2002年11月1日(金)「しんぶん赤旗」

沖縄知事選告示

志位委員長が訴え


 那覇市の県民ひろば前で開かれた「革新県政の会」の街頭演説で志位委員長は、どしゃぶりの雨のなか聞き入った千二百人の聴衆を前に、あらかき候補への支持を心から訴えました。元沖縄社会大衆党「たんぽぽの会」元会長の安里光子さんも応援演説にたち、「基地をなくさないかぎり、犯罪は増え続ける。平和をモットーとする、あらかきさんこそ知事にふさわしい」と訴えました。

 志位委員長は、あらかき候補について、「学生時代から祖国復帰運動のリーダーをつとめ、沖縄にもどってきてからは医師として命と健康を守って献身され、久米島病院を開設するなど、住民とともに県政を動かす大きな仕事をされた方です」と支持をよびかけ。心ある社会大衆党の人たちも、あらかき候補への支持を表明するなど、新たな共同が広がっていることをあげ、「ここに沖縄の新しい革新共闘の姿があります。みんなの力で必ず知事におしあげよう」と訴えると、指笛と拍手が飛び交いました。

 志位氏は、知事選の争点として、(1)基地のない平和な沖縄への道か、新基地建設・基地永久化の道か(2)県民の福祉と暮らしを守る県政か、国いいなりで県民そっちのけの県政か(3)沖縄の経済をどうたて直すか――の三つをあげ、それぞれ詳しく解き明かしました。

 このなかで、名護・辺野古への新基地建設をめぐって、稲嶺知事が四年前と同じ基地の「十五年期限」を公約に持ち出し、推進しようとしている問題を批判。アメリカみずから「期限設定は困難」との態度を示し、政府・自民党首脳からも「ごまかしがまた通用するのか」という「心配」の声がでるなど、なんの根拠のないものであることを明らかにしました。

 また、社民党、沖縄社会大衆党、自由連合推薦の元副知事の候補が、「岩国へ移設を」という本土移設論を主張していることに志位氏は、山口県知事も「これ以上基地の機能強化は認められない」と反対していることを指摘。「沖縄には『ちむぐりさ』という言葉があると聞きました。人の痛みを見ると、自分の心が痛むという県民の優しい心をあらわす言葉です。沖縄県民が望んでいるのは、基地の苦しみを本土に押しつけることでない。全国どこでもこんな苦しみはごめんだということではないでしょうか」と語りかけると、指笛とともに、大きな拍手がわきおこりました。

 「解決の道はただ一つです。普天間基地は県内であれ、本土であれ、『たらいまわし』でなく、無条件撤去をもとめることこそ、解決の道です。無条件撤去を『現実的でない』とする議論こそ現実ではありません」と訴え。那覇軍港の浦添移設は、日米両政府が二十八年前に合意したものの、いまだに軍港は動かないこと、反対に那覇市は革新市政のもとで、無条件の基地撤去をもとめつづけてきたことで、復帰時に市内面積の30%を占めていた米軍基地が、いまでは1・5%までに減ったことを示し、「無条件撤去で県民が団結してこそ基地のない沖縄への道が開けます」とよびかけました。

 志位氏は演説の最後に、「沖縄における革新とは何か」と問いかけ、「それは一言でいって、『基地のない沖縄』をめざすということ、さらに基地の根本にある日米安保条約をなくすということです。平和を願う沖縄の心こそ、沖縄における革新の立場です」と強調。基地を「あってはならない現実」とみてなくしていくか、「やむをえない現実」としておしつけるかは、沖縄での政治対決の最大の要となっており、「ここで革新と反革新がわかれる」と訴えました。

 そのうえで知事選で「革新が分裂した」との議論があることに志位氏は、「革新は分裂などしていない。分裂しているのは反革新の陣営です」と強調。元副知事の候補が「革新共闘の時代は終わった」とのべるなど、革新でなくなった人、勢力が脱落しただけであり、「沖縄の革新共闘の伝統は、あらかきさんに、堂々と引き継がれています」と訴えました。

 「沖縄県民の気持ちが一つにまとまれば、『あってはならない現実』はなくせます。あらかきさんで『基地のない沖縄』への夢を現実にしよう」との訴えに、大きな拍手がおきました。