、県政の責任も重いといわなければなりません。自民・公明の県政は、政府が国保保険証を無理やりとりあげるという法改悪をやったら、その方針をそのまま実行せよと、市町村に押しつけています。何の痛みも感じない。

 国保税の負担を軽くしようという市町村の努力にたいしても、なんらまともな支援をしようともしない。市町村が国保会計を運営しています。この国保会計を応援するための県独自の財政支援は、多くの県である程度はやっています。東京では一人あたり四千百十三円の支援をやっています。全国平均でも八百八十六円の支援がやられています。ところが、沖縄県を調べてみますと、県民一人あたりの支援はたった一円。一円玉一枚。

 みなさん、保険証とりあげの県政でなくて、あらかきさんで、保険料を引き下げるために心をくだく県政に切りかえようではありませんか。(拍手)

介護保険料――減免を応援してこそ

 それから、介護保険料がたいへんです。来年四月からの引き上げで、現行の沖縄県下の平均で月額三千六百十八円が、五千三百二十四円になる。なんと一・五倍に引き上げられる。沖縄タイムスは「いま以上に全国一高い保険料になる」と書きました。保険料の減免はまったなしの課題です。この点では、県内でも那覇市、浦添市、平良市、玉城村が減免にふみだしています。

 ところが、ここでもそういう市町村の努力を妨害しているのが自民・公明の県政です。市町村が一般財源を投入して減免するのは、「支え合いの精神に反する」といって、「減免するなら、その分を他のお年寄りからとりたてろ」という国のいいなりで、市町村の減免の努力を妨害しているのがいまの県政であります。

 沖縄には、「ゆいまーる」という言葉があるとうかがいました。「支え合い」というすばらしい精神ですが、お年寄りで所得の少ない方への減免を、他のお年寄りから必ずとりたてなければならないというのが、「ゆいまーる」の精神だとは思いません。みなさんは、税金を払ってらっしゃるのです。ですから高すぎる保険料に困っている方がいたら、税でちゃんと支出して、きちんとした手あてをするのが政治の役目です。これが本当の「ゆいまーる」ではないでしょうか。(大きな拍手)

 市町村が苦労して介護保険料の減免をしているときに、それを応援するのがほんとうの県政であって、妨害するだけの県政だったらそんな県政はいらない。この点でもあらかきさんで、介護保険の保険料・利用料の減免に道を開こうではございませんか。(拍手)

乳幼児医療無料化――拡充にふみだせ

 それから、暮らしの問題で、乳幼児医療費の無料化の問題も切実です。沖縄県は、日本で一番出生率が高い県です。子どもは沖縄の希望です。それだけに子育て支援は、県もおおいに力を入れるべき課題であります。県民のみなさんの運動とむすんだ革新県政のもとで、乳幼児医療費無料化がはじめて実現し、三歳未満までのレールが敷かれました。この充実が求められています。

 この十月から、国の制度として、小さいお子さんの医療費の自己負担が三割から二割に下がりました。国もこの分野では、そういう負担軽減の道を進まざるをえない状況にあります。

 国が自己負担の割合を減らすとどうなるか。そうすると、独自の助成制度をおこなっている自治体は、自治体の負担が減ることになります。そうしましたら、お金が余るわけですから、その分を少なくとも、対象年齢の引き上げに使うべきではないでしょうか。(拍手)

 しかし、この問題を私どもの県議団が提起しましても、県は「できない」という。「できない」というが、負担軽減分もやらないというなら、お金の流用になるじゃありませんか。(拍手)

 全国各地で、これを対象年齢の引き上げに使う動きがでてきています。北海道でも日本共産党の道議団がこの問題を追及して、八億円を超える道の負担軽減の分を年齢引き上げに使えと要求しましたら、三歳未満から四歳未満に一歳対象年齢を引き上げる方向で検討が始まったそうです。みなさん、このぐらいのことをやるのは当たり前のことではないでしょうか。(指笛、大きな拍手)

 みなさん、自治体とは何のためにあるのかが、問われています。たとえ国がやらなくても、県民のみなさんの福祉と暮らしにとって必要なら独自の施策をやってこそ本当の自治体といえるのではないでしょうか。あらかき繁信さんで「自治体らしい自治体」を取り戻そうではありませんか。(大きな拍手)

第三の争点――

沖縄の経済をどう立て直すか

 第三の争点は、沖縄の経済をどう立て直すかであります。こちらにまいりますと、失業がたいへんひどい。失業率が9%を超えるというたいへんな状態です。さきほども若い方からの訴えがありました。

 私は、昨年五月に那覇で演説会がおこなわれた際に、沖縄の経済を立て直す三つの提案をいたしました。第一は、国の沖縄予算は、基地や国策などのヒモをつけない。戦後長きにわたって米軍占領下で苦難を強いられてきたわけですから、「つぐないの心」で、沖縄予算をくむべきであって、県と市町村が自由に使えるお金にするべきだという提案です。第二の提案は、地元経済の足腰を強める振興策をおこなうということ。第三の提案は、基地をなくすことこそ、もっともたしかな経済発展の展望だということであります。みなさん、この三つは、沖縄経済の発展を願っている方なら、どなたもご賛同いただけるのではないでしょうか。(指笛、拍手)

地元経済を応援する政治こそ

 地元経済のことでいいますと、やはり沖縄では、農漁業、地場産業、中小企業、地元商店街、そして観光産業などが大切です。現にある地元経済を応援する政治こそ必要だと思います。しかしみなさん、自民党政治は何をしてきたのか。応援どころか、これを壊す政治をやってきたじゃありませんか。

 たとえば、こちらでは、サトウキビは農業の中心、産業の土台でもあります。沖縄ではサトウキビというのは、生産額が百億円増えますと、その三・二倍の三百二十一億円の県内生産が増えると言われています。サトウキビというのは、農業の土台というだけではなくて、たとえば製糖産業のもとにもなっている。あるいはこの間、豊見城に行きましたら、ウージ染めというサトウキビを使った染め物がつくられていました。地場産業の土台にもなっています。ところが、キビの生産者価格は、いまやトンあたり二万円。生産費は政府の調査でも三万円です。二万円の生産者価格でどうしてサトウキビ生産を続けられるというのでしょうか。

 政府が責任をもって農産物の価格保障をおこなうのは、世界ではあたりまえのことです。国としても、県としても、安心して生産に励めるサトウキビなどの価格保障の制度をつくることを求めていこうではないかということを、みなさんに訴えたいと思うのであります。(拍手)

 みなさん、地場産業という点では、元副知事の候補者は、副知事時代に持ち出して、地元経済界からいっせいに反対されて頓挫した、「全県フリーゾーン」計画を、また持ち出していると聞きました。これはどんどん輸入自由化をやるわけですが、これをやれば、県内の農業、製造業は、壊滅的な打撃をうけることになります。

基地と経済発展は両立しない――現実がそれを示している

 米軍基地をなくすことこそ、沖縄経済発展の道であるということも、いまあらためて強調したい点であります。

 この点は、那覇新都心や北谷町のハンビータウンなど、みなさんが実感されていることだと思います。

 逆に、あの同時テロの際に、観光業を中心に県産業全体が数百億円という規模で打撃をこうむったことでも、みなさんが実感していることだと思います。それなのに、あのときに国や県はキャンセルが相次いだ原因を「風評」だと繰り返すだけで、基地の存在が原因だとは一言もいわなかった。情けないかぎりではありませんか。

 沖縄経済の発展と米軍基地とは両立しない。これは、戦後の長い歴史がはっきり証明していることです。ここでも、基地のない沖縄への道を、あらかきさんに託そうではございませんか。(大きな拍手、指笛)

沖縄における革新とは、基地のない沖縄めざすこと
 
 最後に、私が訴えたいのは、沖縄における革新とは何かということです。それは一言でいって、「基地のない沖縄」をめざすということ、さらに基地の根本にある日米安保条約をなくすということだと思います(拍手)。平和を願う“沖縄の心”こそ、沖縄における革新ではないでしょうか。(拍手)

「あってはならない現実」とみるか、「やむをえない現実」として押しつけるか

 初の公選主席だった屋良朝苗さんが、祖国復帰がきまったさいに、日本共産党が沖縄につくった事務所で、こう語ったという記録が残されています。「復帰はきまった。しかし、この沖縄にはあってはならない姿、不当な現実がある。これを乗り越えるために、共産党のみなさんの力をかりたい」

 みなさん、この基地の重圧という現実を、「あってはならない現実」とみて、力をあわせてなくしていく、変えていく立場にたつのか、それともこの基地の現実を「やむをえない現実」として県民に押しつける立場にたつのかこそ、沖縄における政治対決の最大の要ではないでしょうか(拍手、指笛)。ここで沖縄における革新と反革新がわかれるのではないでしょうか。(大きな拍手)

分裂しているのは「革新」ではなく「反革新」

 こんどの選挙は、「革新が分裂した」という議論があります。とんでもない。分裂などしていません(拍手)。元副知事の候補は、「革新共闘の役割は終わった」といっているではありませんか。革新ではなくなった人、勢力が、脱落しただけです。分裂しているのは反革新の側にすぎません(拍手)。沖縄の革新共闘の伝統は、あらかきさんに、堂々と引き継がれています。

 みなさん、沖縄県民の気持ちが、意思が、一つにまとまれば、この現実は必ずかえられる。それは祖国復帰闘争が証明しております。九五年の不幸な事件の際の島ぐるみのみなさんのたたかいが、日米両政府をはげしくゆさぶった、このことにも証明されています。

 みなさん、あらかきさんで「基地のない沖縄」というみなさんの夢を現実にしようではありませんか。最後の最後までご支持を広げ、あらかき知事誕生のためにみなさんの絶大なお力ぞえをたまわりますことを、最後にこころをこめてお願いし、この場での訴えとします。雨のなかありがとうございました。(大きな拍手)